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情報の何を信じるべきか…

情報

このブログにもリンクさせて頂いてる、福岡県在住のG・デザイナーのしまさんが綴るブログ創作日記の記事「どっちが正しい?(クリック)にコメントさせてもらったのですが、私も、同様に思うところがあり、記事を書かせてもらいます。

現在は、情報が溢れていて、欲しい情報は比較的簡単に手に入れられるのですが、逆に、間違った情報も同時に沢山溢れてるわけでして、正直、何が正しくて何が嘘なのか分からなくなってきてるのではないでしょうか?本来ならば、メディアが正しい情報を発信していくべき事だと思いますが、そのメディアも情報に翻弄され目的を失ってしまったり…。

例えば、ここで紹介する、武田邦彦氏(クリック)の書かれた、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』という本ですが、今までの私たちが当たり前と思っていた情報が覆されてしまう本です。しかも、読めば読む程納得出来てしまう。

「錦の御旗と化した「地球にやさしい」環境活動が、往々にして科学的な議論を斥け、人々を欺き、むしろ環境を悪化させている!」…と、地球環境問題に対して今までの情報に対し異論を唱えてるわけです。そして、【環境問題は人を騙しやすい!】と豪語する。

資源7倍、ごみ7倍になるリサイクル、猛毒に仕立て上げられたダイオキシン、地球温暖化を防げない京都議定書。環境問題は人をだましやすい!「故意の誤報」を明らかにする、安易なリサイクル推進運動に警鐘を鳴らす書。…と、読んでいけば行く程、今までの情報は何だったのかと思えてくる。

しかし、私には、この本を読んでも、今までの情報とこの本の情報のどちらが正しい事なのか判断しかねるのです。全く正反対の情報なのだけど、どちらが正しいのかジャッジは出来ない。これが情報の恐ろしいところでもあるような気がする。そして、私が思う事は、こういう情報に対し、いつも現場の声が入ってない事です。

資源7倍、ごみ7倍になるリサイクル…安易なリサイクル推進運動に警鐘を鳴らす…。机上で考えた情報で「うんぬんかんぬん」と言うよりも、リサイクルならリサイクルの現場で実際に作業してる人達がそれが正しい事なのか、それとも良くない事なのか、一番理解出来てるはずだと思うのですけどね。体感で身をもって知ってるはずだと思う。

私たち、デザインの現場で言える事は、再生紙を使って印刷する場合、新品の紙に比べて再生紙は紙代が高いと言う事。それはパルプから新しく紙を作るよりも、再生紙の方が作業工程が多く手間がかかるから…と製紙業者から理由を聞かされてます。再生紙として生まれ変わる古紙は、当然印刷等が施され、真っ白な紙じゃないですよね。本来の紙と余分なインクを分離させなければ、次に使える紙に再生出来ません。当然、その為には、本来の製紙には必要のない工程として、特殊な薬品を使い、インクを取り除く作業をしなくてはなりません。この作業で生じる害と新たにパルプから紙を作る際に生じる害のどちらの害が大きいのか私には解りかねます。だけど、紙を作ってる現場は、この答えが解ってるはずだと思います。何故か、そのような現場の声、現場の情報が、上がって来てない気がします。それは、意図的に情報操作されてるという事なのかなぁ?


ある建築家の方が、建築を語る時にこのように言われてました。「現場よりも“学”が栄えると、建築は滅びる。」…と。そして、この言葉を元に、その言葉を言った建築家を捜してのですが、日経ビジネスオンラインの記事(クリック)を偶然見つけました。

研究も、仕事も、経営も、現場から始まって現場に終わる。ビジョンと現場がすべての出発点だ。いくら現場志向でもビジョンがなければ、つまらないその場主義の成果になってしまう。イノベーションは研究室よりも、むしろ現場から生まれる。翼理論が完成したから飛行機が発明されたのではない。飛行機が発明されたから、翼理論が発展したのである。

※イノベーション
新製品の開発、新生産方式の導入、新市場の開拓、新原料・新資源の開発、新組織の形成などによって、経済発展や景気循環がもたらされるとする概念。



探してた建築家は結局誰か解らないままです。まぁ、建築家が誰かと言う事よりも、その方の発言された言葉が重要なのでどうでも良いですけど。(^_^;)








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>「現場よりも“学”が栄えると、建築は滅びる。」

デザイナーが「美しく見える物の比率」とか「買わせるデザイン理論」とか、机上の法則ばかり求め続ける事を「勉強」とする、まるでそんな感じですね。参考書を買えば勉強した事になってしまう。

誰かが実行して、その結果を記すのと、その結果だけを読んで「結果を知っている」とするのとでは全く意味が違いますよね。

「納豆で痩せる」→「納豆で痩せるという放送はねつ造だった」→「納豆は太る」みたいな事でさえ、こんなに情報が好き勝手に流れるんですから、たまったもんじゃありません。

強いメッセージ

♪morito さん

>「現場よりも“学”が栄えると、建築は滅びる。」

この言葉は、我々の業界への
強いメッセージのような気もします。
情報発信ということでは、
クリエイターの重要な核でもあると思うのですが、
そのクリエイターが、情報を疎かにしてる感じがします。

「あるある問題」にしてもそう。
これを単なる関西テレビ(フジ系列)だけの問題ととるか、
我々デザイナーも含めたメディア全体の事としてとるかで、
今後大きな差が出て来るでしょう。
だけど、メディアほとんどで考えても、
関西テレビ(フジ系列)だけの問題として
捉えられてるんじゃないかな?
そのような気がします。

私は、このブログなど様々な場で発言する時、
自分の経験(現場)を素に発言してます。
そして自分の知らない事は、
ほとんど発言してないつもりです。

よく、クリエイターさん同士と討論になった時、
相手の方から、
「経験してないと(知らないと)
発言してはならないのか?」
なんて乱暴に問われたりする事がありますが、
私は発言は自由で、
誰もが好きに話すれば良いと思ってます。
しかし、
「経験して解ってない事は
話したくても話せないでしょ?」
…って言うのが、私の思いです。
しかし、
経験して解ってないのに平気で話せる
クリエイターさんが案外多いのです。

これって、「あるある」の問題と何が違うのでしょうね?

>「納豆で痩せる」→「納豆で痩せるという放送はねつ造だった」→「納豆は太る」


これもそうですよね。
「納豆で痩せれない」と言う事が、
どう考えたら、「納豆は太る」と言い切れるのか…。

そして、理論が先に立つと、考える視野が狭くなります。

そりゃそうでしょう、この世の中では、
科学で解明されてない事の方が多いのですから。
何か解らないけど素晴らしい
という理屈では考えられない事の方が多いはずです。
理論が先に立つとそういう解らない考えは、
一番に消去されてしまいますから、
どんどん可能性を消し去ってる事になりますもんね。

数字だけの評価と言うのも
結局そう言う事なんですよね。

TVや本で得られる情報って、
本来そんなに価値があるもんじゃないような気もします。

問題は、そういったメディアの情報が、
あたかも価値がある情報のように感じてしまっている事・・・。
何処かしら、メディアの情報に頼りすぎてるのかもしれませんね。

そういった情報って、あくまでも予備知識にしかなりませんし・・・
予備知識と知識って違うような気がします。

例えば、数学なんかでも、
答えを教えて貰うのと自分で数式を解くのでは、
同じ答えを知っているでも、
応用範囲が違うのと同じだと思います。

確かに良いデザインをつくると言う観点から考えたら、自分で多くの感動体験をすることが、非常に大事だと思います。それはデザインが事実を知ることというよりも、価値を生み出すというのが本質だからです。

ですが正しい情報を取捨選択するという点のおいては、体験で得た結論が必ずしも正しいとは限らないという事を自覚する必要があると思います。人間は体験だけでは地球の周りを太陽がまわっていると思うし、地球は平らだと感じてしまいます。量子力学や相対性理論の世界では、人間の直感や理性ではなかなか納得できないような体系であったりします。事実を知るという観点においては体験だけでは不十分だし、時には体験や思い込みや偏見や願望が邪魔をすることも多いからです。

研究室から飛行機が生まれたわけではないでしょうが、きっかけはなんであれ、研究室が無ければ生まれなかったと思います。

確かにあるアイディアは、研究室から生まれるかどうかは分かりませんが、そのアイディアが正しいかどうかを確認するには研究室で徹底的に実験をしてデータをとって多くの科学者が追試を行って情報の確度を上げるという地道な確認が不可欠です。また、現場に限らず様々なアイディアが色んなところから生まれますが、そのようアイディアが実は全く事実として価値が無いものであることが判明するケースの方が圧倒的に多いです。それを確認するのは研究室です。逆に言えば、研究室で行われていることは、頭の中で理屈をこねているわけではなく、実際に本当にそういった現象が起こるのか、その現象を起こしてみて確かめているわけですから、研究室も現場と言えると思います。

ここが答えがある事実命題と答えが無く自分たちで創りだす価値的命題の違いだと思います。クリエイティブのような答えの無い価値的命題において統計データなどはあまり役には立たないというのは同意です。ですが、事実命題においては統計データだったり実験だったりで、誰がやっても同じ結果が出る事実を丹念に積み重ねて1つの揺ぎ無い結果を導き出そうとする意志はとても大切な事です。クリエイティブのような価値的命題と科学的な検証が必要な事実命題をごっちゃにするのは危険だと思います。

近頃は科学の色付けをされたまがい物の情報に溢れているので、全く正反対の主張がどちらも科学的に立証された確かな情報であるかのように見えることって沢山あります。今回kojiさんが紹介してくれた本もまさしくこれですよね。
こういった玉石混交の中から玉を見つけるというのはやはり「健全な」懐疑精神を持つということだと思います。「健全な」と付け加えたのは、疑いすぎて何の結論も下せないのも、それは行動麻痺でしかないからです。判断がつかない時は「分からない」としておく。現状ある程度判断材料がそろっている場合は、その手に入る情報の中で一番確からしいと思われる情報を真実として結論付ける。しかしそれは暫定的なものであると自覚し、その結論に固執せず、より確からしい情報が手に入れば、いつでも修正できる準備をしておく。人間の理性や知性、直感等にある一定の信頼を置きつつも、我々の判断が常に誤謬の危険を孕んでいることを認め、その警戒心としての懐疑精神を持つということです。そうやって自分の判断に間違いが含んでいる可能性を認め、そしてその間違いを減らしていく方向で進むことを目指す。こういう態度が、多くのまがい物の情報の中から正しい情報を出来るだけ選び出すための基本的なスタンスだと思っています。

結局は情報を受け取る側としての姿勢なんですよね。1gさんの「体験で得た結論が必ずしも正しいとは限らない」というのももっともなんですが、「情報と接する事」とか「情報を求める事」も自身が起こす行動及び体験であって、「体験」や「感覚」は必ずしも外からの情報に頼らない独自の発見という意味だけでは無いですよね。
僕も「健全な懐疑精神を持つ」「判断がつかない時は"分からない"としておく」はとても大切な事だと思います。ただ厄介なのは、どんなに健全じゃない懐疑行為をする人でもそれが「健全」だと思ってやっていたり、「分った」と思っているから「分らない」とはしないところなんですよね(ため息)。偏見を持つ人が「偏見ではなく事実」とするのと同じで。
例えば「ビタミン入り炭酸飲料は体に良いか」みたいな事。良い部分をTVで紹介すればスーパーで売る切れ続出。しかし良くない部分が無いわけじゃないので当然問題点として出て来る。トータルで受け取り、良い部分も悪い部分も認めてうまくつきあう事が必要なのに、部分的に取り上げて自ら振り回されるのが賢く無い情報の受け取り方ですよね。

体験するという事

♪しま さん

>TVや本で得られる情報って、
本来そんなに価値があるもんじゃないような気もします。


そうですね。
昨日の「あるある」の検証番組見てても、
番組の情報の元はネットから始まってますし。
結局の所、元情報があってのTVでの放送です。
ただ、その元情報を検証する際に、
捏造が行われた訳ですし…。
検証しそこで誤りの情報と解った時に
引き返す時間がなかったというか、
最初からそのネット情報が正しいものと
信じてる所に落ち度があるわけですよね。

それに対し、
更に視聴者が情報に振り回されてるわけです。
番組を作る側が情報に振り回され、
結果、視聴者も情報に振り回され…。
因果なものですね。


♪1g さん

ん〜、
言われてる事は同じですね。(^_^;)

研究が必要か不要かという事で言わせてもらうと、
間違いなく必要ですよね。
当然、研究があるからこそ進歩するわけですから。

ただ、研究が先走りと言うか、
理論だけで完結し、実験すらしなくなるようでは
ダメという事を、建築家の方は
「現場よりも“学”が栄えると、建築は滅びる。」
という表現をされ、
日経ビジネスオンラインの記事では、
飛行機に例えて話されてるのだと思います。

事実、最近では、
体験もせず、頭の中の理論を実験もしないで、
論じたり行動に移す人は、
多く見受けられるように思いますから…。

特に、国会の答弁等…。(汗)

思い込み

♪morito さん

>ただ厄介なのは、どんなに健全じゃない懐疑行為をする人でもそれが「健全」だと思ってやっていたり、「分った」と思っているから「分らない」とはしないところなんですよね(ため息)。偏見を持つ人が「偏見ではなく事実」とするのと同じで。

確かに、このような方多いですよね。(^_^;)

私も、「正しいと思ってた事が、
調べてみると間違ってた。」
というような場面によく出くわします。

正しいと思っててもそのまま突っ走らず、
立ち止まって確認するから
気が付く事が出来るわけだしね。(^_^;)

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