
「Can Cam」は、蛯原友里、押切もえ、山田優などの
そのオーディションの様子を見て、「やっぱり、このオーディションもかぁ。」と、審査の基準というか体質に呆れてしまった。「やっぱり、このオーディションもかぁ。」と言う言葉の通り、その体質は「Can Cam」のオーディションだけの話ではない。審査という事のほとんど毒されている。
審査が確かな審査になっていない、しかし、誰も疑いや疑問を抱く事も無くその審査を当たり前に受け入れている。…という酷い状況です。審査する側に、その道の確かな人がいないのです。そして、オーディションを受ける側も、それなりの人がいない…。
「Can Cam」の専属モデルオーディションの話を例に上げると、第一審査で3000人の中からの30人だかに絞られ、そして頂点に1人。しかし、オーディションを受ける人は皆素人。もちろん素人という事が悪いのではない。
私が、ここで言う「素人」というのはオーディションを受ける為の準備が全く出来てないと言う事です。オーディションを受ける人はエステなどに通い美しくなる事を意識してたみたいですが、そう言う事とは別にモデルになる為の正しい姿勢、歩き方等のお金では解決出来ない、本来磨かなければならない部分という所は全く無視されている。
オーディション受けるのならば、それなりのレッスンをして基本ぐらいマスターして受けなきゃ話にならないし、また、審査する側もそういう部分は全く見ていないというか、審査員が既に読者審査員という素人だったりする。その為、容姿の好みだけで選ばれたりしている。
中には正しいレッスンなど受けて万全な状態でオーディションを受けに来てる人もいたのかも知れない。だけど、審査員が素人で容姿の好みのみで選んでたとしたら、正しいレッスンをする意味もないし、本当に素晴らしい素質のある人がいたとしても見落とされてしまう。3000人の中からの選ばれた人達を見た印象は、「選ばれてその程度なの?」という印象でした。正直、審査をせずに、くじ引きで選んでもOKなんじゃないか?と思えるくらいです。
素人が素人集めてオーデョションゴッコしてるようにしか見えなかった。それで、選ばれて活躍したら「カリスマモデル」なんて言われて…。そして、カリスマと言われてても、世界舞台で活躍する本物モデルの足元にも及ばない。本来カリスマは、神として崇められるようなくらいの人を指す言葉です。この日本においては神のような人がゴロゴロしてる国なのか?(笑)
また某TV局で行われている若手のお笑いや音楽の登竜門的な番組で、オンエアーバトルというのがありますが、
その審査も素人だし大晦日恒例の紅白歌合戦の審査も音楽に精通した人はいなく音楽で言えば素人ばかり。全てにそういう体質が蔓延している。私が、デザインコンペやイラストコンテストに参加しない、あるいは参加しても本気にならない(なれない)のはその為です。
コンテストなどのイベントを盛り上げる為に、メディアウケするように特別審査員と称して芸能人や著名人(全く畑違い)をゲスト審査員として呼び審査する。審査を受ける側にとって、これ程の屈辱はないと思うが、屈辱に思う程努力をしていないのか、それしかないからなのか、そんないい加減な審査でも受けようとする人は減らないし疑問にも思ってない感じです。
そんな中、1つだけ見てて、ホッと安心出来る審査がある。それは、「なんでも鑑定団」という番組です。あの鑑定は、素晴らしいですよね。良いなら良い理由、悪いなら悪い理由を適格に述べられて誰もが納得出来る。そして、鑑定する先生方も、その道で非常に詳しく分からないと言う事がない。素晴らしいです。
こういう話をすると、中には「自分が好きなのだからそれで構わない。」「楽しめればそれで良いじゃないか?」なんて言う人もいるのですが、もちろんそれはそれでOKです。お宝でも偽者でも本人が好きで納得していたら、それはそれでお宝です。しかし、審査するという事で言えば、「自分の好き嫌いで納得してれば良い」という訳にはいかないですよね。
参照:公募実行委員の体質(当Blog内リンク)


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