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広島から発信する世界平和

灯籠流し

8月6日は広島の原爆記念日です。ライトアップされた原爆ドームの前を流れる元安川に、原爆犠牲者の慰霊や世界平和などを願いを込め、毎年灯籠が流されます。私はこの「原爆記念日」という言葉に、毎年違和感を覚えます。原爆って記念なのだろうか?どうも記念という言葉には良いイメージしか湧いて来ないのですが、原爆とは良いイメージなのか?って考え「記念」という言葉をこの年になって調べてみました。

記念
1 思い出となるように残しておく事。また、そのもの。
2 過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。


2の意味だと、良い事悪い事には関係なく、過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。だから、別に問題のある言葉ではないのですね。

そして、私が以前からずっと抱いてる、広島から発信する世界平和に対する違和感です。広島は世界で初めて原爆を落とされた街です。だから当然なのかもしれないけど、原爆に対する思い…被害者意識は強いです。だからアメリカが…、ロシアが…と核を持ってたり、北朝鮮で核実験が行なわれたりすると凄く過剰に反応してるように感じます。…過剰に反応と言っても、兵器としての核廃絶については私も賛成する事ですが、どうも、広島での核廃絶という運動には被害者としての憎しみを感じてるのです。

私は、この「憎しみ」という感情こそ、世界平和に対し相反する感情じゃないだろうか?って思うわけです。被害者意識というのは、当然加害者があっての被害者ですから、「加害者=憎しみ」だと思うのです。憎しみからは絶対に平和は訪れません。この事についてどのくらいの広島の人達は理解してるだろうか?

アメリカ人の意識調査の中で、広島に原爆を落とした事は正しかったのか?という質問に、半数以上が正しかったと答えています。原爆を投下したからこそ戦争が終結した。原爆を落としていなかったら、もっと、もっと戦争は続き、悲惨な状態となっていたという理由からです。

この多くのアメリカ人達の考えに広島の人々は「アメリカの都合の良いように解釈し過ぎだ!」と憤りを感じてたりするのですが、私は第三者的に見て、アメリカ人達の考えも一理あると思ってます。広島の人は被害者意識のみで冷静さを失ってる気がします。だって考えても見て下さい。戦争には加害者も、被害者もない…。アメリカが日本を攻撃して来たのと同じくらい、日本もアメリカを攻撃してます。中国等にも侵略してます。被害者だと思ってる意識に異常さを感じます。日本が何もしてないのに、攻撃され悲惨な目にあって来たのなら被害者になると思いますが、日本も相手国を攻撃してたにも関わらず、原爆を落とされたから被害者だって、それこそ日本のご都合主義だと思うのです。

真珠湾攻撃など日本は原爆を使ってないけど、多くの焼夷弾やミサイルを打ち込んでますよね。原爆だろうと、焼夷弾やミサイルだろうと人の命を奪うという事に、どちらが酷いか?という事はないはずです。核を持ち込む、核を実験などで使うという事には過剰反応するけど、中東での戦争や核以外の兵器には全く無関心。実際には核以外の兵器で命を失ってる人の方が圧倒的に多いでしょ?それでも、核以外の兵器には無関心。

単に核爆弾を落とされたという被害者意識の憎しみ以外の何物でもない。これって本当に平和活動って言えるだろうか?そういう憎しみが平和を乱す根源じゃないだろうか?核兵器というボーダーを取り除き、純粋に世界平和を発信出来る広島の街であって欲しいと願わずにいられません。
 



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コメント


全く同感です

12月8日がなかったら、8月6日もなかったはずです。
仰る通り、本来戦争に被害者も加害者もありません。あるのは国家権力を背景にした暴力の応酬だけです。
その辺については先日私もログに上げました。よろしかったらご高覧下さい。

真の平和より核のみの廃絶?

♪うみがめ さん

私は、子供の頃から当たり前に、
広島や長崎は原爆を落とされた被害者だと思い
また、そう教えられ育ってきました。

しかし、ある時、
純粋に「平和」という事について自分なりに考えてみたら、
広島での平和運動というのが凄く矛盾した
平和活動に思えて来ました。

1つに、平和記念資料館の入り口脇にある核時計の存在。
「広島への原爆投下からの日数」をカウントし、
同時に最後の核実験からの日数をカウントしています。
原爆投下からの日数はリセット出来ませんが、
最後の核実験からの日数は幾度となくリセットされています。
核実験が行なわれれば一大事と大騒ぎです。
中東で自爆テロや内戦などが起ころうとも、
それよりも核実験の方が重要な広島の平和意識。
平和をアピールする広島ですが、
平和の事よりも核のみの事の方が重大に感じて仕方ないです。

主語が無い反省

うみがめさんの記事、拝見しました。「主語が無い」というのは、日本語特有の表現とは言えますが、やっぱりそこを有耶無耶にしてしまうのが日本人気質なのかもしれません。勿論、言うべき主語は「人類全体」なのだと僕も思います。
僕自身、日常的にアメリカのTVを観るようになるまでは「日本は原爆による多大な被害を受けた被害者」という事に何の疑問も持っていませんでした。そう教わって育って来たからです。でもアメリカのTVでは、日本軍が長閑なパール湾という土地を何の前触れもなく空爆してきた映像が,当たり前のように流れます・・・逃げ惑う人達に容赦なく爆弾を投下する日本人の姿が。初めて見た時は日本人として本当に本当にショックでした。「なんでこれで被害者ヅラしていられるのか」と。その映像は決して「日本がこんな事をしたんだぞ」という意味合いのものでは無く、「突然の襲撃に(←どこの国であろうと関係無いのだと思います)とっさの判断で勇敢に指揮を取って命がけで迎撃し、国を守った兵士を讃える(愛国心の)資料映像でした。日本人でありながら、そんな映像は日本では一度も観た事はありませんでした。流してはいけないのでしょう。原爆は絶対に許されないのに、ミサイルや爆弾や毒物兵器で大量に人を殺める事なら許されるわけではありません。
「やられた被害(被害者であること)がどんなに辛かったか」を語る姿勢だけでは、本当の平和など来ないと思います。その被害を敵国にもたらそうとしていたのが自分たちであり、そんな狂気の中に自分達がいた事を加害者としても認めなければ、何の前進もないと思います。
アメリカ国民側の「広島への原爆投下は正しかった」という意見にヒステリックになる前に、日本の他の国々への攻撃は正しかったのかどうかを語るべきだと思うのです。それを全くしないで「平和」なんて語れるのかと・・・。

平和の意識

♪morito さん

全く同感です。

>「やられた被害(被害者であること)がどんなに辛かったか」を語る姿勢だけ

まさに、私の感じてる広島から発信する
世界平和の違和感そのものです。
日本がこれまでに行なって来た攻撃も含め、
考えて行かないと新の平和はやって来ません。

被害者意識のみで悲惨な国をアピールばかりしてると、
日本から攻撃され悲惨な目にあって来た国の人々からは
日本も酷い攻撃をしてきたのに…と
逆に反感を買うでしょうし、
原爆を落とされた日本人と同様に
憎しみしか生まれて来ないでしょう。

現在の平和運動は、
日本のご都合主義と言われても仕方がないと思う。

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