いつの時代もTVに出てくる人達の大半は、
同じような10代後半から20代の年齢層。
何故か若さを失うと賞味期限が切れたかのように、
見向きもされなくなります。
入れ替わりで、ず〜っと未熟なままです。子供が楽しむ遊びで大人が楽しめますか?子供の頃に凄く楽しくて、
日が暮れるのを忘れて夢中になった遊び、
「鬼ゴッコ」や「かくれんぼ」「ママごと」等…。
それら遊びは成長するにつれて、
面白さを感じられなくなってきますよね。それは人が成長する事で、
それまで楽しんでた遊びが「幼くレベルの低い遊び」に
なってしまったからなんですよね。
決して遊びがつまらなくなったのではなく、
人が成長する事でより質の高い面白さを求めるのです。
そう成長しなければ、
それはいつまでも楽しいものなのです。でね。
その成長が大人になると、止まるとまでは言いませんが、
かなりスローになってるような気がします。多くの大人の振る舞いを見てると
そう感じずにはいられないのです。
良い年した大人が、若者に対して凄く媚びてると言うか、
大人が若者を引っ張っていくのじゃなくて、
大人が若者のケツを追いかけてると言うか、
そういう風潮を感じずにはいられません。
鈴木盛人さんのブログ記事
『
日本のことば(クリック)』に書かれてある事が、
典型的な例のように思います。
また、先日ワイドショーを観ていたら、
M-1グランプリで優勝したサンドウィッチマンが、
どうすれば人気を維持出来、
長く芸能界に生き残る事が出来るか?という内容の質問を
流行りの動向に敏感な高校生という事で、
アドバイスを高校生から受けていました。
流行りに敏感な高校生…。私にはこのフレーズも疑問です。
高校生がいつまでも、ずっと高校生であるわけが無い。常に高校生は世代が入れ替わってますよね。
高校生なんて、人生で考えると一瞬の期間です。
その一瞬の期間の人の流行りをアドバイスしてもらって、
それが長く生き残るアドバイスになるのか矛盾を感じますが、
TV業界やそれを観て納得する大人達は気がついていない。
アドバイスの内容が、
その世代に流行ってる一時期の物でしかない
と思えないのだろうか?私は、そんな大人に疑問を感じる。
TV番組やCM、デザインにしても、
どうすれば若い世代に受け入れられ、利益が出せるか?みたいな事ばかり考えてるから、
大人が成長出来なくなってるんだろうと思う。Official WEB Site

昨年記事、
買いたい理由(クリック)のコメントで
書いた事ですが、1つの記事としてエントリーします。
クリエイティブ活動を通じて、
様々なクリエイターさんの考えを見ていて凄く感じるのが
「心」が何処かに消えてしまってる感じがします。これはクリエイターに限らず社会的に、
そのようになってきてる事かも知れませんが、
ことある毎に語られるクリエイターさんの話には、
ある法則に従っい、その法則に雁字搦めな考えの人が
増えてるように思います。
良い意味で言えば、マニュアルに従う律儀な人ですが、
悪く言えば状況に応じた考えが出来ず
融通の利かない堅物という事になります。(^_^;)
法則に則って行動してるので、その動作1つ1つで、
「何故そうなるのか?」理由を考える事が出来ない。
それが思考停止に陥ってる原因じゃないか?
…と考えてしまう。
良いデザインとは何か?こんな事を考えてるクリエイターさんは沢山ます。
この「良いデザイン」が、「良いCM」でも構わない。
「良い番組」でも構わない。「良い音楽」でも構わない…。
それぞれのクリエイターさんの分野で
考えてもらえれば良いのですが、
必ずその疑問に対する答えが、
「売る事」や「視聴率を取る」といった数字に、
行き着いちゃってるんですよ。
「良い作品=数字を取る」
と言う、たった1つの価値観。だけど、本当に「良い作品=数字を取る」なのだろうか?
「=
(イコール)」の記号は
左右が入れ替わっても成立するのが「=」ですよね。
「数字を取る=良い作品」だろうか?この場合、必ずしも「=」ではないはずです。
もっと、素直に本質に目を向ける必要があるのに、
気がついているのに気がつかない振りしてるのか?
それとも、本当に気がつけないでいるのか?
自分の心に素直になって感じる事が出来れば、
誰もが簡単に気がつけると思うのですが…。
そして、「心」に関係する事ですが、
私の元に某所からアンケートのお願いがやって来ました。年賀状についてのアンケートですが、
「あなたは、年賀状を出しましたか?」
「どれだけ届きましたか?」…というようなアンケートです。
そして、そのアンケートには、
昨年のアンケートに寄せられたコメントが記載されていました
「年賀状なんてもう古い!メールで簡単に済ます。」…とか
時代を反映するコメントが沢山有りました。だけど、冷静に考えて、
「年賀状が古い」とかそういう
新旧で考えるべき事なのでしょうか?年賀状はその人の気持ちを表した手紙で、
新年の挨拶としてハガキに認められ届けられるわけで、
気持ちが無い単なる物の感覚で考えると、
新旧で考える事が出来てしまうのでしょうけど、
相手を敬うという、人の心に、
新旧なんて存在し得ないですよね。年賀状がタダの義務、毎年の決まり事としての法則で
書かれてると、その年賀状に心はないだろうし、
「面倒だから今の時代、もう古いよ!」
って事になるのだろうね。
そんな気持ちの無い人は年賀状なんて書く必要もないだろうし、
またそういう人から貰っても嬉しくも何ともないですよね。今の世の中、
本当に心の灯火が消えそうなのだろうと思います。
デザインだって、本来は誰の為のデザインなのか?
相手の事を考える「心」が凄く大切なんだけど、
その「心」が何処かに置き去りにされ、
ただ形と言う部分しか見えなくなってるので、
大きな矛盾が生まれてくるのでしょうね。
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いつ頃からだろうか、
私が年末年始が嫌いになったのは…?クリスマスもそうですが、日本人に元々からある正月も、
いずれも精神は感じられず商戦の材料の1つに過ぎない。その事に気がつき、本気で考えた時に、
商戦に踊らされてる自分が凄くバカバカしくなりました。
日本の伝統ですら、単なる商戦の材料にし、
精神が無いのですから日本人としての誇り等感じられるわけが無い。
非常に恥ずかしい姿が露呈する
このシーズンは本当に嫌いなシーズンです。
例えば、上記歳末セールのチラシですが、
今必至に「おせち料理」や「パーティ寿司」等
販売に力入れてますけど、
何を目的に販売してるのでしょう?
こちらは年末年始の営業時間案内です。

こちらも同じく営業日案内。
いずれの案内も一番上の写真に写ってる
3枚のチラシから抜き出したものです。
3店舗中2店舗は大晦日の日まで営業し、
正月1日から店を開けます。そうなるとますます、歳末セールは
何を目的に販売してるのでしょう?
…って気持ちが強くなるのです。
以前は、正月と言えばお店は何処も閉まってました。
神聖な気持ちで正月を迎える準備をしてたのでしょう。
だから年末に正月を迎える為の
買い物をして準備をする
理由があったのです。
しかし、現在はその理由が見当たりませんよね。理由を考えず目的もハッキリせず思考停止した状態。
正月の起原は農耕民族として生活していた日本人が
新しい年の五穀豊穣と子孫繁栄を守って下さる年神様
(稲作に豊穣をもたらす神様です)をお迎えする為の
農耕儀礼だったそうです。
又、正月という言葉は中国から伝わったもので、
正は「改める」という意味を持ち、
年が改まった最初の月という意味があります。
また日本では、正月は、古来「睦月」と呼ばれていましたが、
その言葉は「家族が睦まじく新年を迎える月である」
という意味を持ちます。このような事から、
以前は何処のお店も正月は休み、新年を祝い迎えたのです。
●関連記事
ただ なんとなく…(クリック)風化する日本(クリック)Official WEB Site
(C)yahoo!:やっくん、和香、梓が人気アニメの声優に挑戦!少し前のLivedoor Newsに
有名タレント「アニメ」声優起用。
「本職」が失業危機、転職も。(クリック)という記事がありました。
写真とは関係ありませんが、内容的には写真のような事です。
これは声優だけの問題じゃないですよね。アイドルやお笑い芸人等、
役者としてのスキルの無い人達が、
ドラマに出演したり声優に挑戦したり。
ハッキリ言ってスキルを完全に無視している。今の人気のあるお笑い芸人の多くは、
本業のお笑い芸人としてのスキルも
疑わしい人達ばかりだと私は思う。そんな人達が、数々の場に進出し、
マルチタレントというような言葉で、
モテはやされている。
そもそも、スキルを無視して、
マルチな人なんてあり得ないと思うのだが…。一見畑違いの活動をしてるように見えても、
根本的なスキルは通じてたりするわけで、
一つの核から枝分かれして広げてるのが
真のマルチな人だと思うんだよね。
自転車&スケートで、
夏冬両方のオリンピックに出場した、
橋本聖子さんの場合…、
一見違うスポーツだけど使う筋肉は同じ筋肉で、
どちらも同じトレーニングで鍛える事が出来る。
マルチ人間と言われ成功してる人は、
全く違うスキルを持っているわけじゃないです。一番基本である核となる技すらも形成されてなく、
未熟であっても、いろんな現場に顔を出してるだけで、
マルチタレントと言われてるのが現状で、
現在のマルチタレントの『マルチ』は、
マルチ商法の人を騙すようなマルチではないか?宣伝の為に下手な役者でも構わない。
「作品
(商品)」は2の次3の次と言ってるようなもので、
視聴者はその三文芝居に金を支払わされる事になる。極端な話、悪徳商法の手口そのものだと思うのだが。
確かに数字を取る事は大切だと思います。
しかし、数字を求める事よりも、
「まず良い物を作る事が最優先」でしょう。
良い物が出来、そして、それから宣伝でしょう。良い物が結果として数字が取れるなら納得だけど、
数字を取る為に手段を選ばず安易な方法を取るという事が
視聴者全体をバカにした行為だと思う。最近よく聞く企業の不祥事。
売る為には他人を騙しても構わない。
人を騙してでも売ったもの勝ち!そんな風潮が感じられる記事です。
そして、業界関係者の言う
「タレントのスキルは元々高い。」
…関係者なら誰もがそう言でしょう。自分達の仕事を自分でダメとは言わないでしょう。
ミートホープやグッドウイルだって、JR宝塚線だって、
皆、自分たちを守る為に言い訳してきましたもん。
本当にスキル高いと思われるタレントが居ても、
結局、見る目の無いディレクター等に良いように利用され、
開花させる事なく消えていったのが、
ほとんどじゃないでしょうか?●関連記事
アイス・エイジ(クリック)吹き替え版(クリック)オープンシーズン(クリック)
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2007年の世相を現す漢字が「偽」と発表されましたが、
身近な食品から政界、年金、スポーツ選手にまで、
次々と「偽」が 発覚して何を信じたら良いのか、わからなくなった一年。…と世間では言われてますが、
このように
『何を信じたら良いのか、わからなくなった。』
って言う人は結局、他人事なんだと思います。
まずは、自分を信じてみたらどうだろうか?自分を信じてれば偽りに走れないでしょう?いくら内部告発によって「偽り」が明るみに出たといっても、
その組織にいたら組織の責任として内部告発した人も
内部告発するまでは組織に従っていたわけだから
同罪なのだろうと思う。
要するに、
「何を信じたら良いのか、わからなくなった。」と口走る人も、
組織の一員であるなら、
もしかしたら「偽り」の加担をしてる事になってるのかも…と、他人の責任を問うのではなく、
自分に置き換えて考えるくらいでないと、
こういう事ってなくならないのかも知れない。
表面的な情報に惑わされ、本質を見る事が出来ないと
結局その表面的な情報に振り回される事しか出来ない。自分を信じて自分が正しいと思う事を
素直に行動すれば良いだけの事だと思います。
Livedoor NEWS
二枚舌の舛添厚労省“クビの行方”(クリック)宙に浮いた年金問題で舛添氏が、
「出来ないものは出来ない。」と言った時、
多くの人が舛添氏の責任問題を追及してるけど、
これも本質が見れてない責任追及だと思う。
そもそも、宙に浮いた年金問題って
昨日今日に始まった問題ではなく、
長い年月いい加減に扱われてきてたのが問題で、
舛添氏が年金をいい加減に扱ってたわけじゃないはずです。
いい加減なもので分からなくなってるものを何とかしようと、
酷い状況の中に飛び込んでいった人ですよ。
放火され燃え盛る家の中に逃げ遅れた人がいる。
「逃げ遅れた人を助ける」と言って、
危険を顧みず家の中に入っていったが、
予想外に火の手は回り結果的に助ける事が出来なかった。
その場合、助ける為に家の中に飛び込んでいった人の責任ですか?そこで本来責任の無い人
(問題が出た後に大臣になった人)に、
責任問題を追及するよりも、今後のあり方、
再発しない為の手だてを考える事が必要じゃないのか?
マスコミも「冗談じゃない」と舛添氏を批難してるが、
「冗談じゃない」ないのは、
今まで杜撰にしてた社会保険庁じゃないのか?
私は「偽り」の前に、
本質を見る目が育ってないのが問題だと感じます。表面のパッケージしか見る事が出来なかった人が、
ようやく本質の重要性に
気がつき始めた年なのかも知れません…。

そう言えば、日本って国は
中身より外身の文化ですよね。 こちらは、チロルチョコとコラボレーションされた、
チロルチョコのパッケージのパンです。
中身がどうなのかという事よりも、
表面のパッケージで買ったり…。
こういう商品は、他にもゴロゴロ転がってます。
古くは、「仮面ライダースナック」とか、
スナックよりも袋に描かれた
「仮面ライダー」につられて買ってたり。
私も子供の時からそんな感じで育ってますので、
現在になってもその傾向は残ってたりします。
こちらは、あるデザイナーさんのブログです。
「缶のデザインが綺麗だから買ってみた」と言う事で、
缶のデザインについて色々と語られてましたが、
私が疑問に感じたのは、そのブログが、
中身のコーヒーについて全く語られてないのです。いくらデザインが綺麗でも、
缶コーヒーの本質は中身のコーヒーだろうし、
デザインの良さというものは、
デザイン単品では語られるものじゃないはず。
中身のコーヒーとデザインの結びつきはどうなのか?
ただ表面的にパッケージを飾れば良いというものじゃない。中身があってのデザインです。いくら綺麗なデザインでも、私は缶コーヒーという事で、
買うのをためらってしまいます。
いくら、なんやらドリップとか、なんとか製法とか言われても、
缶に入れられ、缶のニオイがついた
コーヒーの味が苦手なんですよね。
缶臭いと言うか…、製法やドリップ方式に拘るような人は、
そういう缶臭さの味にも敏感でしょう?
それに添加剤の妙な味も気になるし…。
それでも、コンビニ企画の
オマケに負けて買う事もありますが、
その時は完全に目的が
コーヒーではなくオマケなんですよね。(^_^;)
そして、いくらデザインが綺麗でも、
その缶は飲み干せばゴミです。
デザインが綺麗だからと言う理由のみで買う事は無いです。このデザイナーさんがブログで紹介してるコーヒーも
私はデザインよりも中身が気になります。
まぁ、中身が気に入って、
更に同じような商品が複数有ったとした場合、
より綺麗な方のデザインを選ぶとは思いますけど…。
そして、こちらもデザイナーさんのブログです。
某芸術系大学の教授だそうです。
発売前なので味が不明。つまり飲んだ事も無い商品のデザインについて、
デザインについて語っちゃってるんですよね。
中身を無視してデザインを語ってます。
そのように中身を無視して語られる言葉に本質は無い。そもそもデザインが悪いから飲みたくないって理由も乱暴。
飲みたいか?飲みたくないか?
その気持ちはデザインに左右されますか?CMでアイドルを起用するのも本質は無視して
どの人気アイドルや人気お笑い芸人を使うか?という感じだし、
吹き替えの声優にしても、中身の質よりも、
誰が吹き替えをするかと言う
話題性のみに力を入れてる等
本質とかけ離れたところに拘ってますよね。
このようなところからも、
本質が見れない民族なのかなと感じます。
「偽」という事で、騙されたと騒ぐ事よりも、
騙されない為に如何に本質を見る目を鍛えるか…という事も大切なのでは?と思うのだが…。
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ニューデザインパラダイス(クリック)受け売りな情報(クリック)インスタントな愛情(クリック)
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感謝の気持ちが感じられない、ただなんとなく毎年の事だから…の感謝祭つくづく感じるのですが、
日本のクリエイティブ業界って、
全然クリエイティブじゃないよなぁ〜。ただなんとなく、それが今までの流れだから…。考えてるようで、実は全く考えられていない。
その為に決まりきった雛形が無意識に出来上がり、
その結果、どれを見ても同じようなものばかり。TV番組にしても、どのチャンネル、どの番組を見ても、
同じような番組しか無い。
それぞれのTV局がそれぞれのTV局である意味も無い。
代わり映えしないのなら1つの局に統合してしまえば?と思う事もある。
また、商業デザインにおいては、
1年のサイクルで同じ事の繰り返し。
今の年末シーズンだと、必ず何処の店も、
「1年間の感謝の気持ちを込めて○○セール」と
タイトルの言葉とは裏腹に、
大して安くもない普通のセールを行なう。
「1年間の感謝」なら本当にいつもとは違って、
安く大々的にセールをするお店が、
1つくらいあってもいいと思うが、そういう店は皆無。
この時期はそういう決まりだからそうしてる。みたいな、
心にも無い感謝
(←そりゃ感謝じゃない)が、
パターンのように繰り広げられる。
また、広告のデザインも、
業種毎に同じようなデザインでおさまっている。
不動産ならば、どの不動産の広告を見ても同じようなデザイン。
店名、企業名を差し替えればどれでも通用しそうな感じです。
それぞれのお店、それぞれの企業の個性って何でしょう?そんな風に色々考えてると、
いろんな面でバリエーションが無いなぁ〜…と、つくづく感じるのです。
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私はブランド物のバッグ等に興味は無いので、
それらを欲しがる心理がよく解らない。
何が良くてブランド物を求めるのでしょうか?リサイクルショップや質屋などに、
必用のなくなったブランド物のバッグ等が並んでます。
そして、そんな質屋のショップで
ヴィトンのバッグがディスカウントされ、
ワゴンセールのようなバーゲンセールを目にしました。もちろん、そのワゴンスペースには沢山の女性客が群がり、
ヴィトンのバッグを買い求めていました。
その光景が、私には滑稽に見えてしかたなかったです。高級なブランド商品って、
気品あり、ある種の憧れだから魅力じゃないの?そして、ちょっとやそっとじゃ手が届かないから、
手が届くように、自分の人間性を磨き成長した時、
初めてそのブランド品が似合う人になれるのだと思う。
ワゴンセールに群がるような人が、
ブランド品を手にしても格好悪いだけに感じるのですが…。ブランドに拘るけれど、それを持つ人としての、
自分のブランド(人間性)に拘りが持てないのは、
何だかみっともない気がしました。
ヴィトンの柄を纏っても持つ人によって見え方も変わってくる。その商品のブランド(歴史の重み)に対して、
人としての重みが備わってないと、
どんなに良い物を手にしても、それは安物に感じてしまう。
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(c)フリー画像素材EyesPicいくら良いデザインが出来ても
伝える事が出来なきゃ意味がない。この言葉は凄く多くのクリエイターが声を揃えて言います。
だけど、ちょっと待てよ?
伝える事の出来ない良いデザインってあるのだろうか?
伝える事が出来ない時点で、
そのデザインはダメダメって事だよね。
そりゃ、伝える事が必要というのは私も同感ですが…、
その『伝える』って事を口に出す事が既に間違いでしょう。
広告等のデザインって、伝えるものでしょ?
いくら良い料理でも食べられるものでなければ意味がない。…と言うくらい変な言葉です。
クリエイターである以上、伝える事は最低条件…というか、
最低条件にも満たない、超当たり前な事で、
クリエイターがそういう最低条件以下な事を口にしてるようでは
『素人以下』だと思ってます。
こんなバカげた事を書かなきゃならない、
私も凄く情けないのですが、
そのくらい、この業界は異常を感じるのです。なんたって、ベテランまでもが平気な顔して、
いくら良いデザインが出来ても
伝える事が出来なきゃ意味がない。って言いますから…。
しかし、何故、
クリエイターの多くは「伝える事」という
最低条件以下な事を口にするのでしょう?
TVのワイドショー等の報道を見てても、
「伝える事が仕事」みたいなキーワードが出て来ますよね。
報道も同じく「伝える事」を抜き取ったら何も残らないですよ。
「伝える、伝える。」って、
バカの一つ覚えのように言いますが、
それでは「伝える事」のどれだけを知っているのでしょうか?本来、言葉が分かれば、
デザインなんて学ばなくても誰もが伝える事は出来るものです。
幼稚園児でも伝える事は出来ます。『伝える』って事だけを考えれは凄く簡単な事でもあるのです。だけど、『伝えたいのに伝わらない』と頭を抱える人もいる。
それは、「伝える事が出来なきゃ意味がない」と
誰しもが口を揃える言葉なのに、
実は、『伝える事に対して何も考えていない』
って事なんだよね。伝える立ち場の人が、
嘘の情報で、人々を騙し続けてたとしたら…?
誰も信用しないですよ。
売る為に姑息な手段で、顧客を騙すようなもの創ってたら、
誰も信用しないですよ。
言ってる言葉と、自身の行動が伴ってなかったら、
誰も信用しないですよ。
当然そんな状態だと、
メッセージを発信しても誰も受け取りませんよ。
伝わらなくなって当然の結果です。
口では『伝えなきゃ意味がない』と言いながら、
行動では伝わらなくなるような行動をとる。伝える人が伝える事を何も理解していない。「街を汚しちゃダメだよ。」って言ってる人が、
結局、仕事だから…という理由で街を汚す。
その言葉に、説得力がありますか?●関連記事
CMディレクター 故 杉山登志 氏の言葉(クリック)
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時には、甘い物も必要だろうけど、
甘い物ばかりじゃ、体壊しちゃうんだよね。o(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o
2日前の
エリカ様にあきれるよりも…(クリック)の記事。
私が最後にコメントした言葉で、
結局、ついつい「無い物ねだり」したくなるんですよ。
しかし、本当の問題は無いものと思てるところではなく、
自分の身近な所に問題があるのだと思います。…と言いました。
「無い物ねだり」の面白い事例が過去にありましたので、
新たな記事として紹介します。( ̄▽ ̄)b
6年程前の話になりますが、
当時、私は広告代理店A社
(社内にデザイナーをかかえている)と
広告代理店B社
(デザイナーは全て外注)と取引してました。
そして、A社とB社はライバル関係です。
何故か私は両方に顔出してました。(^_^;)
そして、仕事の打ち合せの時等、
営業マンの口から出てくる愚痴をたまに聞いてました。(´-ω-`)
その何でもない愚痴の中で、面白い事を見つけました。A社営業マン曰く、
「B社は社内にデザイナーを抱えてないので
外注でいろんなデザイナーを使う事が出来る。
うちは、社内の限られたデザイナーしか使う事が出来ず、
しかも、デザイナーが下手なので良い仕事が出来ない。」と、このように言われてました。
そして、別の日に、今度はB社営業マンから愚痴を聞きました。
B社営業マン曰く、
「A社は社内にデザイナーを抱えてるから、
時間を気にせず、いつでも直しの手配とか出来るし、
時間に凄く融通がついて仕事のやりやすい環境にある。」…とこのように言われてました。
A社営業マンがマイナスだと感じてる部分が、
B社営業マンには羨ましい環境に思え、
B社営業マンがマイナスだと感じてる事が、
A社営業マンには羨ましい環境に思えてるのです。
なんだか勝手なものですね。{[(-_-)]}
良い物が出来ない理由に、
『もし○○だったら、もっと良いのに…。』と
自分に備わってない環境の事ばかり言って、
自分自身の問題に対して目を背けている人は、
どんなに
「○○だったら」の部分が満たされても、
更に無い部分を見つけ、
『もし○○だったら、もっと良いのに…。』という事を、
ずっと言い続けているのだろうと思います。ε-( ̄ヘ ̄)┌
A社営業マンのいう問題とB社営業マンのいう問題は、
共に解決の糸口は、自分たちにあるのですよね。
結局「楽がしたい」とお互い甘えてるだけなんですよね。il||li л○ il||li
何事も、一長一短がある。
自分たちの『一長』には気がつかず
(気がつこうと努力せず)、
『一短』ばかりを見て、無い物ねだりばかりしてる人は、
いくら『一短』の一部をカバー出来ても、
同じ事の繰り返しなんだろうと思いました。
自分の環境の中で
『一長』を見つけられる目が育たない限り、
結局、何を愚痴っても、
その原因は自分の未熟さに繋がってるのだろうと思います。そして、『一長』が見えるようになれば、
次第に愚痴ってのも出なくなるような気がします。
問題が発生した時、次に何をしなきゃならないか?
それがちゃんと見えて来ますから…。( ̄ー☆キラリーン
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