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買いたい理由

飲みたくないトマーテ?

数日前にエントリーした記事(クリック)に、デザインが悪いから飲む気になれないと語ってたデザイナーさんのブログ。「発売前なので味は不明ですが、ネーミングやパッケージデザインからはシズル感が感じられません。(飲みたい気分にならないね)」…との事。

コメント

そのブログのコメントで別のデザイナーさんがこのようなコメントを入れられてました。「でもこのパッケージなかなか手にとる気にはなれないんです。。。」…だとさ。

本当にデザインが理由で飲みたくないのか?トマーテ

更に、こちらのカラーコーディネーターさんのブログでも…。「なかなか手がのびなかった理由は、そのパッケージデザインにあります。~飲みたい気分にならないのです。」…そうですかぁ~。


いやぁ~、なかなか何とも…。買いたいと思えない理由に…パッケージデザインですか?私は、少々デザインが悪かろうが良かろうが、やっぱり買う理由は中身だと思いますけど…。

デザイン力向上の為に、デザイナーさんがデザインを語るのは一向に構わないと思うのですよ。悪いデザインが蔓延してしまうのは、私も良くないと思います。そう言った意味では私も同じ気持ちです。プロであるならより良い物を求める事は当然の事ですから。
( ̄∇ ̄(_ _( ̄∇ ̄(_ _ ) ウンウン

でもね、きちんと本質を見る事が出来なきゃ意味ないでしょう。
こちらで語られてるデザイナーさんの話は、全て「デザインが悪いから買いたくない」という事だそうです。本当にそうなのだろうか?(;´ロ`)
デザインの良し悪しと購入したいと思う欲求は別物じゃないでしょうか?トマーテを買う人はトマーテが飲みたいと思うから買うわけで、デザインを欲しがって買うわけじゃないと思います。( ; ×Д×)

ニューデザイン:ゴミ袋

そういうパッケージデザインの概念って、こちらのゴミ袋(当Blog内リンク)にも共通するわけで、ゴミにいくらデザイン処理を施したところでゴミはゴミ。
このデザイン処理されたゴミ袋に入れられたゴミを見て、「まぁ~~、なんて素敵なゴミなのでしょう!」とは、誰も思わないでしょう。( ̄□ ̄;)

それとも、デザイナーさん達は素敵なゴミって感じちゃうのでしょうか?「あまりにも素敵なゴミだったので、お部屋のインテリアに…、と思って持ち帰ってきました。」…とか。(*≧艸≦*)

一般的には考えられない事ですが、このニューデザインパラダイス(外部リンク)という番組を支持してるデザイナーさん達は本当に多かったから、もしかしたら、素敵なゴミだったら、お持ち帰りする事もあるのかも…。ψ(`∇´)ψ

パッケージデザインの悪い商品なんて、他にもゴロゴロ転がってますよ。それらの商品は必要でもパッケージのデザインが悪いという理由で手が伸びないのだろうか?ヾ(・・;)ォィォィ

デザインの力に中身(本質)を変えてしまう力はありません。
(||| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)アウッ

パッケージが透明無地のビニールでお洒落じゃない しめ縄

ちなみに、これは正月を迎えるにあたって私が購入した〆縄です。 パッケージは全くデザイン処理をされてない透明無地のビニール袋。地味すぎるぐらい地味だったので、 なかなか手に取る気になりませんでした。←そんなわけない!ヘ(__ヘ)☆\(^‥^=)~

デザイナーさん達って、何か大きな勘違いしてませんか?一般消費者とデザイナーさんの間にかなりの温度差があるような…。( Д|||)


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コメント


はじめまして。かげうらといいます。

パッケージが悪いからその商品を買わないのはおかしいというのは確かに私も感じるところではあるのですが、ちょっとパッケージというモノに対して論点がずれているような気がします。

まずお正月のしめ縄は、その内包物自体がパッケージとして成立しているものです。
菓子パンの中身が見える包装などと同じようにほぼ商品外観がパッケージとして成立しているものなので、その商品の見た目が良い、おいしそう、できがよさそう、などによって判断されるものです。なのでパッケージが地味というのは的を外れている気がします。

同様にごみをいくらデザインしたところでごみはごみなのですが。
そもそもそれはパッケージデザインのような効用をねらっているものではなく、ゴミ捨て場という環境をデザインするためのものではないでしょうか。感覚的に言えば汚いものには蓋をする、というような。

で、パッケージが悪いからトマーテは手に取る気になれないというものですが。
私自身ジュースや菓子パンに関しては結構新しいもので好きで、パッケージ問わずとりあえず買ってみるタイプということもあり、なんだか悲しいものです。

でも、本質を見れなきゃ意味がないというのは正しいとは思うのですが、デザイナーは本質を伝えなきゃ意味がないというのも正しいのではないでしょうか。デザインに中身を変えてしまう力はありませんが、伝達するメッセージを変えてしまう力はあります。
もし本当にトマーテのパッケージにあるトマトが美味しくなさそうなトマトであれば、商品を手に取らない人はたくさんいるでしょう。でも周りにおいしそうなトマトばかりであれば、その特異性、話題性から買う人がいるかもしれないというのは避けられないものです。
一過性の話題商品、市場原理主義の今の時代では菓子パンのようなストレートにものを伝えるデザインよりも、インパクト重視のパッケージがあふれてしまうのはなんとも悲しいながら仕方のないことなのかもしれません。

本質とは

♪かげうら さん

はじめまして。
コメント、ありがとうございます。

>ちょっとパッケージというモノに対して論点がずれているような気がします。

すみません。
私はパッケージについて語ろうとしてるのではないので、
パッケージという物に対して考えると論点ではズレてると思います。
だから、パッケージで語れば、
パッケージのデザインを否定してるわけではありません。
私もデザイン業界の人間ですから、
パッケージのあり方を否定してしまえば、
自分の仕事をも否定する事になってしまいますから。(^_^;)

私が問題にしてるところは、
デザインに至までの考え方です。
確かに、〆縄の袋は透明で中身が見えるので、
ちょっとこの場合とは違うかもしれませんが、
パッケージデザインに至までの考え方で言えば
的を外してるとも思えないのですよ。

ゴミ袋のデザインにしても同じです。
そのデザインがどういった使われ方をするのか?
その理由を単に物単位で考えるのではなく、
生活という時間の流れで考えて欲しいのです。
「環境をデザインするためのもの」という考え方も、
もちろん私は理解してるつもりです。
しかし、ゴミ袋にプリントしただけのデザインで、
ゴミの目隠しになりうるでしょうか?
ゴミ袋は既に誰もが利用してるものですし、
ゴミの目隠しはされてるでしょう。
また一部地域では、正しく分別が出来ているか確認出来るように、
半透明、或は透明の袋になっているでしょう。
それは理由があっての事で、そうなってるわけですよね。
しかし、このゴミ袋のデザインはそのような理由も考えられていないし、
ゴミを捨てると言う行動(生活)まで視野に入ってないでしょう?
ゴミを丁寧に並べて捨てる意味があるのか?
無造作に投げられたゴミはいくらデザイン処理された袋であっても、
綺麗に見れる事は無い。
無地の袋ですら綺麗に見えないものが、
ワチャワチャと柄の入った袋が
無造作に捨てられてても汚いだけです。
この写真のように、たった2つのゴミ袋で
綺麗に世界地図になるようにゴミを捨てる事。
それって可能ですか?
一ヶ所に捨てられるゴミがたった2袋って事はないでしょう?
そう言った、生活の行動まで考えて
環境デザインだと思うのですよ。
私の言う本質とはそう言ったところです。
汚いものには蓋をするというのであれば、
ゴミを捨てる場所にその環境にあったゴミ箱を
設置する方が理にかなってると思います。

>デザイナーは本質を伝えなきゃ意味がないというのも正しいのではないでしょうか。

これはごもっともな意見です。
しかし、本質が見れてないデザイナーが
本質を伝える事ができるでしょうか?
トマーテの記事を書かれたBLOG(一番上の画像)では、
「発売前なので味は不明ですが」とあります。
中身が理解出来てないのに、
デザインの良し悪しが語れるものでしょうか?

物を単なる物で考えるのでなく、
それを使う生活スタイルまで考え
初めて本質を伝えるデザインと言えるのではないでしょうか?

いくら見栄えの良いパッケージで、
最初はパッケージにつられて手にとっても、
中身が伴わなければリピーターにはならないでしょう。

逆にデザイナーさん達がボロカスに言ってるトマーテですが、
リピーターは多く好調な売れ行きのようですよ。
シズル感のない美味しくなさそうなトマトでも、
それは缶の絵で「本物じゃない」という事を
消費者は理解してるわけです。

「パッケージが悪いからその商品を買わない」
明らかな消費者との温度差です。
この温度差を無くさない限り
本質を伝えるデザインなんて出来っこないと思いますよ。

パッケージという物だけを見てたんじゃ何も見えて来ないです。
インパクト重視のパッケージも消費者との温度差だと思いますよ。
http://kbrand.blog9.fc2.com/blog-entry-1066.html
   ↑
こちらで紹介した、
チロルチョコのパンですが、
早くもお店から消えました。
デザインはチロルチョコそのままのデザインで
インパクトは大きいと思いますよ。
しかし肝心のパン自体が、かなり不評だったようで、
いくらデザインで誤魔化しても、ダメなものはダメですよね。

かげうらさん、こちらにいらしてたんですね!あらためて初めまして(^_^;)

KOJIさんが透明の袋を例に挙げてしまったのは確かに誤解を生んだかもしれません。恐らく言いたかったのは「袋に何の工夫も無いので買いたく無い」という妙ないいがかりをつける人への皮肉だと思います。例えるなら、スーパーのレジ袋でも良いでしょう。「レジ袋のデザインが良く無いので、あのスーパーでは買い物したくない」なんて変な理由を付ける人は居ないと思うのです(袋がお洒落だからその店に行きたくなるというプラス側の効果は有りです)。

そしてトマーテのほうも、隣に同じようなトマトのカクテルが複数あって、そちらのデザインのほうが良いのでデザインがイマイチなトマーテが売れなくなっているとしたら、デザインに原因があるとは言えると思います。これもアイキャッチ的な効果であって、美味しそうな絵のほうを選ぶというのは正しいのですが、他に類似商品が無い場合、パッケージデザインは「買いたい理由」にはなっても「買いたく無い理由」になるというケースは、相当に酷い場合を覗いては有り得ないのではないかと思います。実際トマーテのモニター調査ではパッケージデザインが気に入っているという購入理由が3位に入っているようです。それにも関わらず、いくら専門的な立場だからと言って、意見を通そうとするのは、消費者の感覚と掛け離れていてやはりおかしいと思うのです。

ゴミ袋の件も、中身が見えている袋を不透明にするほどの違いであれば「臭いものに蓋」と言えますが、元々不透明なゴミ袋にあの程度の柄をつけたところで「美しい!」なんて感動する人は居ないと思うし、100歩譲ってそんなゴミ袋に感動する人が居たとしても、本当に我々が実行すべき目的は「ゴミを減らすこと」であって、目隠しをする事では無いですよね。分別をちゃんとしない人が解るように、半透明の袋を使うようにしている地区もあるように、汚さを隠すのではなく、ゴミをちゃんと処理しやすいようにモラル自体を改善して行くためのデザイン仕様というのも必要だと思うのです。奇麗な袋なので沢山ゴミがあっても気にならない!ではむしろ逆効果です。

デザイナーが「自分達に出来ること」ということでデザインで何かしようという気持は解らなくは無いですが、あまりに過信しすぎで、デザインする自分達のことばかり考えていて意識過剰気味です。普通の感覚と掛け離れているところがとても気になります。

デザインの役割

♪morito さん

補足的コメント、ありがとうございます。
そうですね。
パッケージのデザインが悪いから手が伸びないは、
本当に乱暴な話だと思いました。

私もパッケージデザインで商品を選ぶ事はあります。
しかし、その場合は類似商品があり、
その中でデザインの良い方を選ぶという場合ですね。
その場合、根底にはその商品が欲しいという事がまずあり、
それからデザインの選択です。

例えば、ビールが飲みたいからビールを買おう。
ビールは様々なメーカーから色々出てます。
味の違いというのもありますが、
味のよく解らなかった若い頃は、
缶のデザインがカッコ良いからと、
バドワイザーやハイネケンを買ったりしてました。
でも根底にはビールが飲みたいという気持ちがありますので、
もし、そのお店でバドワイザーやハイネケンが
取り扱われてない場合でも、他のはデザインが悪いからと、
ビールを買う行為をやめるなんて事はありません。
逆に味に拘りがあり、そのビールが無いから、
他のは買わないって事はあるかもしれません。

それと同様に類似商品が無く、
選択肢がそれしか無い場合の商品でも、
パッケージデザインが悪いからという理由で
買わないって事はないです。
この例に上げたトマーテの場合は、
他に類似商品が無いですよね。

それにも関わらず、欲しくない理由がデザインって言うのは、
一般消費者の感覚と掛け離れていると思います。

新年おめでとうございます!
昨年から尾をひいているこのネタ(笑)元旦にこんな商品を見かけてしまいました:
http://www.mmaid.jp/product/index.html
まさに大先生たちが批判してる上下が白と黒に分かれた「ちぐはぐ」な悪いデザインでしょうか?!本家アメリカ版も、Minute Maidの黒バックのロゴ・イメージに沿って同じようなプロダクツが出回っています。そして日本版を販売しているのはコカコーラ社なんですよね。

トマーテでは黒を使って差別化しているのにも関わらず「トマトジュースと間違えてしまう」なんてケチつけていた人達は、Minit Maidでは「黒を使っているからお酒と間違えてしまう」とケチつけそうな気がします。批判する人達の姿勢ってそんなです(くだらない!)

新しいデザインが出て、たとえそれが定着する可能性を持っていても、頭が硬く、法則にとらわれて、思考停止している人達には受け入れられないのでしょうね。もしこれが10年、20年とロングセラーになったら気は変わるのでしょうか?仲間を集めて「それでもデザイン的には良くない」って言ってそうな気もします・・・一体誰のためのデザインなんだか・・・。

♪morito さん

あけましておめでとうございます。
      ↑
昨日、新年の挨拶を忘れてました。(大滝汗)

>昨年から尾をひいているこのネタ(笑)

人生は1年…、12ヶ月周期でリセットされ繰り返されてるのではなく、
生を受けてから死まで、その人の人生は一本道です。
だから、昨年から尾を引いてても全く問題無っしんぐです。(笑)

最近、凄く感じるのが、
マニュアルに則ってというのかなぁ~?
法則に従って、そこからはみ出して、
考える事が出来ない人が増えてるように思います。
良い意味で考えると律儀って事になるかも知れませんが、
悪く考えると融通が利かない堅物ですね。(^_^;)

本当に1つの法則に捕われ過ぎてしまってる感じです。
デザインに限らず、全てにおいて…。
法則に則って行動してるので、
「何故そうなのか?」理由を考える事が無い。
それが思考停止に陥ってるのじゃないでしょうか?

丁度、今、正月で時期なのですが、
年賀状についてのアンケートを見ました。
「あなたは、年賀状を出しましたか?」
「どれだけ届きましたか?」
…というようなアンケートで、そのコメントに、
「年賀状なんてもう古い!」「メールで簡単に済ます」とか
そのようなコメントが沢山有りました。

だけど、冷静に考えて、
年賀状が古いとかそういう新旧で考えるべき事なのでしょうか?
新年の挨拶で、その人の気持ちが年賀状という物に表されてるわけで、
単なる物の感覚で考えると、新旧で考えてしまうのでしょうけど、
相手を敬う人の心に新旧なんて存在し得ないですよね。
年賀状がタダの義務、毎年の決まり事としての法則で
書かれてると、その年賀状に心はないだろうし、
「面倒だから今の時代、もう古いよ!」って事になるのだろうね。

今の世の中、心が本当に消えそうな世の中なのだろうと思います。
デザインだって、本来は誰の為のデザインなのか?
相手の事を考える「心」が凄く大切なんだけど、
その「心」が何処かに置き去りにされ、
ただ形と言う部分しか見えなくなってるので、
大きな矛盾が生まれてくるのでしょうね。

あけましておめでとうございます

正月前にコメントしてしまったため、返事を書くのが遅くなってしまいました。すいません……。

改めまして、あけましておめでとうございます。

まず、私が考えていた思考の方向(パッケージ)と記事の方向性がだいぶ違っていたようで、すいません……。

透明パッケージについてはmoritoさんのおっしゃるとおりで、ビジュアル的に引き合いに出すものではないだろう(その根底にデザイン思想があるかないかは別として)と思っていたのでつい噛み付いてしまいました……。見解としてはたぶんKOJIさんと変わらないと思います。

ゴミ袋に関しましては、自分の完全なミスのため、すいません。ただ、言い訳になるようでみぐるしいのですが、気になって調べたところ、しっかりとしたコンテクストを持ってデザインされたもののようです。
過去記事においてご指摘されているのを拝見しましたが、これはただビジュアルをのせただけで、ゴミ袋も環境もかっこいいものにするというものではなく、デザインはもちろんのこと非常に広告(メッセージ性をこめたもの)的に作られたもののようです。「カラス撃退唐辛子入りゴミ袋」や「使いたい大きさに七変化するゴミ袋」のような生活するうえで役立つ、ということをコンセプトにおいているわけではないようです。むしろ私が始めにコメントしてしまった目隠しとはまるで逆のものでした。

ちょうどよいブログを見つけましたので、貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/hirokuma/20050507

きっとこのゴミ袋のテーマはゴミを減らすことでしょう。
なので別にくしゃくしゃにしても、積み重ねても、10個でも20個でも、きたなくしてもここにこめられたデザイン思想は曲がらないものです。むしろ、そうすることで、私たちに環境という問題をしっかり伝えてくれる。
「ゴミにいくらデザイン処理をしたところでゴミはゴミ。」
確かにそのとおりだと思いますが、私たちのゴミに対する意識を変えるきっかけにはなりえると思うのです。何も意識せずに暮らして、ゴミを捨てている世の中だからこそ、このようなカタチで生活をチクリとさすようなデザインが必要なのではないかと。

そういえば最近奇妙な自動ドアが増えました。木製の引き戸なのに、自動ドアボタンがついていて、自動ドアになっているというなんともいえない自動ドア。
ドアをあけるという行為にも年賀状のような心があると思う身としては、なんともいたたまれないデザインです。

なんでも便利だ。楽チンだ。の一辺倒で、それもマニュアルや法則的過ぎて、やっぱり大切な何かを失っているように感じます。


ちょっとゴミ袋についての話が長くなってしまいましたが、この記事やコメントを通してデザイナーが本質をしっかり捉えて、伝えるということが大事だというのを改めて認識させてもらいました。ありがとうございます。

説明

♪かげうら さん

あけましておめでとうございます。

>記事の方向性がだいぶ違っていたようで、すいません……。

いえいえ、
私の文は時々言葉足らずな所があり、
誤解を与えてしまいがちですので
「気をつけないと」と常日頃から思ってはいるのですが、
後で読み返してみると、
なんだかパッケージデザインの
そのものを否定してるように感じられますよね。

ゴミ袋の件ですが、
なるほどぉ~!といった感じですね。

世界地図で環境を考えゴミに対する意識を変える
という考えは理解出来ました。
そのコンセプトの方向性は納得出来ました。

ただ、私の住んでる場所は、
この「ニューデザインパラダイス」の放送がされなかった地域で、
一度もこの番組を見た事がありません。
おそらく、番組内ではデザインが出来上がるまでの過程で、
コンセプトや方向性などの考えが、かなり説明されてるのでしょう。
多くのデザイナーさんが支持してるのは、
そういった考え方の説明を聞いて納得されてるのだろうと思います。

しかし、実際に出回る多くのデザインは、
そのデザインに触れる一般の人達に対し、
そのような説明を知らされる事はありません。
「見た物が全て」なのですよね。
そのデザインが発するメッセージが全てです。

何もコンセプトや経緯を説明されず、
いきなりこのゴミ袋を見た時に、
このデザインは地球環境を考える事に繋がるのでしょうか?
…という疑問が湧いてきます。
作品が発表されると言う事は、
それがそのデザイナーさんの答えなのでしょうから、
「方向性は共感できる」ではダメだと思うのです。

説明を知らされず見たデザインは、私には単純に、
「地球の形になるように地図を揃えて捨てない」と意味が無い。
と単なる表面的なデザインとしか感じる事が出来ませんでした。
私に感じる力が弱いのか…、
それとも、誰もが説明が無いと理解出来ないものなのか?
この説明されなければ理解出来ないデザインというのも、
過去に何度か、このブログで取り上げてるんですよね。(^_^;)

私が、このコンセプトでゴミ袋を考えるとしたら、
ゴミ袋は半透明のままですね。(笑)
その方がゴミ袋のコストもかからないし、
プリントするインクも必要ないですから。
そのかわり、ゴミ袋を使う前のパッケージに工夫します。
ゴミ袋のパッケージの中に台紙(厚紙)でも入れて、
その台紙に環境破壊された風景写真でもプリントするかな…。
買った状態のゴミ袋は折り畳んで
数枚が重ねられパッケージされてますよね。
そして、既存のゴミ袋は、
パッケージの1ヶ所を破って、
1枚1枚抜き取って使うようになってると思います。
それも、そのまま使います。
折畳み重ねられてパッケージされてる半透明のゴミ袋は、
可視性がなく白い状態です。
その為、台紙になっている環境破壊された風景写真は見えません。
ゴミ袋を1枚1枚使い、パッケージの中のゴミ袋が減ってくると、
半透明のゴミ袋が徐々に透けて一番下の台紙、
環境破壊された風景写真が顔をのぞかせてくる。…とかね。

ゴミを出す事で
環境の悪化を疑似体験してもらうという感じかな。(笑)

デザイナーたちの自己満足的

「ニュー・デザイン・パラダイス」、僕は実際に何度も観た事がありますが、観ているととても気分が悪くなって吐き気さえするぐらいでした。ゴミ袋に関する「説明」は解るのです・・・しかし、あまりにも「こうだからこう」という方程式の提示のようで、実際には「そんなに上手く行くんなら誰も苦労しないよ(だったらもうとっくに改善されているはず)」と思えるような薄っぺらで安易なものが多くかったからです・・・これは実際に観てみないと解らない感覚かもしれませんが。(素人視聴者向けの番組であって、プロが共感する内容とは思えません)

かげうらさんがリンクしてくださったところの記事にも「押しつけがましくされると、人はそこから距離をおきたくなるもの」という理屈も、果たしてゴミに対してもそうだろうか?ととても疑問に思いました・・・その精神はそんなにあまのじゃく的に変わるものでは無いと思うのです。もしその程度の精神だったら、袋にどんな柄がついていても効果は期待出来ない気がするのです(最初だけですぐに飽きてその精神を無くすとか)。もっと本質的なところから改革が必要なんじゃないかと強く思います。

また地球模様ではない↓このようなもの:
http://designworks.seesaa.net/article/37019829.html
「普段目にも留めない、止めたくない場所を利用してのアートワークとは何ともシャレています。これなら毎日のゴミ捨ても楽しくなるかもしれません。また乱暴に積む人、ゴミを投げる人も少しは減るかも…。日常をクリエイティブに変えてくれるすばらしいアイディアだと思います。」というだけでは、ほとんど何も変わらないような気がするのです。僕はいつもリサイクルゴミを出しに行くのですが、その現場(ちゃんと「スチール缶」「アルミ缶」「色付き瓶」などの絵つきのサインで分別しやすいようになっている)でさえ無視して投げて行く人達が多くて、僕は見つけたら他人のゴミでも軍手をはめて極力分別してあげたりするのですが・・・全く改善されません(ちゃんと分別してゴミを出しに来ている人達でさえ、僕の姿を見て一緒に手伝ってくれようという人は居ません・・・特に求めませんが。ただ、必要なのは理屈で解る事よりも、実際のアクションおよび結果に表わすことだと痛感します!)。ゴミに対する意識の無い人に対して働きかけるのが目的であるものが、ゴミに対する意識のすでにある人への自己満足的な模様になっているだけでは、全く意味が無く、まして「(ちゃんとしましょうと言われると)そこから距離を置きたくなるもの」なんていう考え方自体が何だか良く解りません。

とにかく、そんな生温い事で本当に変わるのならやってみれば?とは思いますが、なんだかアイデアを出すだけで終わってる気がするし、「いいね、いいね」って言ってるデザイナーたちの声だけしか聞こえない、そんな現場がとてもぬるく感じるのです・・・。「本気なの?」という疑問しか感じられないというか。

「あの地球模様にはそんな思いが込められているんだよ」という説明はもちろん解ります。でもそれだけでは作ってる側の説明でしか無く、希望的な事に過ぎません。それを見て「これじゃとても無理」という判断力と、現場の生活者としての感覚も、本気で事を起こすには必要不可欠だと思うのです。「いいね、いいね」って言ってるだけのデザイナーにはそれが欠けているように思えて仕方が有りません。それがダメなら次のもっと有効な手段を!というところまで想いが行っておらず、そのモノを見て終わっちゃってる気がするのです。

http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-985.html
↑こちらで取り上げたように「本気でそう思ってるの?」と思うような、めためたなコンセプトという印象しか受けないのです。

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