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CMディレクター 故 杉山登志 氏の言葉

メッセージ
毎日放送

リッチでないのに
     リッチな世界など分かりません。
    ハッピーでないのに
        ハッピーな世界などえがけません。
 「夢」がないのに
    「夢」をうることなどは…とても
嘘をついてもばれるものです。


このメッセージを残して、1973年、37歳の若さで自らの命を絶った。



8月28日(月)に放送されたメッセージ~伝説のCMディレクター・杉山登志~。(外部リンク)より。

このドラマによって、この言葉の重みを受け止めてくれる人が沢山います。だけど、この言葉に近い事はこのブログでずっと伝えて来た事なんだけど…。無名の私じゃ説得力がないみたい。同じクリエイターからは、反感かっちゃう言葉なんですよね。(^_^;)

私も、この年になって、故 杉山登志 氏と同じような考えに苦悩しています。ある意味、厄介な世界に足を踏み入れたものだと実感しています。始めは、絵が描きたいという些細な事で、この世界に入ったけど、表現を追求すると、物知りじゃなければ務まらない。

物知りになる為には、いろんな経験をしないとダメ。その事に本当の意味で気がついたのは会社を辞めフリーになってからの事です。イラストレーターは絵が上手いだけじゃ務まらない。デザイナーは、パズルのように表面的に、文字や写真を並べ替える作業だけじゃ務まらない。多くのクリエイターが、このドラマで言うところの「嘘をついてるクリエイター」になってしまってる。

私もかつてはそうだった。今も生活の為、嘘をつくようなデザインを妥協して創ってる時もある。そして、過去私も、その嘘をつく理由をドラマと同じように時間のせい、また予算のせいにしていたりする事もあった。その事に気がついた時、私は凄く恥ずかしかった。

では、当時、時間と予算がきっちりあれば、本物を創る事が出来たのか?その時の自分では、きっと出来てないと思う。時間の使い方も予算の使い方も知らないのだから。

会社に缶詰となり、ただ紙面上のパーツをパズルのように並べ替えてるだけ。高級といわれれば、パターンのように飾り罫をあしらう。安売りと言われれば、バクタンを派手に扱う。本当の事は何も知らないのに。

今は本物が創れるよう頑張ってるが、本物を目指すと、なかなか仕事がなく、相手にもされなくなる矛盾…。生活の為にとこだわりを割り切り、妥協すれば仕事にありつける矛盾…。そんな現在だけど、やっぱり、本物にこだわり追求していきたい。何故なら、それが当たり前の事だから。

皆がそうだからと、皆に合わせて嘘の仕事してたんじゃ何の為のクリエイターなのか?そういうクリエイターの方が、今は少ないのだから。



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コメント


>今は本物が創れるよう頑張ってるが、
>本物を目指すと、なかなか仕事がなく、
>相手にもされなくなる矛盾…。

これはきっと矛盾じゃなくて、狭間に居るということなのだと思います。本物を必要とする人達からは求められず、本物じゃなくても良いという人達からは「本物など求めてくれなくても良い」と言われている状態。上を目指せば必ず経験する狭間だと思います。

>物知りになる為には、いろんな経験をしないとダメ。

いろいろ経験するという行動が「絵のクオリティのために」と思うと、まだ下心があると思うんですよね~。好奇心旺盛だったり、本当にクオリティの高いものを愛してる人達は、下心が無くてもすでに行動してしまっているし、自然に知識と経験を身につけていますから。物知りな人達というより、価値を認め、それを当たり前に楽しんでいる人達という感じなのだと思います。仕事だからリサーチする、みたいな偽物の情熱じゃない。

嘘じゃない仕事をするのって、きっと周りの本当の情熱を持った人達から「本物」と認められる事なんじゃないかなと思います。

無意識が本物…

>いろいろ経験するという行動が「絵のクオリティのために」と思うと、まだ下心があると思うんですよね~。

そうですよね。
今日のTV番組「なんでも鑑定団」で言われてました。
骨董等求める時に、これはお宝になるかもと、
やましい心があると本質を見極める目が曇り、
そのものの価値が分からなくなる。…と。

頭の中が欲望に夢中になり、
感動出来る物も感動出来なくなる。
まさに、その事で、
「本当にクオリティの高いものを愛してる人達は、
下心が無くてもすでに行動してしまっているし、
自然に知識と経験を身につけている。」
という事ですよね。

そうなると、
自分の好きな分野に携わって仕事をする事が一番なんだよね。

デザイン会社や代理店の様に、
様々な職種のクライアントを相手にしてるという事は、
結局、どうやっても本物にはなれない。

自分の好きな分野、趣味の分野とかになれば、
知ろうと思わないでもいつの間にか知識が身に付いてるし、
そういうのが結局本物なんだろうなって思います。

グサッっと

突き刺さるような話ですね。

私は番組のほうは見てないのですが、
>リッチでないのにリッチな世界など分かりません。
このコピーは、結構胸が痛いですね。

私自身、地方の小さな広告代理店での勤務なので、
結構、本職以外に色々なことをさせられます。
その中で、コピーを考えることもがあり、
使ったこともない商品のコピーや、
食べたこともない食べ物のコピーなどを、
書かせられることがあります。

味を知らないのに、味は語れませんよね・・・・。

で、結果として、どうにでもとれるような、
曖昧なコピーで落ち着かせる事になります。
しかしクライアントも、それを解っていて、
商品サンプルなり何なりを渡してないわけですから、
逆に言うと、そこで話をしても、先に進まなくなります。

いいものを作ると言うのは、クリエイターだけスキルの問題ではなく、
クライアントも含めた二人三脚じゃないと良いものは作れないんですよね。

そういう事を解ってくれないクライアントが悪いのか、
それとも、自分自身の説得力がないのか・・・。
結論から言うと、両方なんでしょうけどね。

まだまだ、頑張らにゃぁいかんと、つくづく思います。

「リッチ=金持ち」という意味もありますが、「リッチ=豊か」と捉える方が良いと思います。金を持っていても心や感性が豊かとは限りませんから(^_^;) そして両方の意味の「リッチ」な人達が何に金を払うかというと、やっぱり「価値」なんですよね。その「価値」を知る事が出来れば良いのだと思います。もちろん空想ではなく、体感することが必要ですけど。「自分の作品は価値がある」とひとりで言い張ってもダメです(笑)良い物は求められる。求める人達のレベルを自分のレベルのバロメータにして、とにかく価値を高めて行くしかないでしょうね。やはり「価値」を知らないと何も出来ません。

>使ったこともない商品のコピーや、
>食べたこともない食べ物のコピーなどを、
>書かせられることがあります。

僕も駆け出し時代から、そんなのばかりやってました。フレンチ・レストランなどろくに行った事もないのに、「フレンチのメニューは作った事あります。任せてください」なんて自信持ってました・・・いま考えるとどんなにお粗末な薄っぺらなものだったか・・・恥ずかしいです。ちゃんと自分が客になって、金を払わないと、自分が何の価値に金を払っているのか体感出来ないんですよね。「フレンチは高いからあまり食べない」なんていう自分が、金を払う人達を満足させる事などとても・・・。良い物はレイアウトのテクニックで決まるなどと自分の力を過信していました。客を馬鹿にしていますよね(^_^;)

>いいものを作ると言うのは、クリエイターだけスキルの問題ではなく、
>クライアントも含めた二人三脚じゃないと良いものは作れないんですよね。

デザイナーが中心になって一人で大体仕上げてしまうような仕事のように、「(デザイン・ワークにおいて)自分が一番偉い」みたいなポジションで仕事をすると、必ず何か麻痺して来ると思うんです。で、クライアントを納得させるとか、クライアントの言いなりになるとか、その辺のレベルの仕事になってしまう。そこまでが二人三脚だと思うんですが、デザインをする時に一番自分の気持ちがリンクすべきなのはクライアントよりも世間のより高いクオリティを求める人達であるべきで、彼らの求めるものにクライアントもデザイナーも一緒になって三人四脚、四人五脚になって行くべきなんですよね。

確かにそういう事を解ってくれるクライアントばかりでは無いですけどね・・・。デザイナーも、クライアントも、そしてエンドユーザーもピンキリですから、より高いクラスの人達に必要とされる自分にさえなれば良いんですよね。前進するのみです~!

共に成長出来る環境

私も、そうだと思います。
一番良い関係は、
共に成長出来る環境なんじゃないかと思います。
それが二人三脚…
三人四脚、四人五脚になって行くべき事なのでしょう。

>「リッチ=金持ち」という意味もありますが、「リッチ=豊か」と捉える方が良いと思います。

そうですね。
これは、また視野が広がる言葉ですね。

とは言うものの、
結果がすべてなので、
結果が残せるように私も頑張らねば。

二つの思考の狭間で・・・

私自身も、クライアントと一緒になって、
より良いものを作っていくと言う意味で『二人三脚』という表現を
させてもらっていたので、moritoさんの意見と同意する話なんです。

そして、私の主観ではありますが、
広告物に関しての『高いクオリティ』というものは、
クライアントの“目的(商品を売る/客を集める)”に対して、
効果的であり、より経済的なものだと思っています。

広告物にはオーバースペックは必要ない世界ですので、
レーシングカーを作るのと、軽自動車を作るのに近いかもしれません。

-----------------------------------------------
CMコンテストで入賞する作品は良い広告か?
皆が面白いと言ってくれる広告は良い広告か?

否、コンテストで入賞するよりも、
より効果があった広告の方が優れている・・・
-----------------------------------------------

ただ、その効果に対して『手段を選ばない』というのは、
別のところで書いた話と同じですが、正直おかしいと思いますし、
それが、効果に繋がるとも思えなくって、
その辺のジレンマは常にあるんですよね。
『表現』というのは、倫理を守ってこそ、伝えたい事が伝わると思うんです。
例えば、歌にしても表現ですが、場所やタイミングなどをわきまえず
住宅街で夜中に歌を歌っては、
どんなに良い歌でも迷惑以外のなんでもありませんから。

そしてまた広告関しては、嘘は嫌でもついてきます。
どんなに良いと思えない商品でも、仕事として入ってきたからには、
『良し』としてアピールしなきゃいけないんですよね・・・。
商品のデメリットは広告の中ではタブーになりますし。

>嘘をついてもばれるものです。
ですからこの言葉も、けっこう痛いです・・・・。(泣)

そういうことを考えていると、
仕事を選んでできるようになればとも思ったりしますが、
これも正しいのか、間違っているのか・・・・。

漫画『じゃりン子チエ』の中で、チエちゃんがおばあちゃんに言う台詞があります。
『客は店を選べるけど、店は客を選べない』

どうやら私、完全に二つの思考に挟まれてますね・・・・。(苦笑)

しまさん、はじめまして。
「効果がある」がある広告と「効果が無い」広告、どちらが優れているかと言われれば、効果がある広告です。ですが、そのことを根拠に他の「面白さ」とか「美しさ」といった要素を否定するものではなく、むしろだからこそ「美しいもの」「面白いもの」を創るべきなのだと僕は思います。「効果」を阻害してまで、見た目の美しさを追求するのは本末転倒ですが、「効果」を最大限に活かす美しさ、面白さを追求するのが、デザイナーの腕の見せ所だと自分は考えます。よくこういった議論でありがちな論調として、「効果」と「美しさ」を対立概念として捉えたり、「デザイナー」と「アーティスト」を対立概念として両者は両立しないものだという結論に走りがちですが、僕にはあまり共感できません。「効果」と「美しさ」というのは対立する概念ではなくて、お互いを高めあう関係だと思います。

また、広告と言うのは文化の一部です。日本の文化を担っていると言う意識をもって、より面白くて美しくて品のある広告を目指すのがデザイナーの良心だと思います。

あと、ちょっと話はズレるかもしれませんが、本当に「効果」を究極まで突き詰めれば、それは「美しい」ものになるんじゃないか、という思いがあります。人間の体は進化の過程で「機能(効果)」が追求された形になっていったと思いますが、結果的に人間の体は「美しい」と思います。イチローのスイングも「機能(効果)」だけを追及したものだと思いますが、結果的に「美しい」と感じます。マイクタイソンの全盛期の攻防一体のスタイルも、相手を倒す効果だけを狙った技術体系ですが、それは非常に合理的で美しいものです。こう考えると、効果だけを狙って創ったものが、美しくないとしたら、それは「効果」の面でも、まだまだ高める余地があるのではないか、と思ったりします。
ま、例外もきっと沢山あるんでしょうけどね・・・。

>そしてまた広告関しては、嘘は嫌でもついてきます。
>どんなに良いと思えない商品でも、仕事として入ってきたからには、
>『良し』としてアピールしなきゃいけないんですよね・・・。
>商品のデメリットは広告の中ではタブーになりますし。

ドラマは見てないのですが・・・まさしくこのドラマの伝命さんは、このような状況に対して嘆いているのではないかと感じます。
実際に実行するのは難しいことですが、自分がほしいと思えない商品の仕事はしないようにして、自分がほしいと思える商品、素晴らしいと思える商品を作ってる人たちから求められるように、自分を磨く・・・というのが僕たちの目指すべきところなのではないかと感じます。まさしく上でmoritoさんが仰っていることですが・・・。

伝えるということは難しいものですよね。

はじめまして、JalddpaAさん。よろしくお願いします。

一般的に“広告”という言葉を聞いて連想するものと言えば、
TVCMであったり、メーカーのポスターであったり、
そういうものを連想されると思います。

しかし、小売店のチラシや、プライスカード等、
そういうあまり気にしないものもやはり『広告』です。
いわゆるPOP広告というものですね。
それにおいては、どんな優れたデザイナーが、
完璧なレイアウトで作ったPOPよりも、
スーパーの店長が手書きで書いたPOPの方が、
気持ちが伝わり優れた効果を発揮する事もあります。
そこには美しさも、面白さも必要はないんです。
必要な事は、どうやって『伝えるか』だと思うんです。
美しさや面白さは、あくまでも手段であって、
目的は『伝える事』だというのが、私の持論なんですよね。

ですから、効果を目指しす事が、必ずしも美しさや面白さに、
繋がるとは私的には思えなかったりするんですよね、

私自身、「効果」と「美しさ・面白さ」というのを
対立させて考えるつもりもありませんし、
実際、先にも言いました、通常『広告』という言葉が示すものについては、
私もJalddpaAさんの意見と同じなんです。

ただ、美しさや面白さ、そして味などを意図して作り上げる事が、
広告デザインとしての『絶対的なクオリティではない』ということを
書いたつもりだったんですよね。
言葉で物事を伝えると言うのは難しいものですね。

アートとデザインについては・・・・。
いえ、普段そういう話をする機会もないので、
語りたくってしかたがないんですが、(苦笑)
あんまり長いのもなんなので、今回はこの辺で・・・。
(そのうち、自分のブログに書くことにします)

訂正

すいません、ちょっと文章が変になってしまったので
言葉の訂正させてもらってます。

×
いわゆるPOP広告というものですね。
それにおいては、どんな優れたデザイナーが、


いわゆるPOP広告というものにおいては、
どんな優れたデザイナーが、

客層から解る自分自身

♪しまさん

>私自身も、クライアントと一緒になって、
>より良いものを作っていくと言う意味で『二人三脚』という表現を
>させてもらっていたので、moritoさんの意見と同意する話なんです。


はい。
もちろん、理解してます。(^_^;)
手抜きレスで、まとめて話させてもらったから
誤解されたかも知れませんけど…。(汗)

>『客は店を選べるけど、店は客を選べない』

これは、もの凄く狭い意味での話だと私は思います。
店に来る人たちの客層というのは必ずあります。
『じゃりン子チエ』に出てくるお婆さんのお店は、
どう頑張ってもネクタイ締めてる会社帰りの
サラリーマン等には不向きな店で、
店の風格と客の風格は似たようなものだと思います。

客層の中の個々は確かに選べないが、
その店に対しその客です。

逆に言えば、受け入れてくれる客層が、
現在の自分のレベルと知る事もできると思います。

もっと今よりも良い客層に支持されたいと思えば、
その客層と同等…いや、それ以上の力をつけないと
求める客に選んでもらえないという事だと思います。

私も自分の求める客層に支持してもらえるように
日々頑張ってるところです。
なかなか芽が出ませんけど。(^_^;)


♪1gさん

>そしてまた広告関しては、嘘は嫌でもついてきます。

伝命さんの苦しみでもあり、
私たちの苦しみでもありますよね~。

私が何故
このブログでいろんな酷評を書き込めるかと言えば、
正直「クライアントじゃないから」というのもあります。
でも、消費者からの目になって見た時は、
その酷評が真実なんですよね。
クライアントとデザイナーの関係になると、
その真実が言えなくなる。

だけど、二人三脚が出来るクライアントと出会えば、
真実を伝え改善し、そして、こちらの問題も伝え合い、
お互いが磨かれ向上して行ける関係になると思います。
そうして出来上がった広告は
本物じゃないでしょうか?と思う訳です。
「口で言うは優しい、実行は難しい。」ですか、
そう言う仕事を目指して行きたいです。

しまさん。
そうですね。「目的は伝えること」というのに共感します。
「美しさ」や「面白さ」が伝えるための手段という解釈も同意できます。商品が素晴らしいと感じた、その感動を消費者に伝えるというのが広告の本質だと思っています。

単に美しいだけを目指すというのは本末転倒ですよね。例えば、車も走ることが目的ですが、かっこよさを追求するあまり、走らない車が出来てしまったら、それは本末転倒ですね。

でも、僕の持論としては、優れているものというのは、突き詰めれば結局「美(広い意味で)」に行き着くんだと思っています。ここでいう美というのは、例えば、単純に「カッコイイ」と「かかわいい」とか「面白い」とかいう意味だけでなく、一見グロテスクで気持ち悪いけど、でもそこにアートとして価値があるような場合も含みます。

もし仮に、店長の手描きのPOPが、優れたデザイナーの理路整然としたデザインより有効である場合があったとしても、そこには、理路整然としたデザインにはない人間くさい美しさがあって、それが有効に働いている場合であって、「美しさなど必要無い」という話では無いと思っています。理路整然さよりも、人間くささが、商品の説明に相応しい場合はもちろんあると思います。でもこれは美しいものと美しくないものの比較というより、美しさのジャンルの違いというのが本質にあるように感じます。ただし、そこで店長の手描きのPOPが、POP界において最強の効果だというわけでもないと思います。むしろ金銭的な面や、「POPにそこまでやらんでも良いヤン!」的な情熱の無さが原因で、店長POPが暫定的に一位になってるに過ぎない可能性も高いのでは?と感じます(実際には知らないだけで、クオリティの高いPOPは世界レベルで見たら沢山あるのかもしれませんが)。ですので、追求の余地はまだまだあると思います。その人間くさい美しさのようなものが、一番効果を発揮するのだとしたら、それを究極にまで高めることが、クオリティを高めることに繋がるのだと思います。理路整然とした美しさ、人間くさい美しさ、そういった様々な美しさの中で、商品の素晴らしさを伝えるのに、最も効果的な方法を考えて、高めるのがデザイナーの仕事ではないかと思います。

そういう効果の話とは別に、広告と言うのは、直接使うものではないとはいえ、やはり我々の生活の一部になります。そういったものが美しくなければそれは悲しいことだと思います。かくいう僕もmoritoさんに指摘してもらうまでは、身の回りに美しくないものが氾濫していることに気づきもしませんでした。でも、そういったところに敏感であることは、僕らにはとても必要なことだと思うんです。ですから、美しい物を作るという意志は、デザイナーの良心として最低限持っていたいというのが、僕の倫理観としてあります。こういうことの積み重ねが、文化を高めるのにも繋がると思っています。

>kojiさん
「実行するのは難しい」

仰るとおりですね。だからこそ、思っていることを言って、自分にはっぱをかけるのも有効だと思います。「実現できなければかっこわるい」、でも「実現できたらめちゃめちゃかっこいい」 そういうのもモチベーションとして有効ですよね。
自戒の意味も込めてがんばいりたいです。

なんともうしますか・・・

>>kojiさん
>客層の中の個々は確かに選べないが、その店に対しその客です。
なるほどです。
高級料理店にはお金がない人は足を運びませんし、
中華が嫌いな人は、中華料理店には入らないということですよね。
確かに、細かい選別はできなくとも大分類で選ぶ事はできますね。


>>1gさん
>最も効果的な方法を考えて、高めるのがデザイナーの仕事ではないかと思います。
そうなんです、私も同じ事が言いたかったんですよ。
伝えるのって、結構難しいですよね。



KOJIさんのブログで、長々と書いてしまって申し訳ありません。

なんと申しますか、こういう話の展開ができて、とても嬉しかったりします。
実際、ココにかかれている話の殆どが
『なるほど、そういう見かたもあるかッ!!』というものばかりだったんですよね。

実は、私がブログを始めた理由と言うのも、
会社のスタッフからmixiを進められて日記を書き始めたのですが、
mixiだと、もう慣れ合いにしかならないんですよね。
誰も反論なんかしないし、みんな『そうそう』で終わってしまって、
こんなんじゃ、駄目だ!!もっと自分とは違う視点が欲しい!!
もっと視野を広げたいと思って、ブログを始めたんですよ。

ですから、私のブログを見つけて、KOJIさんに紹介してくださったmoritoさんにも、
そしてブログ内に足跡を残してくれたKOJIさんにも、
また、ここで反論してくださった1gさんにも、
『ありがとうございます!!』って思ってるんです。

あと、1gさん、前回のコメントで、
ハンドル間違えて書いてしまってすいません。


何度も書いているような気もしますが、
ちょくちょく、遊びにこさせていただこうかと思ってますので、
今後とも、よろしくお願いします。

>しまさん
こちらこそ、ありがとうございます。
言葉の選び方が違うだけで、本質的には近い部分も多かったのでしょうね。実際、[伝えることが目的]という考えには共感できます。結構忘れがちなことだと思います。つい、作り手は伝えることを忘れて、自分の好きなものを追求してしまいがちなので気をつけなければいけませんね。納得行かない部分もあったかもしれませんが、好意的に解釈していただいて感謝します。実は、「店長の手描きPOPvs優れたデザイン」のネタ、このkojiさんのブログで過去、何度か話題に上ってたんですよね。ご存知だったかもしれませんが。その時僕は参加してませんでしたが、今回は書いてみました。

「肯定しあうだけにしよう」といって反論を封じる空気よりも、自由に意見をぶつけ合える方が僕も健全だと思います。こちらこそ宜しくお願い致します。



>もし仮に、店長の手描きのPOPが、優れたデザイナーの理路整然としたデザインより有効である場合があったとしても、そこには、理路整然としたデザインにはない人間くさい美しさがあって、それが有効に働いている場合であって、「美しさなど必要無い」という話では無いと思っています。

自己レスです。。。
こう言いましたが、実は、単純に「美しさなど必要ない」という場合がありますね。ジャンクなモノ、偽者を作って、「本物」を求めていないターゲットに売る場合は。ただ、この場合、僕の中では、どんなに効果があっても、「クオリティが高い」というのとは違うと考えています。
僕が考える広告のクオリティの高さというのは、「商品の素晴らしさを伝える能力の高さ」です。伝えるべき商品が「素晴らしいものである」というのが前提にあります。クオリティの高い商品からしか、クオリティの高い広告は生まれない・・・という考えです。

そして、自分がそういうのを創る一員であるように、頑張らねば・・・ですね。

おおお!なんか熱くなってましたね~。いま全部読みました。
以前からKOJIさんとは「どんなに立派なデザインより八百屋のおっちゃんがマーカーでササッと書いたPOPのほうが効果がある」と言うデザイナーが嫌いという話をするんですが、それはそう言うデザイナーがわざわざそんな理屈を言わなければならない「何かとても言い訳っぽい」部分を感じるからなんです。デザイナーがPOPを頼まれて、無駄の無い機能的なものを書くというのなら何も間違っていないのですが、1gさんも述べているように機能は必要最低限で「あって当たり前」という概念でデザインをやっている人達にとっては「どうしてそんなレベルの話を?」という感じで、むしろ「立派なデザインよりも」という部分をそんな簡単に言い流して良いのかという気持ちになるんですよね。POPではない、より美しさや芸術的価値を持たせようとしているデザインの仕事にPOPの仕事の概念を持って来ても、根本の概念が違うので噛み合う訳が無いのです。

しまさんの「そこには美しさも、面白さも必要はない」は、そういう種類の仕事をする人にとっては全く正しいと思います。POPを仕事にしている人であれば「機能するものが価値がある」というのはその通りです。単純なわかりやすさが機能するデザインもあり、一方、美しさ・楽しさ・洗練さが機能するというデザインもあり、それらは概念も当然違うんですが、僕が情けなく思うのは後者の立場の人達が「どんな立派なデザインよりも」うんぬんという言葉を、立派なデザインを作れない言い訳のように口にするという場合です。「だったら八百屋のおっちゃんに頼めば良いんじゃないの?」って感じです(笑)その程度で済む事なら最初から我々のようなプロが必要とされる場所では無いですから。

一人で何でも請けるデザイナーだったら、この仕事には何が必要とされるものかと見極めて適材適所でこなす必要がありますが、そうなって来ると「何でも屋」っぽくなって、そういう中では、必要無いところに変な凝り方をしてしまったり、その逆もあるのかもしれませんが、「どんな凝ったデザインよりも」という言葉は、そういう自己の混乱の中から出て来る言葉のようにも感じます。自分のスタイルがひとつ確立されていて、その能力をかわれて依頼されるという状況なら、そんな言葉は出ない気がします。

スピーディで安いことで機能する「ホカ弁」ショップも、味と品格で勝負の料亭も、どちらも「食べ物」ですが、求められるものは全く違います。ホカ弁スタッフが料亭に乗り込んで「どんなに美味しくても」というのはお門違いだし、逆に料亭スタッフがホカ弁店に乗り込んで「どんなにスピーディでも(味がまずいんじゃしょうがない)」というのは、「まぁ美味しいほうが良いに決まってるけど」という感じで、少ない予算内での最低限なやりくりの話になっちゃうんですよね。求められるものが最初から違うので、たとえ「食べ物」というくくりでも総合して考える事がすでに無理なのだと思います。

適材適所

♪しまさん

>KOJIさんのブログで、長々と書いてしまって申し訳ありません。

いえいえ、とんでもない。
熱いコメントが頂けて嬉しいです。

>なんと申しますか、こういう話の展開ができて、とても嬉しかったりします。
>実際、ココにかかれている話の殆どが
>『なるほど、そういう見かたもあるかッ!!』というものばかりだったんですよね。


私も、このような話が出来、とても嬉しいし、
また刺激されてます。
私もmoritoさんも実は以前mixiに参加していたのですが、
しまさんの言われるように、
「誰も反論なんかしない仲良しの集い」
みたいな雰囲気に耐えかねて、
すぐに止めてしまいました。

一見、仲良しの集いとは良いイメージがするけど、
自分と違う意見が聞けなかったりなど得るものが無く、
自分にはプラスにならないです。

反論があれば、そこで考えるチャンスが頂けるし、
また自分の考えに揺るぎが無ければ、
それを分かってもらう為のディベートの訓練にもなります。

「スーパーのおっちゃんのPOP」の話も
昨日書き込みをしようと思ったけど、
本気で考えてるからパワー切れでレス出来なかったです。(^_^;)

「スーパーのおっちゃんのPOP」の話も、
私も過去、しまさんと同じように思っていた時期があります。

でも、そのような仕事が来た時は
機能性と価格の問題だけでデザインセンス等
あまり求められていない気がしました。

だったら、そういうのは私がしなくても、
他にしてくれるところは沢山あるし、
私が関わらなくてもいいか~。みたいな気持ちで
考えるようになりました。

あとはmoritoさんの話そのままです。

「ホカ弁」ショップが沢山あるのだから、
そのようなのはそちらに任せて、
わざわざ料亭(自分の目指す目標)で
ホカ弁を作る必要も無いかなって感じです。

そうやって自分をシフトして行きました。
どうしても今までの「ホカ弁」環境にいたら、
同業がゴロゴロしてるので、
やれ価格競争だの納期競争だのと、
本来のデザインの質の競争とは
別の部分での競争を強いられ、
結果、本当に向上させたいデザインの質が
疎かになってしまうという事で、
その環境から足を洗いました。

それに価格競争だの納期競争なんて、
たった1人の個人事業で太刀打ちなんてできないしね。(笑)
だったらデザインの質しの向上しか、
残された道は残ってないもんね。
そして、本当にデザインが必要だと思ってくれる人に
相手にしてもらえるように頑張ってるところです。

オーディオアンプ

八百屋/スーパーのおっちゃんPOPに関しては、
確かに、皆さんがおっしゃられるように
デザイナーの逃げ的な使われ方をする場合はありますよね・・・・

今回のコメントについて、
私自身、最近では“デザイナー”としてではなく、
広告プランナー的な仕事を受ける事もあり、
「店長、ご自身でPOPを書かれませんか?」という提案が商品の場合もあって、
今回はそういった視点で『クオリティ』についての
対比として書かせてもらっていましたが、
実際は、例えスーパーや八百屋という場所においても、
手作りPOPが万能ではないと考えてるんですよね。


プロが作る広告の役割って、
オーディオでいう『アンプ』みたいなものだと思います。

小さな音を、大きな音に変えるのがアンプです。
当然、小さな音を単純に大きくしたのでは、
音のバランスが悪くって、聴けたものではありませんので、
アンプというものは内部で音作りをします。
その音作り、いわゆるプリアンプの部分がデザインワークであり、
増幅する部分(パワーアンプ)が、
印刷や放送等のメディアだと思うんです。
ですから、大きな音に変える必要がない場合においては、
音楽と同じで生音のほうが良いに決まってるんですよね。

ですが、生音よりもオーディオアンプで
音作りをした音の方が好まれる場合もありますし、
生音では、より多くの人に音(伝えるべき事)を聞いてもらうのは難しいわけで、
そこからが、広告メディア(プロ)の出番だと思っています。

スーパーのおじさんPOPは、手書きだから良いわけであって、
それを印刷してしまったら、小さな音を単純に大きくしただけと同じで、
バランスの崩れた音にしかならないと思うんです。
(印刷すると手書きだから伝わった思いは半減しますから・・・)

そして、アンプである以上、
原音が悪ければどうしようもありませんので、1gさんがおっしゃる、
『クオリティの高い商品からしか、クオリティの高い広告は生まれない・・・』
と言う事にも当てはまるんじゃないかと思いますし、
moritoさんや、kojiさんがおっしゃる“ほか弁”と“料亭”の話は
安いアンプの需要と、高いアンプの需要があり、
それぞれ求められるものが違うという事ですよね。



話は変わりますが、色々と書き込ませて頂いてる中で、
実は、自分の考えをまとめ直したりしながら、
結構書き直したりしてたりします。(苦笑)

そんな感じで、
かなり、勉強させていただいてます。

なつかしのプリントゴッコ

オーディオアンプですか。
なるほど。
確かに音源が悪いと、
いくら良いアンプを使っても音は良くなる事はないし、
それよりか音源の悪さを強調してしまうだけですもんね。

スーパーのおじさんPOPは、
そのPOPに見合った店構えだから
許されるのかも知れません。

以前パソコンが普及する前にプリンドゴッコがはやり、
プリントゴッコで作られたDMハガキ等よく届いてましたけど、
そのDMハガキの広告主が大手メーカーであればあるほど、
なんだか広告費をケチり、
消費者を見下してるようなイメージを感じていました。

ここのメーカーは大きそうなのに、
プリンドゴッコで来るという事は見かけ倒しか~?
というような悪いイメージだったように思います。
私の周りの人(クリエイティブ関係の人じゃない)にも
そう言う感情を抱く人が多かったです。
(大手メーカーなのだから、
広告もちゃんとした対応をしてくれ!という
消費者の思いなのでしょうね。)

これも、やっぱり適材適所なのかなぁ~って、
思ってみたり…。


>色々と書き込ませて頂いてる中で、
>実は、自分の考えをまとめ直したりしながら、
>結構書き直したりしてたりします。


私も、重要な事や長文を書き込みをする場合、
一度TEXTに書き込み、何度も読み返したりして、
何度も書き直してます。
それでも、時々打ち間違いがあったりしますけど…。(^_^;)
表面的な文字の間違いよりも文の意味の間違いの方が
大変だと思うので内容重視に校正してます。
(言い訳&滝汗)

クオリティが高さを問題にしなければ、moritoさんやkojiさんが仰るように、単純に「求められていないから、必要ない」という話ですむと僕も思うのですが、しまさんは、「美しさは絶対的なクオリティではない」ということの例としておっちゃんPOPの話をされていたので、「求められているかいないか」だけでなく、「クオリティが高いか低いか」を論じていると判断しました。なので、これまでもそこを論点にお話させてもらいました。

>スーパーのおじさんPOPは、手書きだから良いわけであって、

本当に「良い」のかという疑問がまずあるのですが、仮にもし、そこに「良さ」があるのだとしたら、仰るようにそれは手書きであることかもしれませんね。
僕としては、デザイナーが印刷物を作る人と限定されるわけではないと考えているので、書き文字のプロを使って、プロのデザイナーが1点1点手作業でPOPを作ることも可能なわけで、「手書き」という点でもデザイナーが出来ることはいくらでもあると思うんです。そんなのは現状、求められていないのかもしれませんが、もしも「クオリティの高いものを創る」という1点で考えた場合、追求する余地は沢山あります。実際、こだわりのある雑貨屋さんとか古着屋さんとか、センスのあるPOP(?)のようなものがあったりするので、そういったことを実行している店もあるように思います。

ただ、こうした場合、POPだけがハイクオリティになっても、アンバランスなので、全てクオリティの高いものを目指さないと意味無いのでしょうね。ということで、おっちゃんPOPは、「クオリティが高いわけではない」が、場所によっては、「相応しい」といことは言えると思います。

↑また反論する感じになって、しつこかったらすみません・・(^^;
押し付けるつもりはありませんので、僕の考えのまとめと捉えていただけると助かります。
ちょっと自分の考えを整理したかったのもありまして。

>一人で何でも請けるデザイナーだったら、この仕事には何が必要とされるものかと見極めて適材適所でこなす必要がありますが、そうなって来ると「何でも屋」っぽくなって、そういう中では、必要無いところに変な凝り方をしてしまったり、その逆もあるのかもしれませんが、「どんな凝ったデザインよりも」という言葉は、そういう自己の混乱の中から出て来る言葉のようにも感じます。自分のスタイルがひとつ確立されていて、その能力をかわれて依頼されるという状況なら、そんな言葉は出ない気がします(moritoさん)。

仰る通りだと思います。一人の人が複数の相手の複数の要求にあわせて、複数のスタイルのものを創るのは、やはり、それぞれの分野が手薄になって、中途半端なクオリティのものが量産されてしまう結果になりますよね。大きな会社だったらいざ知らず、一人に出来ることはやはり限られています。それぞれ一人一人が自分の一番得意な分野を磨いて、クオリティを追求して、その分野のものを必要としている人により高いクオリティで提供出来ることが理想だと思います。それぞれの人が、得意な分野を徹底的に磨けば、それぞれの世界でクオリティの高いものが生まれ、結果、選ぶ方としても選択肢が沢山あることになります。この方が、一人で中途半端なクオリティで全分野をこなすクリエイターばかりの世界より、作り手、買い手双方の側にとって合理的で好ましいですよね。

多分、これまでは、情報化が発達してなかったので、自分が知っている数人の中からデザイナーなりイラストレーターなりを選ばなければならない状況だったので、一人が色んなスタイルをこなさなす必要性があったんだと思うんですよね。でも現在は、ネットで世界中の人が結ばれているので、クライアント側からの選択肢が一気に増えることになったと思うんです。こんな状況では、色んな分野を中途半端に出来る人より、それぞれの分野のスペシャリストが求められるようになると思います。

まだ、そこまでネットが完全じゃないので、これまでのように一人で複数の分野をこなす「何でも屋」の需要もまだまだあると思うのですが、だんだん少なくなっていくと思うんです。
実際僕も最近、ネットから仕事を頂くことが多くなってきたのですが、その場合は僕の得意分野の絵を気に入ってもらって選んで頂いてることが多いように感じます。前からの付き合いの近所の人は、相変わらず得意でない分野の絵を求めていただくところもあるのですが(その場合も結果的には勉強になって自分の得意分野に活かせる術が手に入ったりして、やってよかったと思うこともあったりします)。

すぐにはかわらないかもしれませんが、緩やかに変化していくように思います。楽観論かもしれませんが、地方の人も、これからは、距離的なハンデが軽減されていって、自分の得意分野のクオリティをあげることに専念できる時代がきつつあるように感じています。逆に言えば世界中がライバルにもなるので、競争が激化しますね。でもここの皆さんは望むところですよね?笑

POPクリエイター

♪1gさん

>僕としては、デザイナーが印刷物を作る人と限定されるわけではないと考えているので、書き文字のプロを使って、プロのデザイナーが1点1点手作業でPOPを作ることも可能なわけで、「手書き」という点でもデザイナーが出来ることはいくらでもあると思うんです。


今も存在してるのかどうか分かりませんが、
一昔前はPOPクリエイターさんが普通に存在してました。
まだデザイン業界にパソコンが普及する前ですが、
手書きの要素が欲しい時に、デザイナーがラフを起こし
版下を依頼する感覚で、POPクリエイターさんに
手書きしてもらっていた事を思い出しました。

また、百貨店等のショッピングデパートには、
どこのお店も専属にPOPクリエイターさんがいましたよ。
某ショッピングデパートのPOP室にお邪魔して、
何度かそこで作業をさせてもらった事もあります。
今はパソコンが普及してしまったから、
そういうPOPクリエイターさんもパソコンに変わって
手書き風書体を使って、仕事してるかも知れません。

もう、20年近くも前の話ですので、
現在はどうなってるのかさっぱり分かりません。(^_^;)

では

ちょっと、補足させて頂いておきますね。

実は、今勤めてる会社では、手書きPOPライターを、
以前随分と抱えていたんですよね。
それはさておき、POPを受注している会社のPOPライターや、
スーパーの専属POPライターが書いたものと、
店長や生鮮であれば生鮮部門の担当者が書いたのでは、
確実に伝わるものが違うと信じています。(笑)

前者は原稿を元に作業的にPOPを書きます。
レイアウトやバランスは確かに美しく読みやすいですが、
気持ちの方はどうでしょうか?
デザインとは作るものの気持ちが反映すると思うんですよね。
下手でも、気持ちをこめて作ったものは、
やっぱり伝わるんです。(そうであってほしいとの願いも入ってますが)
ですから、代筆では同じ手書きでも、直筆とはかなりの差が出ます。
まぁ、例え代筆でも、コンピュータPOPよりも、遥かに良いんですけどね。

KOJIさんの例えの『メーカーDMのプリントごっこ』にしても、
これがプリントごっこではなく直筆ならばどうでしょう?
デザイナーが美しくレイアウトして印刷されたのと比べても
やはり、直筆の方がメーカーの想いは伝わりますよね。

でも、現実問題として、それをするには経費的にも、
時間的にも無駄が多すぎる為、
そこからプロのデザイナーが作る『美しさ』や
『効率性』が必要になるという話だったんですが、
ちょっと言葉が足りなかったかもしれませんね。

あと、私が、クオリティという言葉も、二つの意味で使ってしまってたのも、問題ありでしたね、
最初のコメントで書いたのは、広告としてのクオリティ、
そして、後のコメントで書いたのはデザインとしてのクオリティでした。
申し訳ないです。

ちなみに

>今はパソコンが普及してしまったから、そういうPOPクリエイターさんも
>パソコンに変わって手書き風書体を使って、仕事してるかも知れません。
今は、ライターさんも仕事ないみたいですよ・・・。
スーパーの店内にPOPマシンが入って、
店でPOPをデザインして出力してます。

ダイレクト刷版が印刷屋に導入されて、
製版屋の仕事がなくなってきているのに近いですよね。
こういった、アナログ的な部分がなくなっていくのは、
個人的に、ちょっと寂しい気がします。

まぁ、コンピュータ使って仕事をしている人が、
言う事ではないのかもしれませんが・・・・。(苦笑)

手書き

>KOJIさんの例えの『メーカーDMのプリントごっこ』にしても、
>これがプリントごっこではなく直筆ならばどうでしょう?
>デザイナーが美しくレイアウトして印刷されたのと比べても
やはり、直筆の方がメーカーの想いは伝わりますよね。


仮に経費や時間が許せたとしても、
広告は、広告でしかなく手書きも印刷も、
然程変わらないんじゃないかなぁ?って思います。
いくら手書きであっても、
「結局、売りたいのでしょ?」みたいな感じだから…。
それだったら、読みやすさ見やすさを考えられた、
印刷の方が良い気がします。

最近は、
読みやすさ見やすさなんかあったもんじゃねぇ!
というような
何も考えられてない印刷が増えてるから厄介ですけど。(^_^;)

むしろ手書きにこだわるのだったら、
広告に手書きで時間かけるよりも、
商品を買ってくれた人に手書きのお礼状を送った方が
想いは伝わると思います。

ここに来て

言葉の意味の伝え方って難しいとつくづく思ってたりします。
なんか、文章を書く鍛錬にもなりますねぇ。

メーカーらからのDMのイメージって、
ユーザー登録後のサポートのお知らせであったりとか、
イベントなどのお知らせとか、そういうもののつもりで書いてしまってましたが、
そうですよね、単純に商品情報が載っているようなDMもあります。

ですから、
>商品を買ってくれた人に
>手書きのお礼状を送った方が想いは伝わると思います。
と言うような意味で、私も手書きの方が伝わると書いてます。

別に全てを手書きで書かなくても、
「朝晩涼しくなって来ましたがいかがお過ごしでしょうか?
今度展示会を致しますので、お知らせの方を送らせて頂いています。」
こんな一言が書いてあるだけでも、
受け取る方は気持ちが良いと思うんですよね。

手書きと言うのは気持ちがダイレクトに伝わるだと思います。
ですから、『売りたい!!』と思って書けば、
それがそのまま伝わるんですよ。
そう考えると、スーパーのおっちゃんPOPに関しても、
本気でオススメするものは良いとして、
売上至上主義的な気持ちで書けば、逆効果なのかもしれません。
そういう気持ちで書けば、そういうものしかできないと思いますしね。

一筆入魂

>別に全てを手書きで書かなくても、
>「朝晩涼しくなって来ましたがいかがお過ごしでしょうか?
>今度展示会を致しますので、お知らせの方を送らせて頂いています。」
>こんな一言が書いてあるだけでも、
>受け取る方は気持ちが良いと思うんですよね。


確かにそうですね。
昨年、ピアニストの小原孝氏の
コンサートポスターを手がけた時、
小原孝氏がファンの皆さんへのメッセージとして、
一筆書いて頂きました。

こちらからお願いした訳じゃなく、
小原孝氏が是非ともファンの方にと
メッセージが送られてきました。

その手書きの文字は、そのままの形で印刷いたしました。
(結局、印刷かい!というツッコミはなしね。 (^_^;) )

この一筆があるとないとでは印象も、
随分印象が違いますよね。

モスバーガーの入り口のところに黒板で書かれた店員の日替わりのメッセージ(「今日は暑いですね」みたいなリアルなメッセージ)に、ついつい目が行ってしまいます。普通のポスターでは出来ない効果ですよね。その黒板を写真に撮って印刷しても、擬似的ではあるけどやっぱり実物の良さは出せない。
POPには八百屋や魚屋の主人が「いま書きました」みたいな、ライブ感という魅力があると思います。

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先週たまたまTVをつけたら面白そうなテーマのドラマをやっていたので、あとで観ようと思って途中から録画しておいたのですが、昨夜初めて再生してみました。CM制作会社でADをしている松本佐和(内山理名)は、お茶の新