かぐや姫イメージ写真;竹林このタイトルの「かぐや姫が4人…」というのは、
幼稚園での発表会の劇の事。先日、ニュースで取り上げられていました。また、この劇のおかしな所は、かぐや姫が4人に止まらず、
お爺さん3人、お婆さん3人の配役で、
劇がハチャメチャになってる事です。それに対して、
1人の保護者がインタビューに答えてましたが、
この劇に対して違和感を全く感じないとの事。呆れてしまいました。幼稚園での発表会の劇というのは、
単なる娯楽でなく教育という事がメインです。だけど、その教育を全く無視して、
親が出しゃばり
『何故、うちの子が主役じゃないの?』と
アホなクレームを付ける。そして、
そのクレームに応じる幼稚園の先生方も
何故かアホなクレームに応じてしまう。
実は、教育の現場のプロも、
教育に理解出来てないのではないだろうか?親も先生も含めて、共に、
子供の成長を邪魔してる事に気がついてない。何故発表会で劇等を行うのか?この事を冷静に考えて欲しいと思う。
教育を無視してアホなクレームに従うなら、
そんな発表会なんて無い方がマシ。
その方が子供の為です。ニュースの場でも、あるコメンテーターが、
「主役でなく端役だとどうしても…」みたいな話をされてたのですが、
劇に対して、わずかな役であるその役を
「端役」と捉える事にも違和感を感じました。その発想がダメなんですよっ!コメンテーターですら何も理解出来てない…。
この発表会の劇を通じて
子供達に何を教えてるのだと思いますか?おそらく、親も先生も、
そこまで考えてないんじゃないかな?
主役のみで、物語が出来ますか?役のどれが欠けても物語は成立しないのです。
「端役」なんて、本来存在しないのですよ。
チョイ役でも、その役があるからこそ劇が引き立つし、
立派な物語として成立するのですよ。これは社会に出ても同じ事。
どんなに小さな事でも全て必要とされてるから、
社会が成り立っているという事を、
劇という形で表現され教えられてるのです。そう言う事を理解しないで、このような発表会の場を、
単なる娯楽的に捉えてるようでは、
親としても失格だし、教育者としても失格だと思う。
この事をキッチリ教える事が出来ないでいるから、
『お前はこの世に要らない人間だ』というような
イジメの問題に発展したり、
将来の仕事にしても、
職業差別を平気でしたりするようになるのだと思う。
教わる時に教わる事が出来ないから当然ですよ。鈴木盛人オフィシャルブログ鳥獣遊画こちらの記事参照(クリック)↑
このブログで紹介されてる中学生の作文ですが、
その中で言われてる先生の職業差別…。
勉強が出来ないとキツくて辛い
肉体労働をしなければならなくなる。って言葉。
こういう職業も、幼稚園の劇に例えると分かりますよね?肉体労働も社会には無くてはならない大切な仕事です。
勉強出来てデスクワークできる事だけが
優れた仕事という事でもない。
どれも大事な仕事なのです。たかが発表会の劇って考えれば、
大した事の無いイメージなのかもしれない。
だから、親にしても先生にしても、
アホなクレームを言い、そしてそれを呑む。その事で、子供達は何も教わる事無く大人になる。教育の現場もその事を理解してる人がいなくなってるし、
親も目先の子供の配役しか見る事の出来なくなっている。おそらく、この発表会の劇のアホなクレームの例は、
単なる一部に過ぎず、
教育のいろんな部分でアホなクレームにより疎かにされ、
疎かにされた事がチリも積もり育った人が、
更にアホなクレームを求める親になったのかなと感じます。
教育が崩壊って…、納得出来る気がした。そして、それに伴い社会も…。(汗)
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何故、勉強が必要なのか?(クリック)職業差別(クリック)無意識(クリック)楽して儲ける(クリック)
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↑相田みつを風の書のつもり安倍内閣の“番頭格”塩崎恭久官房長官が
カタカナ言葉を連発し報道陣を悩ませている。外務副大臣などを務めた経歴を持つ国際派だが、
最近では「センシティブ」など英単語を多用。記者から意味を突っ込まれると窮する場面もあったとか。
例としては、北朝鮮の核問題や米国とのやりとりについて、
「インテリジェンス
(機密情報)にかかわる」
と常にコメントを避け続けた。
昨年12月の日本とオーストラリアの経済連携協定の
交渉開始決定に際し
「互いにセンシティブ
(微妙)なものがある」
と指摘した。
記者から「センシティブの日本語訳は」と問われ、
塩崎氏は「うーん」と逆に立ち往生。
「何となく言っているけど…。
『配慮が必要な』って事なんでしょう」と得意げな表情で説明した。
「キック・オフ・スピーカー(冒頭発言者)」
「ウイン、ウイン(双方有利)」
「フォーミュラ(計算式)」
「エクスパティーズ(専門知識)」など、連日“横文字通”ぶりを発揮。
塩崎氏の姿勢は安倍晋三首相にも相通ずるものがある。…っと、
カタカナ言葉を多用する人は、
「頭が良さそうに見られたい」と本人が思い込んでるだけで、
実際は、バカ丸出し!
そりゃそうでしょう。
人々に分かりやすく説明しなきゃならない場面で、
意味不明なカタカナ言葉を取り入れ、
誰にも通じない話をする訳ですから。英語が喋れる外国人にも、
英語の話せない日本人にしても、
どちらも中途半端で分からない説明となるのですから。
だけど、このカタカナ言葉を連発する人って、
塩崎氏や安倍首相のみに限った事じゃないですよね。
出来る人を装ってる人の多くがそうじゃないだろうか?デザイン業界にも、そのような方が多くいます。
きっと、この話題を取り上げた
マスコミ関係者にもいるのではないだろうか?
デザイン業界やマスコミ業界なんて、
特に面白いですよ。
そういうカタカナ言葉を連呼してる人達が口を揃えて
伝える事が大切って力説してますから。(^_^;)
言うてるそばから伝わらないのですけど〜。
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日本文化科学社
個性って言葉を多くの人が勘違いしてる気がする。
皆と同じではなく違う事をする、
または、奇抜さが個性だと思われている。
その為、基礎を学ぶべき学校教育にも、
個性を伸ばすだのと意味も考えず
言葉の流行りで行動してますからね。スポーツの話で言えば、
基礎のキャッチボールや素振りをするは、
「皆が同じ事をして個性が無くなる。」と言ってるようなものです。
キャッチボールや素振りを疎かにして、
個性を尊重したパフォーマンス的プレーを
重んじようとする。愚かな考え方。だけど、
その事に気が付かず、個性個性と皆が言う。
人と違った変わった事をするのが
個性とまで考える始末で、
最近の高校等の卒業アルバムでは
個性を伸ばすという名目で
仮装して写真に写るところまで出てきている。卒業生全員で仮装です。「個性を伸ばす為に皆で一緒に仮装をしましょう。」一体この仮装の何処に
個性を伸ばす要素があるのでしょうね?
個性なのに、皆で仮装です。その概念だと、
そもそも、校則ということが自体、
無個性化の象徴となってしまう。
個性とは、
元々その人が持っている人格であり、
派手さや人と違うというのは、
元々の人格を引き出し伸ばした結果であって、
別の所から何かを持ってきて付け足した物ではない。結局、個性個性と騒いでる人達、
または、個性を伸ばす指導をする側が
何一つ個性を理解していないのです。
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↑実はバスケットシューズ(笑)私は、
「自分は常に正しく一歩も二歩も
世の中の人より進んでいるという、
基本的に何か大きな勘違いをしてる人」と言われた事がある。
しかし、私は、これが悪い事とは思っていない。マイナス思考で捉えると、単なる生意気な奴かも知れない。仕事する上で、とても重要なモチベーションを得る為の
自己暗示みたいなもので、
スポーツ選手が、「自分は世界一強い」と思い込んで
試合に望むのと同じ事だと思う。
以前、
謙虚さを強要される(クリック)という話題で
ブログを書いた事がありますが、今回のこれがまさにそれです。
もちろん、これは自分の得意とするフィールドに限っての事だし、
表現という職種柄、表現に関する事
すべてに関わってくるので範囲は広くなる。
足の遅い子に、「この靴は、足が速くなる靴だ。」
そして、「この手袋は走る時にしっかり腕が振れる手袋だ。」と
暗示をかけてやり、その子が「速く走れる」と思い込む事で、
実際にタイムは向上する。この現象を「プラシーボ効果」と言います。私の場合、学生時代に現実を突きつけられ挫折しかかった事がある。
以前も話したが、絵が上手いと周りから言われ育った。
そして、絵の道に進んだら、
私と同じように絵が上手いと周りから言われ育った人だらけだった。
当然、その中で順位がついてしまう。
それまで上手いと言われていたのが、いきなり並かそれ以下になってしまう。
だから、残された道は、
必死にしがみつくか?止めてしまうか?の2つに1つなのですよね。
結局、しがみついて、振り落とされないように頑張って
卒業だけはしましたけど。(^_^;)
人より劣ってたら、人より頑張るしかないじゃないですか?そうやって頑張ってきたから自分への自信にも繋がるし、
人より出来ると信じて、更にモチベーションを上げ、
自分の能力の精一杯を引き出せる。
始めから弱気だと、その時点で勝負は決まってしまう。だからこそ、この「プラシーボ効果」を有効に使うよう心がけている。
謙虚さを強要してくる人は、「プラシーボ効果」を知り得るような
自身の極限までの頑張りをしてなくて、
その世界を知らないに過ぎないのだと思う。
だから、単なる生意気な存在と感じるだけなのかも知れません。もちろん私なんかより上の人は当然沢山いますし、
そのような方からは私が話してる事等、
当たり前の分かりきった話でしかなく、
全然特別な事なんかじゃないと思います。私は自分が経験した事をそのまま言ってるだけで、
反発する人は、私が経験してきた事をまだ経験してないから、
その事が分からないだけの事なのだと思います。それに、私の話を人に押し付けてるつもりも毛頭ないし、
勝手に「基本的に何か大きな勘違いをしてる人」と
決めつけられてるようです。
私だって自分で経験していない知らない事は分かりません。しかし、知らない世界の事を教えられると、
とりあえずは経験してみようと努めます。
それが、新たな自分の力になるのだから…。そして、自分より上の存在の人に認めてもらえるよう頑張って行きたい。
そうそう、余談ですけど、「病は気から」…も、プラシーボ効果なんですよね。私の嫌いな、ネットワークビジネスの商品(サプリ等)が
市販品よりもよく効くという話も
「プラシーボ効果」が影響してるのです。
「市販品よりもよく効く」という強い思い込みが、
症状を改善させていたりする。
しかし、その反面、癌患者等その強い思い込みの為、
病院から出る薬などを止めてネットワークビジネスの商品に頼り、
死期を早めてしまうという事例もあるようです。
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アマゾン側流域の密林ネットショップサイト、
アマゾンで、
映画「デイ・アフター・トゥモロー」の
DVDレビューを見たのだけど、
なんだかレビューが滅茶苦茶!ある人は、
だいたい世界の異常気象の原因の元になってるような
アメリカが作った災害映画で主人公が大活躍ってのも
見たくない感じはします。…と感想を述べ、
またある人は
でもでも、やはり、よくよく考えると上記を凌ぐ
超ド級ご都合主義で解決されてるし、
京都議定書も参加してないので、単なる駄作。…と感想を述べている。
京都議定書も参加してないので、単なる駄作。…って、
駄作の理由にもなっていない。
全く映画の感想になっていない…。(汗)
それよりか、果たして本当に彼らが言うように
アメリカだけが異常気象の原因の元なのだろうか?
「京都議定書」に参加すれば環境を考えてる事になるのだろうか?
凄く疑問です。このレビューの内容は典型的な日本が得意とする
中身のないパフォーマンスに見えて仕方がない。「京都議定書」に参加という事だけで、
環境を考えた活動をしている気分に浸ってるだけで
実際は何もしていない。そうは思えないだろうか?
事実、スーパーの野菜売り場に行けば、
野菜の1つ1つにまで丁寧にビニールで包装している。
ここまで過剰包装してるのは日本だけだそうです。TV番組で自然を扱ったドキュメント番組は
日本の民放局では全く放送されていない。たまに特番で放送されても、自然の美しさを紹介されるだけで
自然の仕組みまで深く迫った番組は皆無。
アメリカでは、「自然を扱ったドキュメント番組」が
人気番組として存在する。バラエティ番組一色しかない日本のTV番組とは大違いだ。
「自然を扱ったドキュメント番組」が人気番組になっている…という事を考えれば
アメリカ国民1人1人の環境への関心の強さが
どのくらいのものなのか必然的に分かるだろう。「京都議定書」に参加というのは政府が関係してるだけで、
国民全体の意識ではない。政府が、「京都議定書」に参加しただけで
実際は何もしてないのに行動したつもりになってる日本と
「京都議定書」という政府のパフォーマンス形式にこだわらず、
国民1人1人が環境に対し強い関心を持つアメリカとでは
意識に大きな違いがあるのではないだろうか?
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「馬鹿」という動物が、実在するそうです。
「馬鹿」と書いて、“うましか”と読むそうです。
「馬のような鹿の事なのか?」…、鹿科の動物なのかと思いきや、
この動物は『牛科』に分類されるそうです。思わず「ふざけてるのか?」と言いたくなりますが、
超大真面目で、牛科の動物として馬鹿なのです。
実際に、どんな姿の動物なのか知りたくて、
『馬鹿』で検索してみました。見事に、『バカ』でしかヒットしないですね〜。
気を取り直して、今度は『うま鹿』で検索…。出てきた情報は
『…激
うま鹿肉…』でヒットした。(汗)
更に、今度は『うましか』と全部仮名で検索してみた。すると、バカを皮肉って『うましか』と
言われてることしかヒット出来なかった。
結局、「馬鹿」の姿を見る事は出来なかった。
悔しいので、『激うま鹿肉』の写真を掲載します。。
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この話題は、
少し前に某コミュニティに書き込んだものです。
きっちり残したいので、このブログにも書き込みます…。
私は、レーズンが大嫌いです。どんなに頑張っても食べる事が出来ません。
お菓子や料理の中に少しでもレーズンが入ってるとダメです。
世界で認められた最高のシェフが、
選びに選びぬいた最高級のレーズンを使い調理したとしても、
私はその料理を口にする事は出来ないでしょう。
その場合、シェフの腕が悪いという事ではないし、
料理が悪いという事でもないですよね。
レーズンの味を理解出来ない自分に原因があるわけです。主観のみで判断する「好き・嫌い」と言うのは、
評価として正しくないのです。何故、私がこの話題を取り上げたかと言うと、
デザイナーやイラストレーター等のクリエイターの多くが、
このような稚拙な「好き・嫌い」のみで、
いろんな作品を評価していると言う事なのです。デザイナーやイラストレーターに止まらず、
映画評論や芸能人の評価等全てに言えるのではないでしょうか?
世界的に認められた偉大なアーティストに対しても、
「自分はこの人の作風は嫌いだから…」
「この人の作品は好き」みたいな感じで、
プロであるにも関わらず素人と同じような見方を平気でして、
その事に疑問を全く感じていないのはあまりにも情けなさ過ぎます。
私よりも年輩でベテランクリエイターの人でも、
そのような「好き・嫌い」でしか話が出来てない人が多い。
ある意味この業界への絶望感を感じてしまう。
参照記事(クリック)最高のシェフも、
当然、人間だから好きな味、苦手な味というのはあると思います。
でも、自分が好きな味だからと、その味しか理解せず、
お客さんに料理を出していたとしたらどうでしょう?
最高の食材でも、「自分の好みの味じゃないから」と言って、
完全否定し受け入れないシェフだったら…。
そんなシェフは、どうひいき目でみても、
良いシェフとは言えないと思います。素人ならば、
「これ嫌いだから…」「これ大好き。」
という評価もアリでしょう。
でも、
私たちクリエイターはプロです。自分は「嫌い」だけど、その“嫌いな理由”は何なのか?
自身を客観的に見る事が出来ていれば、
「好き・嫌い」という事とは、
別の価値観で物事を判断できると思います。
自分は嫌いだけど、「何故多くの人から支持されてるのか」、
また「何故時を超えて受け継がれてきてるのか」…。
それを考え理解する事で、自身も大きく進化する事が出来る。
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“CanCam”は、蛯原友里、押切もえ、山田優などの
何がカリスマなのか分からない 多くのカリスマモデルを誕生させ、若い子に人気の雑誌です。
その人気ファッション雑誌“CanCam”の専属モデル募集の
オーディションの様子が、少し前にテレビで放送されてました。
そのオーディションの様子を見て、
「やっぱり、このオーディションもかぁ。」と、
審査の基準というか体質に呆れてしまった。
「やっぱり、このオーディションもかぁ。」と言う言葉の通り、
その体質は“CanCam”のオーディションだけの話ではない。
審査という事のほとんど毒されている。
審査が審査になっていない、しかし審査が成り立っている。という酷い状況です。
審査する側に、その道の確かな人がいないのです。そして、オーディションを受ける側も、それなりの人がいない。
“CanCam”の専属モデルオーディションの話を例に上げると、
第一審査で3000人の中からの30人だかに絞られ、
そして頂点に1人。しかし、オーディションを受ける人は皆素人。
もちろん素人ということが悪いのではない。
私が、ここで言う素人というのは
オーディションを受ける為の準備が全く出来てないと言う事です。
オーディションを受ける人は、
確かにエステなどに通い美しくなる事を意識してたみたいですが、
そう言う事とは別にモデルになる為の正しい姿勢、
歩き方等のお金では解決出来ない、
本来磨かなければならない部分という所は全く無視されている。オーディション受けるなら、
せめて、それなりのレッスンをして基本ぐらいマスターして
受けなきゃ話にならないし、
また、審査する側もそういう部分は全く見ていないというか、
審査員が既に読者審査員という素人だったりする。
その為、容姿の好みだけで選ばれたりしている。中には正しいレッスンなど受けて
万全な状態でオーディションを受けに来てる人もいたのかも知れない。だけど、審査員が素人で容姿の好みのみで選んでたとしたら、
正しいレッスンをする意味もないし、
本当に素晴らしい素質のある人がいたとしても見落とされてしまう。3000人の中からの選ばれた人達を見た印象は、
「選ばれてその程度なの?」という印象でした。
正直、審査をせずに、
3000人の中からくじ引きで選んでもOKなんじゃないか?と思えるくらいです。
素人が素人集めて
オーデョションゴッコしてるようにしか見えなかった。
それで、選ばれて活躍したら「カリスマモデル」なんて言われて…。
しかも、カリスマと言われてても、
世界の本物の場で全く通用せず足元にも及ばない。また某TV局で行われている若手のお笑いや
音楽の登竜門的な番組で、オンエアーバトルというのがありますが、
その審査も素人だし
大晦日恒例の紅白歌合戦の審査も音楽に精通した人はいなく
音楽で言えば素人ばかり。
全てにそういう体質が蔓延している。私が、デザインコンペやイラストコンテストに参加しない、
あるいは参加しても本気にならない(なれない)のはその為です。
コンテストなどのイベントを盛り上げる為に、
メディアウケするように特別審査員と称して
芸能人や著名人
(全く畑違い)をゲスト審査員として呼び審査する。
審査を受ける側にとって、これ程の屈辱はないと思うが、
屈辱に思う程努力をしていないのか、それしかないからなのか、
そんないい加減な審査でも受けようとする人は減らないし
疑問にも思ってない感じです。そんな中、1つだけ見てて、ホッと安心出来る審査がある。
それは、「なんでも鑑定団」という番組です。
あの鑑定は、素晴らしいですよね。
良いなら良い理由、悪いなら悪い理由を適格に述べられて
誰もが納得出来る。そして、鑑定する先生方も、
その道で非常に詳しく分からないと言う事がない。
素晴らしいです。こういう話をすると、
中には「自分が好きなのだからそれで構わない。」
「楽しめればそれで良いじゃないか?」なんて言う人もいるのですが、
もちろんそれはそれでOKです。
お宝でも偽者でも本人が好きで納得していたら、
それはそれでお宝です。
しかし、審査するという事で言えば、
「自分の好き嫌いで納得してれば良い」
という訳にはいかないですよね。http://kbrand.blog9.fc2.com/blog-entry-162.html
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任天堂DSのCMで、
気になるソフト「えいご漬け」。凄く欲しいソフトなのだが、
私は任天堂DSの本体を持っていない。
「えいご漬け」のソフトの為だけに、
任天堂DSの本体を買うのはどうも…。それに、結構な値談するし、
任天堂DSの本体を買うのだったら、
まずプリンターやタブレット等、
先に買わなきゃならない物は沢山あるし…。
なんて、思っていたら友達が
Mac用の「えいご漬け」を紹介してくれた。正確には、Mac&Windowsのハイブリッド版ですが…。
それで、このソフトを調べると、いろいろと種類があるのですね。
正直、どれを買おうか迷ってしまいました。
結局、自分の英語のレベルに合わせて初歩レベルの
「えいご漬け」改訂版を買いました。このソフトって凄く親切ですね。
動作環境のMacOSは、クラシック環境(OS8.6〜)と
OSX以降の2つが用意されてるので、
クラシック環境の場合、今後、OSX環境にしようと思ってる人でも
安心して買う事ができるのが良いです。
プロユースの高額なソフトも、こういう心配りがあれば良いのに。早速インストールして試しに使ってみたら、
試しどころか、本気で3時間も熱中してしまった。
やり始めると時間を忘れてしまいますね。
ネイティブの撥音でなかなかまともに聞き取る事が出来ないけど、
生きた英語が身につきそうな予感。
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↑大根とネギ
(ねぶか)は鍋料理には欠かせませんね。
ひょんな事から「大根役者」と「ねぶか節」の話題となり、
言葉の意味は知ってるものの語源はなんだろう?って事になりました。
「大根役者」とは、演技力のない下手な役者のことで、
「ねぶか節」は音痴で下手な歌の事を意味しますよね。
それで、ちょっと調べてみました。大根役者の語源は、色々と説があるようです。
『大根が白いことから「素人」とかけたとする説』
『大根が白いことから下手な役者ほど白粉(おしろい)を
塗りたくるという事からの説』
『大根は滅多に食あたりしない事から「当たらない役者」の意味で
「大根役者」になった説』等、
正確な語源は未詳とのこと。ねぶか節は、「ねぶか」とはネギの事で、
ネギには「節がない」という事から
下手な歌は「節がない」にかけた言葉だそうで、
こういう言葉を最初に言った人は
感性豊かだなぁ〜。(笑)
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