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私がillustration誌を購読しなくなった理由

ザ・チョイス入賞作品【オ,ラ!】【コマイヌ】

【審査評】
方眼紙に色鉛筆という組み合わせは、一瞬すぐカッコイイものが出来そうな気がする組み合わせだが、実は、とても難しい。それを見事にクリアし作者のオリジナリティを持って、「弱いけど強い」魅力的なイラストレーションが出来上がっている。


ザ・チョイス入賞作品【サル】【富士サンの息子】【富士サン】【ファーストベース】【ウシ】

【審査評】
プリントアウトにイラストレーション。そして、このサイズ。(作品は全て10×13.8cm)全てにおいて、作者のセンスを感じる作品。今っぽくて楽しいし、個人的にかなり好き。


ザ・チョイス入賞作品【自分の部屋】【道】

【審査評】
ノートにマジックという一見イージーだが、まとめるのがとても難しい素材をセンスよく使いこなしている。日常的でありふれた素材で描いていながら、作者独特の世界観が構築されているところが素晴らしいと思う。


ザ・チョイス入賞作品【ケース】【除いた世界】

【審査評】
グラフィックデザイン的な視点と、アナログでデジタルな感覚がとても面白い。イラストレーションなのにロゴマークみたいな存在感がある。そこが好きだし、これからも伸ばしていって欲しいと思う。


ザ・チョイス入賞作品【無題】【無題】

【審査評】
非常にデザインセンスを感じるイラストレーション。少ない色数、構図の取り方、デザイン的な視点を持った表現で、今後の可能性を感じる。



上記の作品は、illustration誌(外部リンク)の「チョイス」という、毎号行われているイラストコンテストで入賞した作品です。作品は、全て同号で選ばれたものばかりです。

私は、2002年頃まで、ずっとこのillustration誌を購読してました。この本を初めて知った時から、バックナンバーも手に入るものは手に入れてました。それだけ、最初は魅力的な本でした。そして、多くのイラストレーターさんのバイブルにもなってたと思いますし現在もそうでしょう。更に、私も何度か、この「チョイス」にも応募した事もあります。

しかし、私はある時期からこのillustration誌に疑問を感じ始め、2002年頃…その疑問は確信に変わり購読を止めました。それから、たまに、書店でillustration誌を見つけるとパラパラっと目を通す事はしますが買う事はなくなりました。

先日、話題にした、1980年代のイラスト(当Blog内リンク)から、現在のイラストまでの流れを見ていて、本の内容が、明らかにお遊び的なイラストゴッコに感じるようになりました。
ここで選ばれたチョイスの作品を見ても分かると思いますが単なる落書きレベル。審査評を見ても、それっぽく後付けされた理解出来ない意味不明な理屈を並べてるだけ。
「「弱いけど強い」魅力的なイラストレーションが出来上がっている。」って、どういう事なんだ?「弱いけど強い」…弱いのか?強いのか?どっち!言うてるそばから、矛盾が出てきている。審査員の質に疑問を感じるし、単なる好みで選ばれてるだけ…。「今っぽくて楽しいし、個人的にかなり好き。」っていう言葉が、好みで選んでる事を物語ってますよね。

審査は毎回違う人が審査するのだけど、審査員1人の審査で、その人の好みによって、選ばれる作品が偏ってしまってる。上記の作品の作者は、違う人の作品なのに、審査員の好みで作品は全て似た感じのものが選ばれてます。作品の良し悪しで選ばれてるのではなく、審査員の好みでしかない。

「ヘタウマ」なんてイラストが流行り、誰もが描ける素人以下な作品がもてはやされ、そして、その作品に意味もなく御託を並べる。審査評が無ければ単なる落書き!その絵だけ見せられて本当に素晴らしいと感じてるのか?
私の目には審査評があっても落書きにしか見えない。本当に上手い絵よりも、このような絵の方が、アートっぽいと、或は玄人っぽいと思うのだろうか?そして、それを先生面した素人のような人が審査する。

以前は本当に上手い!プロだ!と思える作品が多く掲載されていたと思うし、私もそのようなイラストが描けるようになりたいと目を輝かせていたと思う。そして、よく真似て模写を描いていました。
しかし、現在は魅力のない素人以下な作品ばかり。この程度なら、私もイラストレーターになれるかも…?と素人さんが簡単に思えるような状態で努力もなしにイラストレーターを目指す人が増え悪循環になってるようにも思える。最初に良い本だと思っていただけに、凄く幻滅したんだよね。



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コメント


うわっ・・・・。

私も、この雑誌は偶に本屋で手に取ってみてましたが、
これは酷いですね・・・・・。(^^;

己を表現した芸術作品としては、
あまりにも軽すぎる印象ですし、
商用イラストとしては、使い道もないような気がします。

どういう意図で応募したのか、
どういう目線で見てもらいたいのか、
そういう内面がまるで伝わらない気がします。

私は、イラストを発注する側の仕事なわけですが、
このイラストをみて、仕事をお願いしたいとは、
ちょっと思えないですねぇ・・・・。

これも、私のセンスがないだけなんでしょうかね。

と、ちょっと皮肉を書いてみました。(爆)
kojiさんが買われなくなった理由、
なんだか、すごくわかる気がします。

審査評自体に全く説得力が無いですね。これで評価された人が、数年後に評価する側になって行くのでしょうか。やはり「○○じゃなくても良い」というタイプの方々なのでしょう。しかしプロには「○○じゃなくてはいけない」というものも絶対に必要です。上の審査評は、まるで全く褒めるところが無い作品を見せられた時に社交辞令で述べるような感じの文句ですよね。これを褒めるなら、他の何万という素人さんの作品も同じように褒められますし・・・。

これって日本の音楽シーンにおいても同じだと思います。それを個人的に好きであれば良いかという問題で済まそうとしている。それは「思い込み」でもOKなわけで・・・。変な意味で「芸術」ぶれば、芸術になってしまうけれど、あとに何も残らないし、こういうレベルのものがもてはやされて消えていく。もっと凄いものはどうなの?と音楽シーンでもやはり言いたくなります。ひとつのスタイルが流行れば、それしか存在しなくなる日本の業界はやっぱりおかしい。これでは何も育ちません。絵が描けないビギナーが最ももてはやされるような状況では。

ごっこ

♪しま さん

これらを選んだ審査員は、
有名なアートディレクターさんで、
株式会社博○堂を経て2000年独立された方です。(汗)
更に、某NHKの番組
「プロフェッショナル~仕事の流儀~」にも登場された方です。
学歴、経歴は、その世界を目指す人なら
憧れを抱くような経歴ですが、
中身を見て、「えっ?この程度??」って感じです。

仕事量は私などとは比べ物にはならない数を
こなしてるかも知れませんが、
こういう人達が、経歴にあぐらをかき、
世の中に酷いものを作り出してる人なのかなと思いました。


♪morito さん

「チョイス」はイラストレーターの
タマゴやヒヨコの登竜門的なコンテストですからねぇ。
illustration誌にはかなり幅広いコネクションがありそうだし…。
「チョイス」で入選した人達は、仕事がつきやすいようです。
名が売れて活躍してるイラストレーターの経歴を見ると、
大概、この「チョイス」で入選したという経歴に当たります。

だから、この落書きのような作品で選ばれた人達が、
この先、審査員として戻って来るという事は
十分に考えられます。
そして、同じように酷いものが選ばれ、
同じ事が繰り返されていくのでしょう。

更に信じられなかったのが、
いつだったか立ち読みで目を通してた時、
チョイスの審査員が、
絵と全く関係ない某ミュージシャンが審査してました。
それも、単なる好き嫌いで選ばれていましたよ。

「チョイス」で入選しようと思ったら、
良い作品を創るのではなく、審査員を調べ、
その好みに合わせた絵を描けば入選しやすいですよ。
幸い、illustration誌に
“次号の審査員は○○です。”と発表がありますから。(呆)

このblogで普段から言ってる当たり前の事

「プロフェッショナル~仕事の流儀~」での言葉
-------------------------------------------------------
~最も困難な道を選ぶ~
○○は決断するときいつも、難易度が高く、
ごまかしがきかない方向に自分を持って行くと言う。
そのうそをつかないこと、潔いことが、
強い表現を生むと信じているからだ。
広告は、数多くの企業が競争する最前線の現場。
その競争の現場で、アイデンティティーを否定されないような、
強い表現は困難な道の先にしか待っていない。
はじめて工業デザインに取り組んだ携帯電話の広告は、
考え続けた末に、キャッチフレーズもなくタレントも使わない
商品写真だけの非常に難しい広告に挑んだ。

-------------------------------------------------------

色文字の部分。
これが最も困難な事だろうか?
私はそれが当たり前の事だと思ってます。
安易にタレントを使う事が酷すぎる状況なのだと思う。

酷いものが蔓延っていても、それを(データ的に)世の傾向として、それを元に身のふりを考えてしまう業界。とある場所で、現場で活躍中のクリエイターの見解を見ましたが、法則とか傾向の理論ばかりで、自分たちが作ったものを「否定して行く」ような事が述べられており、そんなだから日本の現場(文化)は何も積み重ねが無く、使い捨て文化になって行くのだと確信してしまった次第です。自分で何が良いのか解かっていない人達が作っているのですから当然です。しかも作っている人達がその権限を良いように利用し、一般人の感性を見下しているような感じ(「与えてあげる」的)ですから。そんな人達の一方的な机上の理論を聞くのはもううんざりです。常に一時的で何も残せず、文化力の無い人達のたわごとに過ぎません。

昨日不在でしたので遅いコメントで恐縮ですが。
で、もしかして以前書いたことがあるかもしれませんが(汗)、私は昔某大手出版社の主宰するイラストコンクールに応募したことがあります。
後日そこから連絡が来て一度お会いしたいといわれ、バカな私はいそいそ出かけていきました。
当然、お仕事の話とかそういうのではなく、そこのイラストの通信講座の勧誘でしたw
でもひがみから言うのではなく、営業マンの「うちで講座を終了したら必ず仕事を出しますよ」という言辞にもかかわらず、その通信講座を終了した人たちのプロの仕事をいくつも見せられて思ったことは、「お金払って受講したあげくこういうものを描くようになるなら受講したくない」というものでした。ええ、繰り返しますがひがみではありませんよ(笑)。
面白くない。老若男女すべてにそれなりにウケそう。どこからもクレーム来なさそう。それだけの作品が、ずらずら並んでいたのです。たしかにクライアントからしたら安パイです。
上記illustration誌のことは知りませんでしたが、今出版社ってどこまで本気で人材発掘(育成)をしようと考えてるのでしょう。人手は確保しようとしているようですが。

ゆるゆるな環境

♪morito さん

そうなんですよね。
酷いものでも、データを元に行動し、
そして、データが全てのように信じて疑わない。

データを元にというのは、

>「チョイス」で入選しようと思ったら、
>良い作品を創るのではなく、審査員を調べ、
>その好みに合わせた絵を描けば入選しやすいですよ。


私が皮肉で言った、この言葉と全く同じ事ですよね。
良い物である必要がない。

そして、その皮肉は、
moritoさんの言うこの部分。

>現場で活躍中のクリエイターの見解を見ましたが、
>法則とか傾向の理論ばかりで、
>自分たちが作ったものを「否定して行く」ような事


「いいものを創ろう」という欲を捨てる所から始まる。
「いいもの」は、所詮自分の記憶の中にある、
好みを追っているに過ぎず新鮮味が無い。
時代は動いているから人の嗜好も変わる。
だから制作者は真っ先に過去を捨てていかなければいけない。
つまり自分のデザインに誰よりも早く飽きる事が大切。


こう言った類いの言葉ですね。
だから、酷いものにも平気で肯定出来るし、
「良いものである必要がない」と平気で言える。
そして、上記コンテストの落書きのような作品にも
【審査評】のように最もらしい意味不明な理屈で強引にこじつける。
世の中にヘドが出そうなデザインが蔓延してる理由もよく解った。

そもそも、これは、
良い物が何か理解出来てない人の言葉に過ぎない。
こういう言葉を発する人に問いたい。
世の中には、時代を超えて語り継がれる良い物が沢山ある。
それらが何故今日まで残り更に未来に次がれようとしてるのか?

結局、『「いいものを創ろう」という欲を捨てる』というのは、
「いいものを創る事の出来ない」という力の足りなさへの
言い訳の言葉に過ぎない。
そう言わないと、自分自身が否定されてしまうからでしょうね。


♪南河内郎女 さん

某大手出版社…講●社かな?
私も何度か応募しましたよ。
一度入選させてもらいましたが…。(笑)

南河内郎女さんの言われる通り
本当にプロを求める為のコンテストではなく、
アマチュアのイラスト好きを集めて
イラスト教室ゴッコをしてる印象にしか感じなかったなぁ。
コンテストという名の個人情報集め。
そして、落選者に、
『悪くはない。後もう少しのところで入選でした。』
というような言葉でその気にさせ、
更に、講座を受講すると、
目まぐるしい勢いで伸びますよ。みたいな勧誘で
通信講座を受講させるのじゃないですか?(笑)
講●社の場合受講しても、
大きな仕事に就けてないみたいですけど…。
そして、卒業生の作品もショボい。

illustration誌は、
本気でイラストを学ぶ人達が、よく読んでた雑誌です。
隔月発売で、1冊2,000円ぐらいで結構財布にキツかった。(笑)
ちなみに初回のチョイスでは、日比野克彦氏が入選してます。
他に、佐々木悟郎氏、木村きつこさん等入選してます。

>「いいものを創ろう」という欲を捨てる所から始まる。
>「いいもの」は、所詮自分の記憶の中にある、
>好みを追っているに過ぎず新鮮味が無い。
>時代は動いているから人の嗜好も変わる。
>だから制作者は真っ先に過去を捨てていかなければいけない。
>つまり自分のデザインに誰よりも早く飽きる事が大切

上の文章をすべて逆さまにすると僕自身の考えになります↓

「いいものを創ろう」という欲からすべてが始まる。
「いいもの」は、大勢の人達の記憶の中にある、
好みを追わなくても新鮮味は出せる。
時代は動いていても人の本質的嗜好は変わらない。
だから制作者は過去を捨てる必要などない。
つまり自分たちのデザインを積み重ねる事が大切。

プロより厳しい目を持つ一般人

♪morito さん

良い物を作る事は、
誰が考えても当たり前の事だろうと思います。
良い物を否定し、それが型破りな独創的な発想…
と考えてるとすれば、
未熟でクリエイターゴッコしてる
素人以下の何物でもないでしょう。

http://kbrand.blog9.fc2.com/blog-entry-734.html

私が過去感じたジレンマ。
>アーティストあるいはクリエイターと呼ばれる人は、
>人と違った感性を持ち、人と同じ事をするのは、
>アーティストやクリエイターでない。
>と思ていた時期があります。
>当然、人と違う事を求めて活動していたら、
>確かに一般の人達とは一風変わって違ってるのだけど、
>何故か、
>他のアーティストやクリエイターと同じになっていて、
>アーティストやクリエイターという
>変な浮いた集団の中の1人に思えてきたんだよね。
>常識はずれで世間の感覚と外れて浮いた存在の塊。
>それって、世間知らずのタダのバカじゃん!


まさに、
この常識はずれで世間の感覚と外れて
浮いた存在の塊という状態。
だから、何も見えてないし、
自分の範囲の事でしか考える事が出来ない。
それなのに、自分以外は全て見下す。
一般人は、そんなに深いところまで見ていない。
と、言い切れてしまうように…。
プロより厳しい目を持つ一般人なんて五万といる。
そういう事すら見えなくなっている。

そんなクリエイターがゴロゴロしてる。
だから、酷いものが蔓延して当たり前ですよね。

おっしゃる通り講●社です(笑)。そしてKOJIさんのお話にあったような経過がありました。

>講●社の場合受講しても、
大きな仕事に就けてないみたいですけど…。
そして、卒業生の作品もショボい。

そう思いました。もしいいものを持ってたとしても、受講中に矯め直されちゃうんだろうな。



潰される才能

♪南河内郎女 さん

>もしいいものを持ってたとしても、
>受講中に矯め直されちゃうんだろうな。


それは、私も思います。
今までにも、何も分からない先生ぶった人達に、
多くの才能が奪われて来てると思います。
今回取り上げたチョイスの件でも、
こんな落書きが選ばれ、
もっと、まともな人達(良い物)は落とされてるのでしょうし、
才能が奪われたようなものですよね。
仮に入選しても、
バカな人達の手によって、その才能が潰されていく。

駄目な理由を外から知る

http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-777.html
↑「リセット」とか「否定してみる」とか簡単に出来てしまう人達
の考え方が解ったようで、ある意味日本の現場が駄目な原因を探し
当てる事が出来た気分です。築いているものが無ければ、毎回リ
セット出来ちゃうわけで・・・というよりリセットするしか無いの
でしょうね。でも、そういう人達の主張って必ず矛盾があるし、単
なる馴れ合いで繋がってるだけだと思います。築いている人達や築
いたものを大切にしている人達の現場を知らないからリセットなん
ていう破壊的な事が出来るのではないでしょうか。否定も理論なら
肯定も理論で、実際に起こっている継続的結果は常に無視なのです
よね。常に一時的。それが一番簡単だし、その都度言い訳は変えら
れるわけですが。

自分中心

♪morito さん

全ては自分中心的な考え方ですよね。
良い物が分からないから、平気で壊す。
そして、自分たちの分かるレベルの物を創る。
だけど、そんなものが良いわけもなく、
結局、また壊して創り変える。
その繰り返し。

>否定も理論なら肯定も理論で、
>実際に起こっている継続的結果は常に無視なのですよね。
>常に一時的。
>それが一番簡単だし、その都度言い訳は変えられるわけですが。


まさに、その通りだと思います。

例えば、
難しい勉強に取り組んでいて、問題が分からないと、
問題が悪いと、その問題を捨てる。
そして、自分の分かるレベルの簡単な問題しか見ようとしない。
簡単な問題を解くと飽きて、
次の同レベルの簡単な問題に取りかかる。
いつまで経っても難しい勉強は分からないままだし、
分かろうと努力もしない。

そんな人は、
既に難しい勉強に取り組み理解してる人の気持ちなど、
絶対に分かる事は出来ませんよね。
そういうのと同じ事なんだろうと思います。

よくタモリが、ミュージカルの話題になると
『ミュージカルの何処が良いのか分からない!』
って自慢気に言ってますけど、
世界中にはミュージカルを楽んでる人は沢山いる。
しかし、自分が理解出来ないからと言って、
ミュージカルを否定する。
自分の理解する受け皿の小さい事は棚に上げて…。
そして、ミュージカルの分からない自分を正当化する。
そんな状態で、良くなるわけないし成長出来るわけがない。

そして、自分たちのレベル以外の事は、
大衆離れした自己満足な芸術と言ってたりする。(汗)

どっちが自己満足なんだ???

「弱いけど強い」とは画材の弱さと表現の強さでしょう
アカデミックな絵画の素養が作品に見てとれます。

日比野克彦の名を挙げていますがどいいった意図なんでしょうか。
彼の作品こそ「弱いけど強い」といったたぐいのものですが。
彼も藝大出身でアカデミックなロジックで作っていますね。


KOJIさんの作品を見ると画材や表現に対する無自覚がよくわかります。
そういった方によくある特徴は、CGに移行した際の画材に対するなんのエクスキューズもない表現、それによる作品の緊張感の無さです。


>よくタモリが、ミュージカルの話題になると
>『ミュージカルの何処が良いのか分からない!』
>って自慢気に言ってますけど、
>世界中にはミュージカルを楽んでる人は沢山いる。
>しかし、自分が理解出来ないからと言って、
>ミュージカルを否定する。
>自分の理解する受け皿の小さい事は棚に上げて…。
>そして、ミュージカルの分からない自分を正当化する。
>そんな状態で、良くなるわけないし成長出来るわけがない。


これってまるっきりあなたの事ですよね
理解できないものを「酷いもの」と断じて自分を正当化する。
そんな状態で、良くなるわけないし成長できるわけがない。

ご自身の「好み」を本質的嗜好と都合よく言い換えることからまずやめたほうがいいでしょう。
本質とはアカデミズムです。

あなたは元はプロだったようですが、見る目はもちろんのこと、そもそも勉強がたりていません。

矛盾

こういうのが素晴らしいと無理矢理感じようとしてる玄人面した素人が審査された方の反論かな?
それにコメントは分かりやすくお願いしますよ。
プロっぽさを意識される方は、変に理屈っぽいし分かりやすさよりもカタカナを多用し言葉を濁す風潮にあります。私は見る目も勉強も足りてないので教えてください。

「アカデミックなロジックで作っていますね。」ってどういう事ですか?
ぼやかさずに言えば「学術的な論理で作ってる」って事なのでしょうが、私には日本語ではっきりさせても意味が理解出来ません。
きっと、それはあなたが意味も理解せず何となく雰囲気で使ってる言葉だからでしょう。日本語にすると余計に意味不明になってしまうのでしょう。
本質はアカデミズムですって、言葉もそうですね?
アカデミズムって学術的や伝統的という意味合いですが、本文中で紹介してるイラストが学術的や伝統的とは微塵にも感じられません。
おそらく自分でも説明する事の出来ないカタカナ用語を何となくソレっぽく感じるように語られてますが、捉える側で意味が多様化するのであれば、説明にはなりませし、そう言うところまで意識出来てないと話になりません。
このようなイラストを認めようとする人達は結局自分達の肩書きが邪魔をして素直な目が持てなくなっているという事を認識して欲しいと思います。

更にタモリのくだりですが、笑わせて頂きました。
タモリの言う「ミュージカル」と私の言う「下手なイラスト」を同じ土俵に上げられるとは…。
タモリの言う「ミュージカル」は良いミュージカルや悪いミュージカルを含め全てのミュージカルについて語られてるのですよ。
私はイラスト全体の良さが分からないとは言ってませんよ。酷いイラストに対して酷いと言ってるだけで、酷いものを肯定する為に無理矢理タモリのくだりを持ってくるとは…。呆れてしまいます。意味が違うっちゅうに。

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