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戦争のおろかさ

原爆ドーム

昨日の8月6日は、広島原爆の日でした。平和記念公園では平和記念式典が開催され原爆と言う脅威と共に、福島第1原発原発事故で新たな核の脅威を問われました。

66年前のあの瞬間、人類が生んだ史上最悪の兵器、原爆は、普通に暮らしていた市民一人ひとりの上でさく裂した。直前まであった家族の団欒、かけがえのない日常を奪われ、見えない放射能の恐怖と闘いながら、生きてきた被爆者たち。東京電力福島第1原発事故で、日本が新たな核の脅威に直面する中迎えた6日、消す事の出来ない悲しみや悔しさを抱える人、語り継ぐ決意を持つ人たちが、県内各地で祈りをささげられました。




被爆体験をされた知人のお父様が4年前、小学生に伝える為に重い口を開き小学校で体験談を話されました。そして、その話が文集にされました。思い出したくない事、言いたくない事…。そして、この体験談は最初で最後の話です。貴重な体験談に心より感謝致します…。

「戦争のおろかさ」

私は、原爆の事はあまり喋りたくないんです。生々しいので…。

昭和16年の12月4日、太平洋戦争が始まった年に受験して広島市立商業中学に入りました。その頃は、義務教育で小学校とその上の高等科に通わないといけなくて、自分から旧制中学に受験して入ったんです。戦争中だったからか、勉強は全く出来なくて、土木工事をずっと手作業でやっていました。入学してから今の西飛行場の北側にある総合グラウンドは私達が造ったんです。そのグラウンド開きは、太平洋戦争が始まった12月8日だったから忘れもしません。

それから、2年生になって呉にある海軍工廠(かいぐんこうしょう:今の大和ミュージアムがある所)に学徒動員がかけられ、阿賀の寮から通っていました。

そのころ、広島では、兵隊の兵器廠(へいきしょう:兵器をつくる所)や被服所(兵隊さんの服をつくる所)や糧秣所(りょうまつしょ:缶詰をつくる所)があったんです。また当時は冷蔵庫は無く、兵隊さんの食べ物はほとんど、缶詰であったようです。缶詰だったら保存も利くし持ち運びにも便利です。

当時、東京や大阪などは、アメリカの飛行機がいっぱい飛んでいました。油脂しょう弾(中に油をふくんだ爆弾)を落として行きました。当時は木造家屋だったから、すぐ油がちって火が燃えていました。呉や福山にも落ちているので、次は広島に来ると思っていました。

今の宇品から兵隊が海外へ行っていました。だから、広島に爆弾が落ちたのです。それに相生橋の形がH型でわかりやすかったし原爆ドームも目印になりやすかったのでしょう。

私は当時学徒動員で呉の寮にいました。呉の工場で休みなしで兵器を造っていたんです。学生は日曜が休みなので広島に帰っていました。私も5日は広島の自宅へ帰っていました。



6時頃の汽車に乗り呉の職場へ


8月6日は、6時頃の汽車に乗り、呉の職場へ行ったんです。8時15分、呉まで爆風がきて、ピカーッと光りました。最初は何が起きたかわかりませんでした。皆実町に大きなガスタンクがあるので、それが爆発したと思ったんです。お昼頃、広島に新型爆弾が落ちたと知ったんです。その当時はニュースが無いので、どんな様子なのか全くわかりませんでした。広島へ爆弾が落ちた事を知り、私たち学生はすぐに広島に帰りました。

広島に入ったら、何もなかったんです。本当に何もなかったんです。市内に入ったのが、確か、2時頃だったと思いますが、市内の中心の方から死人かと思えるような人がいっぱい歩いて来たんです。私はどうにかしてあげたかったんですけど、医者もいないし、薬も無い。助けたいけど何もできなかったんです。あまりに酷い状態だったので話したくないんです。



焼け野原


市内電車が焼けていたのを一緒に行動していた友達3人と見ました。電車の中では人が焼け死んで、見たくありませんでした。そして、川に行ったら死体が浮いていて、涙が出そうなのにそれを見なれてしまって泣けなかったです。

それから、どこか分からない所を歩き回りました。家が焼けていて家族の事を知らせる板が立ててありました。



救助


大手町にある今の中電病院のセメントで出来た大きな水をためるものが有ったんです。その当時、それは各家で義務づけられていて、火事の時に、そこからバケツで水をかけるのです。その中に入っていたおばさんが「助けてくれ。」と叫ばれたので、友達と一緒に出そうとすると、「ズルリ」と皮がむけたんです。私たちはもう駄目だと思い、あきらめました。その事が今だに忘れられないのです。

その晩は道路で寝ました。死体を焼くニオイは、とても臭いのだけど、それさえも感じなくなるほど神経がおかしくなっていました。


戦争はむごい…。戦争は罪のない人も殺されてしまう…。あなたたちは平和な世の中に生きて幸せです。今まで一度も喋った事のない話を今日しました。どうか私の気持ちを汲んで戦争のむごさを後に来る人たちに伝えてほしいです。

(挿絵は小学生が書いたものだそうです)





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戦争の惨さを伝えてくれる事に感謝!苦しくもそんな中、生き伸びてくれた両親がいるから私がいる。そして知らないところで知らないうちに、多くの人々に支えられいる事に感謝!
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