
レーシングフィールドで育てられた珠玉S20型エンジンを搭載。レーシングカーR380のエンジンを、ほとんどそのままの形で移植されたモンスターマシン。「スカイライン」という名は、日本のモータリゼーションの中では極めて特殊な存在と位置付けられているようです。極端な話、自動車に全く興味を覚えない人であっても「スカイライン」という名前は知っているというぐらいポピュラーな名前です。これほど一般に広く浸透した車の名前は、日本においては他に例を見ないと言って良いでしょう。
スカイラインは、スポーツ・モデルとしてのスカイラインGTの名前として生まれたのではありません。最初のスカイラインは、今はなきプリンス自動車が、1957年に発表したALSIS-1型につけた名前でした。当時の国産車の中では極めてアメリカ的な匂いのする乗用車でした。この車の系列には後にグロリアとして発展を続ける事になるのですが、1963年になって全く新しい小型乗用車の名前として再び「スカイライン」は登場することになりました。S50D-1型としてデビューしたこの車は、現代的なフラットデッキとシャープなボディラインを特徴としていました。
1963年には、第1回日本グランプリが出来たばかりの三重県鈴鹿サーキットで行われ、日本も遅蒔きながらモータースポーツの時代を迎えていました。日本最初のモータースポーツイベントが20万人もの観客を動員した事で、その影響力の大きさに驚いた各自動車メーカーは、こぞって来るべき翌年の第2回日本グランプリに向かって大急ぎでスポーツモデルの開発になりました。
そして、プリンスでは、1964年3月、このS50D-1型をベースに、初代スカイラインGTであるS54-1型を限定生産する事にしました。もちろん、同年の第2回日本グランプリへの布石としての役目を持った車であった事はいうまでもありません。小型のボディに大きな2000cc直列6気筒SOHCを大径のウエーバー・キャブレター3個等でチューンナップしたエンジン(もとはといえばグロリア用)をロングノーズ化したスカイラインのエンジンルームに押し込んだものでした。
結果は上々で、ワークスドライバーである生沢徹の駆る「スカイラインGT」は、ポルシェ904と対等の接戦を演じ、僅差で2位になったものの「スカイラインGT」の名前を決定的なものとしたのでした。いつしか「スカG」の愛称で呼ばれるようになったスカイラインGTは、日本初の本格的なGTとして一般にも親しまれる事になりました。この限定生産車であるスカイラインGTを一般に市販する事を望む声は強く、1965年3月からスカイラインGT-Bとして本格的な市販が開始されました。世はまさにモータースポーツの黄金期であり、「スカG」はその中心的存在でした。燃費や排ガス規制等は誰一人考えず、面白くも危うい時代でもありました。しかし、そうした事とは別にプリンス自動車は、厳しい業界再編成の波から逃れる事は出来ず、1966年8月に日産自動車へ吸収合併されてしまった。

「スカG」の命も途絶えるかに見えたのですが、その後も「スカイライン」の名前は日産自動車の中で生き残ったのでした。そして、以前にも増して大きく発展を遂げることになりました。これが言うなれば「GT-R」の前史です。
今日の目から見れば、4ドアスポーツセダン(写真は2ドアですが)にしか過ぎずスカイラインGTであったが、当時の日本では並ぶもののない無敵の存在でした。

1968年の東京モーターショーで第3世代の車として登場したNEWスカイラインは、独特のサーフィンラインと呼ばれるリアフェンダーのプレスラインを始めとして、全くの新型車に生まれ変わっていた。そして、人々はとてつもない車を見る事となりました。
外観上はクロームモールやホイールキャップ等の光り物を外した地味なモノだったが、そのエンジンルームを一目見た途端この車が只物ではない事は見て取れました。なんと、そこにはDOHCのカムカバーとエンジンヘッドよりも大きなマスを占める3つのサイドドラフト型のツインチョークソレックスキャブレターがあった。
このエンジンこそ、1966年の第3回日本グランプリに完全優勝を果したプリンスR380のデ・チューンヴァージョンだったのです。直列6気筒1989ccの排気量と1シリンダー当り4つのバルブ(吸・排気それぞれ2個)をもつDOHCの高度な設計のヘッドは、今でこそ当たり前ですが当時としては他に類を見ない革新的なことでした。
キャブレーションはR380のルーカスのメカニカル燃料噴射システムからソレックスキャブレターへ、カムシャフトのドライブはギアドライブから複列のローラーチェーンに変更されていた(一次はギア式)。圧縮比は9.5と高く、イグニッションシステムはオリジナルそのままのフルトランジスター型が用いられていました。潤滑方式はウエットサンプとされました。最高出力は160ps/7000rpm、最大トルクは18.0kgm/5600rpm、そして、ミッションはマニュアルの5速(ポルシェタイプのサーボシンクロを備える)。最高速度は200km/h以上と発表されていました。
同じ時代のシェルビーGTやコルチナ・ロータス等と同じく、スタンダードなセダンボディに大型かつ強力なエンジンを組み合わせることによって、破格の性能を実現させるとともに、いささか乱暴な手段で造られたスポーツカーではあったが、ファンは“羊の皮をかぶった狼”というニックネームを奉ってその登場を歓喜して迎えたのでした。
今日ほどには空気力学的な意味合いが重視されていたわけでもなく、極めて当り前のボクシーなセダンボディを持つスカイラインGTRの走る様は、まさに空気を押しきって突き進むイノシシの如きでもありました。しかし、サーキットに於ける成績は他に強力なライバルの存在がなかった事にも助けられて、国内のツーリングカーレースでは、通算50勝の大記録を打ち立てました。純粋なレーシングカーR380のエンジンをほとんどそのままの形で移植されたスカイラインGTRは、日本のクルマの中ではレーシングフィールドから直接的にフィードバックされた唯一の例と言って良いでしょう。
トヨタが同じようなスペックを持つ2000GTをレーシングフィールドで熟成しようとしたやり方と対照的であり、いかにも技術屋集団であったプリンス自動車らしいアプローチであったともいえます。そしてまた、スカイラインGTRの存在は、かつての日本の自動車産業が経済効率といったお金勘定を無視して造った事もあったのだという事実の記録でもあります。
確かに今の技術をもってすれば、GTRが持つ絶対的な性能等は、それよりも遥かに小さいエンジンでも達成する事は容易いでしょう。しかし、スカイラインGTRは単に性能のみでの評価はできないし、するべきではないと思います。自動車大国ニッポンと言われるようになってかなりの時間が経った。少なくとも生産量の上では世界一のタイトルをものにしたと言えるのではないでしょうか。現在で例えるなら、F1マシンに使われるレース用エンジンを市販車のセダンにそのまま乗せたような車であり、このGTR以降、そのような車は出現していない。だからこそ、スカイラインには数々の伝説があり、GTRが特別である所以なのです。およそ30年前に漠然と現れたスカイラインGTRは、誰にでも乗れる車ではなかったからこそ伝説に成り得たのです。

●サイズ:全長4330mm/全幅1665mm/全高1370mm
●車輌重量:1100kg
●エンジン:1989cc 直列6気筒
●最高出力:160ps/7000rpm
●最高速度:200km/h以上
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