FC2ブログ
2020 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312020 09

童夢-零(1978)

童夢-零

童夢初のプロトタイプスポーツカーで第48回ジュネーブ国際自動車ショーに出品された純国産スーパーカーです。1975年のスーパーカーブーム真っ只中に童夢プロジェクトがスタートしました。童夢-零の生みの親で、現“(株)童夢(クリック)社長の林みのる氏が、当時、レースをする為に資金源としようとして開発された車です。

当時のレース業界では、自動車メーカーvsお金持ちプライベーターという図式で、お金のないプライベーターにはレースを継続する術がなかった。そこで、スポーツカーを作って、販売しようと考えたのが切っ掛けだったそうです。その時集まったレース仲間となけなしの資金で造り上げたのが童夢-零です。

1976年頃からスタイリングのスタディを始め、そのうち作業の中心は大阪のハヤシレーシングの工場に移りました。童夢がレーシングカー・コンストラクターを諦めてロードスポーツカーを作ろうとしていたように、丁度当時のレース界はコンストラクターを目指していた連中が挫折し始めていた時期で、この頃はほとんどの名のあるデザイナー/コンストラクター達が集結していました。

ハードスケジュールで開発を進め、なんとか予定の1978年第48回ジュネーブ国際自動車ショーに間に合わせる事ができました。とりあえず、このプロトタイプが成功して今後の展開に繋がらない限りは後が無いわけで、この零は最初から童夢の打ち上げ花火として考えられていました。とにかく基本コンセプトは「インパクト狙い」。

レーシングカーばかり造ってきたスタッフにとって、プレスのフュエルタンクやフロントガラスの製作、リトラクタブル・ヘッドライト等の設計はかえって新鮮で、改めて一般の乗用車の設計を見直してみたり、それなりに真面目に車造りに取り組んでいたようで経験不足な中にも満足感と自信のもてる作品になったようです。

ジュネーブショー以降、童夢-零は大変な評判となり、連日いろいろなマスコミの取材を受けたので、少しは期待をしてたそうです。帰国後すぐに玩具屋さんから商品化の申し出があり、考えもしていなかったので大喜びで契約する事となりました。

それから一年余り、車両認定に関して運輸省との交渉が続いたが、それは交渉というレベルの問題ではなく俗に言うたらい回し、柳に風、暖簾に腕押し、糠にくぎ、時おりハリネズミのような威嚇も交えて、健全な精神の持ち主なら気が狂ってもおかしくないほどの狂気の世界で、こんな人達を相手の努力なんて何の価値もない…と国内での認定を諦めました。

その為、アメリカで認定作業を行おうとDOME USAを設立し、アメリカで市販車認可を取得しようとアメリカの法規に準じた仕様の「童夢P-2」を開発する事になり努力してる最中に童夢-零のミニカーやラジコンの大ヒットで気を良くしていたある玩具メーカーが2匹目のどじょうを狙って、「開発資金を前渡しするから何か新しい車を作ってくれ。」と言ってきたそうです。

「じゃあ、レーシングカーだ!」と方向転換し、もう童夢-零の市販化はそっちのけ。そして、これがル・マンに参戦の切っ掛けとなったのでした。もともとスタッフはレース好きの集まりだったから、ワッと興味がレースの方に集中し、結局、中途半端な状態で童夢-零の市販プロジェクトは立ち消えとなりました。


●サイズ:全長3980mm/全幅1770mm/全高980mm
●車輌重量:920kg
●エンジン:2753cc 水冷直列6気筒SOHCエンジン
●最高出力:145ps/5200rpm
●最高速度:240km/h




FC2ブログランキングバナー 人気ブログ検索 - ブログフリーク

Official WEB Site
K-BRAND、ケーブランドバナー


スポンサーサイト



コメント


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://kbrand.blog9.fc2.com/tb.php/504-d94d0db1