
何気に…、
写真はペットボトルに溜めてるごくごく普通の水です。
私の事務所には、
常にこの500mlのペットボトルに入れられた水が
20本程あります。何故なのか?
その理由は、事務所に水道(シンク)がないのです。それで、水をペットボトルに溜めているのですが、
この水は飲み水ではありません。
アクリル絵の具を使ってイラストを描く時に使う水なのです。
いちいち絵を描く為に水を汲に事務所から外に出て行き、
絵を描いてる途中に水が汚れたら水を替える為に
外に出ていくってのは面倒で、このように溜め込んでます。この水は絵を描いてる時に必要な水で、
常に使ってるわけではないので、
夏の時期はペットボトルの中で
藻が生える事もあります。(笑)
そうなると、使い物にならない水となって、
結局汲み直しになりますが…。(^_^;)
いやぁ~、事務所にシンクが欲しいですね~。(願望)
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写真はカメラ付き携帯電話で撮影したもので
画質が非常に悪いです。広島県の6区で頑張る、堀江さん。
自分の選挙区(7区)よりも遥かに面白い。
正直、私は7区の候補者は皆嫌いな人ばかりで
投票拒否したいくらい。(^_^;)
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なんだか、便利に成れば成るほど、
原点に戻ろうと逆行している自分がいる。機械の冷たさよりも人としての温かさを求めているのだろうか?車も楽で便利になってきてるが、
人が操るという基本の部分は欲しい。だから、最近の新しい車に馴染めない。
デザインも、パソコンが導入されデジタル化し、
線を1本引くと言う事もテクニックはいらず
誰でも簡単に引く事ができるようになった。
難しいテクニックが必要無くなった分、感覚が衰えてきている。それを防ぐ為に、
パソコンを活用しながらもアナログも平行して行っている。
しかも、アナログな要素がどんどん大きくなってきてる。便利って事は、人の退化の始まりなのかなぁ~。
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少し足をのばして、
某ショッピングセンターに行きました。
そのショッピングセンターは、オープン時の活気はなく、
「そろそろヤバいのではないのだろうか?」と思うくらい客の数が減っている。以前は、駐車場にクルマを止めるのも一苦労で、
長い列に並びいつも満車状態。
車1台が出れば、1台入れる。という感じだったのですが、
現在は休日などでも駐車場に空きが目立ちます。
また、ショッピングセンターに入ってた
テナントもかなり撤退していったようで、
テナントの開きスペースも目立ちます。
そのショッピングセンターで気になったのが、
従業員
(店員)の名札に「今月の努力目標」がかかげられていた。
数人の努力目標が同じ内容で、「笑顔で接客」等。ショッピングセンターに限らず、
商売だと「笑顔で接客」と言う事は、
努力目標にも値しない基本中の基本なのでは?出来て当たり前の事なのでは?と思うのですが…。
TVのCMでも、某キャシングのTELオペレーターが
「私たちは声の笑顔を大切にします。」というコピーがありましたが、
TELオペレーターならば、「声の笑顔」って基本中の基本で、
わざわざ宣言する程のものでもないと思うのですが。
それだけ、当り前の事が出来なく、
当り前では無くなってきてるのだろうか?私たち、(グラフィック)デザイナーの中でも、
デザインワークにおいて、「表現」は一部だと思います。
芸術性はもちろん内包していますが、「操作性」、「視認性」や
「費用対効果」「マーケット情報」「耐久性」「企画力」
「情報ソースの伝達力や信頼性」といった様々な要素の上になりたっています。
私はそういう総合的な観点からデザインワークを捉えています。と言うような内容の事を言われたりする方がいるのですが、
これも、デザイナーならば出来ていなきゃならない当たり前の事で、
私はそういう総合的な観点からデザインワークを捉えています。と
胸を張っていう言葉じゃないのですよね。要するに、
デザイナーならば誰もがそうしてる事です。それを、やらなければデザイナーとは言わない。
なんだか、いろんな職種で
プロと呼べる人達が減ってきてるのかなと。
出来て当り前の事に対して、出来て凄い事してる。みたいな意識になってるのだろうか?
と心配になります。
だとすれば、
それ以上のサービスは絶対に望めないってことですよね。当り前の事を目標にかかげる事が既に異常だと思う。
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某公共施設に行った時に利用した駐車場です。
立体駐車場で、入口に
「当駐車場の断熱材はアスベストではありません」という表示が…。
しかし、利用する側としては、
「本当かぁ~?」って感じですよね。この施設が出来た時は、
アスベストがじゃんじゃん使われていた時代だったし、
立体駐車場はそれから後に出来たと言えど、
アスベストがが人体に悪いと分かっていながらも
使用され続けていた時期だし。
最近になり、
被害者が発病し目に見える状態になりはじめて
深刻な問題として取り上げられたわけでしょ?ずっと、人体に悪いと分かっていながら、
国民を騙すような形で使用され続け、
それで、問題が出たからと言って、
「当駐車場の断熱材はアスベストではありません」と
いう表示を出したとしても、
何処まで信憑性があるのか…。もしかしたら、
本当にアスベストは使われてないのかも知れないが、
今までの事が積み重なって、素直に信用出来ない状態にありますよね。
国に対して信用が出来ないのは、何もアスベストの問題だけじゃない。税金や年金など、いろんな分野において
信用が出来なくなってきている。
国会で改革など大いに結構だが、
まず国が一番やらなければならないならない事は
信用の回復じゃないだろうか?
今は、何をしても、
国民のほとんどが国を信用出来なくなってきてるのではないだろうか?
「当駐車場の断熱材はアスベストではありません」…
駐車場を利用した立場からの気持ちは、
その看板に書かれてる事が
本当の事でありますようにと願うだけです。
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某SOHO団体の過去のメールマガジンにて。
凄く不可解な記事がありました。↓↓↓ここから引用。
(会社名及び人名は伏せてます)↓↓↓
★★★【2】先輩に聞くSOHOのヒケツ ★★★────────
■□イラストレーター・高○宣○氏に聞くSOHOのヒケツ□■
「高○いらすと○○む」
愛と夢、自然をキャンバスに再現した
ファンタジーアートを心ゆくまでお楽しみ頂ける
「高○いらすと○○む」でイラストレーターとして活躍されている
高○宣○氏に今回はSOHOのヒケツをお伺いしてみました。
──本日の先輩:ベテランイラストレーター高○宣○さん
──取材担当:Tさん(高○いらすと○○む・元代表)
★長く続けるコツは?…「仕事が好きであること」
★仕事を取るコツは?…「無理せず、好きなことしかしない」
いかがですか?
いっしょに仕事をしていて、
高○がこれらを実践していることは確かです。
嫌な仕事は私にまわってきてました。
入金の催促の電話することなどです。
人と話をすること自体嫌な人なので、仕事がなくても、
机を離れずスケッチブックに
落書きをじーっとしているって感じです。
今もパソコンは使いません。
別の人間にパソコンの作業はしてもらってます。
●二人が出逢ったころの話●
私は、和歌山から、
新聞の求人広告「イラストレーター募集」を見て、
大阪のあるデザインスタジオに応募しました。
「上の階にイラストレーターがいるから教えてもらって」
と言われました。…これが高○宣○との出逢いです。
この頃からすでに高橋はフリーで仕事をしていましたが、
近くの広告代理店から、
しょっちゅう仕事をもらっていたのですが、
やりたくない仕事も多かったので、やめる、
今ある仕事場をたたむことを決心していたのです。
「お金はいらないから、いい仕事がほしい」
──これが、彼の口癖でした。
でも、その頃の彼は、
往復2,000円から3,000円くらい
(今だと 4,000円から 5,000円くらい)で、タクシー通勤していました。
田舎もんの私からはお金持ちと言うか、
うーん信じられないって感じですね。
専門学校を出て、和歌山のデザインスタジオで
見習いを半年ほどで挫折したころの私。
見習いのお給料は吉本ほどではないにしろ
一般の方々の半分くらいでした。
まわりのデザイナーからは高○宣○は
「宇宙人」と影で言われておりました。
無口でもくもくと絵を描くだけ。
必要最小限しかしゃべらない。
唯一甘い物とコーヒーを飲む事が好きって感じですね。
外に出ないので青白く額が広い、
ヒゲもないので溶けて消えそうな感じ…?
大阪は梅田の近く南森町あたりと言うのは
デザインスタジオやデレビ関係の
タレントマネージメント事務所やら画廊も多く
ちょっと独特な世界ができていたように思います。
今は、変わってるとは思いますが。
★今、(有)高○いらすと○○む☆★妖精ショップ★☆では、
クリスマスセールとして、
高○宣○の画集とポストカード数枚セット
3,000円を販売しております。
送料、消費税もサービスのお得セットです。
☆。・゜。。・゜★。・゜
(有)高○いらすと○○む ☆★妖精ショップ★☆
──────────────────────────────↑↑↑引用ここまで。↑↑↑
なんじゃこりゃ~??な話です。
この記事のタイトルは「先輩に聞くSOHOのヒケツ」。「ヒケツ」が何処にあるのでしょうか?
ここから、ツッコミは「キートン山田」風に読んでね。★長く続けるコツは?……「仕事が好きであること」
★仕事を取るコツは?……「無理せず、好きなことしかしない」たぶん“ヒケツ”って、この2行の文かもしれないけど、
“ヒケツ”って言うほどのモノでもない。それで、
「いかがですか?」と聞かれても困る。
いかがですか?
いっしょに仕事をしていて、
高○がこれらを実践していることは確かです。どう確かなのか全くわからない。(呆)
嫌な仕事は私にまわってきてました。
入金の催促の電話することなどです。先輩として、ヒケツを語る場で、いきなり「愚痴」なのか?
●二人が出逢ったころの話●そして、話は2人の馴初めに…?
そんな話はどうでもいいぞ!!!
田舎もんの私からはお金持ちと言うか、
うーん信じられないって感じですね。
専門学校を出て和歌山のデザインスタジオで
見習いを半年ほどで挫折したころの私。
見習いのお給料は吉本ほどではないにしろ
一般の方々の半分くらいでした。そして、田舎から出てきた時のカルチャーショックの話…。
それで“ヒケツ”は、どうなったの???
まわりのデザイナーからは高○宣○は
「宇宙人」と影で言われておりました。
無口でもくもくと絵を描くだけ。
必要最小限しかしゃべらない。
唯一甘い物とコーヒーを飲むことが好きって感じですね。
外に出ないので青白く額が広い、
ヒゲもないので溶けて消えそうな感じ…?あらら、高○宣○ 氏の紹介に…。
あのぉ~“ヒケツ”はどうなったのでしょうか???
★今、(有)高○いらすと○○む☆★妖精ショップ★☆では、
クリスマスセールとして、
高○宣○の画集とポストカード数枚セット
3,000円を販売しております。
送料、消費税もサービスのお得セットです。結局、“ヒケツ”が全く語られないまま、
自社商品の宣伝で締めくくり。(汗)
こ・これは…、もしかして、忙しく働かれてる方たちへ、
お笑いを提供し心にゆとりを作らせようと
緻密に計算されての事なのだろうか?
凄いぞ!“(有)高○いらすと○○む”!!「ヒケツ」というお題に、
「愚痴・自己紹介・2人の馴初め・自社商品の宣伝」
と話が展開するところなんて、さすがクリエイター。
イラストを依頼すると予想もしない度胆を抜かれる作品が
仕上がってきそうな感じですね。
某SOHO団体もメールマガジンの内容の
校正はしなかったのだろうか?それも、謎!!!
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写真は、イタルデザインの
ジウジアーロがデザインした製品です。
車、列車、ロゴ、カメラ、パスタ…さすが巨匠だけあってその活動範囲は多岐にわたります。特に時代の流行にとらわれることなく、
常にジウジアーロらしいデザインをするあたりが好きです。
兎に角、美しい。茹でる前のパスタの造形まで
デザインしちゃうところがユニークです。
果して、合理性最優先みたいな日本では
ここまでデザインにこだわれるだろうか?私は日本人のデザインにおける意識が、
凄く無頓着に感じてしまう事が多々あります。中には、
「デザインなんて必要無い。」と言われる方がいるかも知れない。
「デザインがなくても商品は出来る。」そう考える人も多いかも知れない。しかし、実際問題として、デザインは必要不可欠な存在で、
この世の製品などデザインされてないモノは何一つないのです。例えば、今皆さんがこのブログを読まれてるパソコン。
「設計し作ってたら、いつの間にかこんな形になってた。」というような製品ではないはず。
どう言う作りにしたら使い勝手が良いかなど、
さまざまな角度から考えられた
デザインに基づき設計されているのです。イタルデザイン
(ジウジアーロ)は、
その造形デザインが洗練され優れている。
日本にもジウジアーロのデザインは多く存在しています。
日本のクルマのデザインにもジウジアーロは数多く手掛けています。
ただ、日本は先にも言いましたが、
「合理性最優先」みたいなところがあり、
折角のジウジアーロの美しいデザインを見事に
崩してしまうというところもあるようです。ジウジアーロのデザインは世界的に認められ素晴らしいと言葉では分かっているものの、
しかし、
何が美しいのか?というような事までは理解していないのではと思ったりします。
日本人の多くがブランドにこだわり
中味を見る事が出来ないのと同じ。グッチやプラダが良いと言って、
買ってきたものは良かったが「ニセモノ」だった。…みたいなノリです。
本質が見れてないから、平気でデザインを崩してしまう。
この車は、あまり見慣れないですが、
私が初めて買ったクルマで、「スバル アルシオーネ」です。
「見た事ないぞ」と言われる方もいるかも知れません。凄くマイナーな車で玉数も出ておらず、
「走るシーラカンス」とまで言われてたクルマです。
実はこのクルマも、イタルデザインで、ジウジアーロの作品です。このクルマは折角のジウジアーロのデザインを「合理性最優先」で
思いきり崩されてしまった典型的なクルマだと私は思っています。
このクルマがデビューしたのは、ちょうどバブル前で
日本の経済が急上昇していた頃で、
スバルのフラッグシップカーとして登場しました。その為にジウジアーロにデザインを依頼し
素晴らしいデザインが上がってきたのですが、
クルマの生産を一から開発するのではなく、
「合理性最優先」で、当時現行モデルであったレオーネのプラットホームを流用し
ジウジアーロのデザインのボディを乗っけてしまったのです。
しかし、ボディの大きなアルシオーネに対して、
小さなレオーネのプラットホームに乗せるのは当然ムリがあり、
そのムリを無理矢理カバーしてしまったのです。
その為、ボディは大きくシャシーは小さい、
オーバーハングは長く、それでいてショートホイールベースという
不格好で奇妙な車になった。写真を見るとタイヤがボディの真ん中に
4つ集中しているように見えるでしょ。
ジウジアーロのデザインが
無惨な形となって作られてしまった、一つの例ですね。
それと、余談ですが、
私が日本の工業製品で好きなデザインは、
松下電器「パナソニック(ナショナル)」のデザインが好きです。
デザイナーは表に出てきてませんので
どういう方がデザインされてるのか分かりませんが、
どの製品も美しいデザインしてるなぁ~って思います。凄くデザインに、こだわってるのが伝わってきます。
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デザイナーが集まる場所に行くと必ずと言ってよいほど、
「デザイナーと芸術家の違いについて」語られたりする。
その内容が、必ず
「デザイナーは芸術家じゃない」とか、
「デザイナーは人の為に考えて創り芸術家は自分の為に創っていく。」とか、線引きをされてるんですよね。
私も最初にデザイン会社にデザイナーとして就職した年に、
先輩から「デザイナーは芸術家じゃない」と教えられました。
そして、
その事を頑に信じて10数年頑張ってきました。しかし、フリーとなり自分で色々考えるようになってから、
多くのデザイナーさんには申し訳ないですが、
そういう「デザイナーと芸術家について」という事を考える事が
バカらしくなりました。実際、
自分が「デザイナーは芸術家じゃない」と言い切ってたとしても、
そのデザインを見た人が、「芸術だ!」と思ったとしたら、
それはまぎれもない「芸術」だろう。
自分で「芸術だ!」と思っていても、
見た人が「芸術に値しない」って思われれば、
それは「芸術じゃない」のだろうし…。そもそも
「芸術家」って、どんな仕事をする人なのでしょう?画家・イラストレーター(挿し絵画家)・写真家・音楽家だって
「芸術家」と位置づけられてる。
「芸術家」は、職種でなくカテゴリーだよね。「画家とデザイナーは何が違うの?」って言われれば、
違いを言う事は出来るけど、
同じカテゴリーの中に属する物を線引きで引く事は出来ないし、
あまりに考える事が無駄でナンセンス。そもそも、デザイナーの多くは、
何故、「芸術とデザイン」を分けたがるのだろう?そういう風に言葉で線引きしデザイナーは芸術家じゃないと言うのに、
いろんな場での「アーティスト集まれ!」的な場には参加する。
「アーティスト」って、和訳すれば、「芸術家」じゃん。デザイナーは「芸術家じゃない」と言いながら、
「芸術家の集まり」に参加する不思議さ…。
矛盾してるぞ!(u_u;)
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音楽はインディーズ(小さなCDレーベルじゃなく
アマチュアという意味合いが強い)ばかり聴いてます。
インディーズの方が身近に感じれるし元気が出てきます。とか、
あなたの絵は、他のどんな世界的に認められた方の絵よりも、
身近な感じがして心を打つから素敵だと思います。等…、
素人同前な人達を賞賛する声を良く聞きます。また、
プロの世界でも、いろいろな場所で
「若い力を求めて…」とか、
「新しい感性を求めてタマゴの発掘」とか、
未熟な力を何故か求めています。私にはそれが不思議でならない。
何故、確かな実力をつけたベテランを差し置いて、
「未熟」を求めて飛びついていくのだろう?「アマチュア(素人・タマゴ)」などの音楽や絵に感動出来、
「プロ・ベテラン」には感動出来ないのか…。この事について、世界で認められたマジシャン
前田知洋 氏が面白い事を話されていました。
前田知洋 氏は、日本人最年少でハリウッドにある
“マジックの聖地 「マジックキャッスル」” に出演され世界に認められたマジシャンです。“マジックの聖地 「マジックキャッスル」”のステージに立つには、
厳しいオーディションをパスしなければ立つ事は出来ません。
前田知洋 氏は、「レベルの高いマジックを披露するには、
レベルの高い観客がいないと披露出来ない。」と言われてました。ステージに立てたからと言って安心出来ません。
下手な事をするとすぐに客席からのブーイングの嵐です。
それだけ、マジシャンのレベルも凄く観客の見る目も肥えているのです。
その厳しい土壌の中、お客もマジシャンも共に成長し続けているのです。
ここには、プロを育てるという土壌がしっかりと出来上がってるのです。
話を元に戻して、
レベルの高いマジックを披露するには、レベルの高い観客がいないと披露出来ない。日本人の多くは何故、
『「アマチュア(素人・タマゴ)」などの音楽や絵に感動出来るが
「プロ・ベテラン」には感動出来ないのか?』世界で認められた前田知洋 氏のマジックを、
子供の前で披露しても、「全然反応がない。」との事。不思議がってくれないのだ。ある程度の教養を身につけた大人でないと、
不思議さを理解してくれないと言われてました。
また大人でも、世界に優れたマジシャンが多く存在していて、
その優れた大勢のマジシャンの中から
何故日本人最年少でハリウッドにあるマジックの聖地
「マジックキャッスル」 に立てたのか?
その優れたマジシャンの中から、
「何が優れていて何がダメなのか?」
見極められる目を持った日本人の大人は、
日本国内にほとんどいないとの事でした。
結局、観客が見る目を持った人がいないから、
本当に凄い技を披露出来ないそうです。
(披露してもリアクションがない。)
確かに、マジックの聖地 「マジックキャッスル」 に立つ事が出来ない
日本でTVにひっぱりダコのマジシャン
(腕前は凄いと思うのだが…)と
前田知洋 氏のレベルの違いが、正直私には分かりません。
残念ながら、私の目も、その「違いが分からない目」なのです。でも、アメリカではその違いが分かる人がほとんどで、
ちょっとでもつまらないとすぐにブーイングの嵐です。
日本ではブーイングは、まず考えられません。プロを鍛え育て上げる土壌事体が存在していないし、
それを見極められる客がいない。
本質を見る事が出来ないので、
「プロよりもアマチュア(素人・タマゴ)」に感動してしまうのでしょう。究極のプロの現場で、
本当に凄い人とそうじゃない人の違いすら分からない
素人みたいな人だからこそ、
「インディーズの方が身近に感じれるし元気が出てきます。」
「若い力を求めて…」「新人発掘」なんて
言ってるという事なのでしょう。
プロの第一線で活躍してる人達の目も鍛えられていないのですよね。
そうなれば必然的にお客の目も肥える事はないし、
プロも鍛えられないし育たない。しかし、新人はどんどん発掘され放置し腐らされていくみたいな、
悪いスパイラルが出来上がってしまってるのが
今の日本の現状かも…。
前田知洋 氏へのインタビューの一節(引用)
------------------------------------------------------
◆普段、どんなトリックを良く演じますか?3つか、4つほどの一般的なトリックを演じます。
演じるトリックは他のクロースアップ・マジシャンとほとんど同じです。
でも、他のマジシャンと全く違って見える事が重要だと思います。だいたい、10種類くらいのトリックをいつもは準備しています。
◆その10種の中で、あなたの考案したトリックは
いくつありますか?ゼロです。
◆何故ですか!?とても沢山のオリジナルのトリック を
考案し発表しているのに。優れたマジックのトリックは観客に囲まれていても演じられ、
繰り返しの鑑賞に耐えられる必要があると思います。
ごく僅かの瞬間にトリックの準備ができる事も重要です。
私のオリジナルのトリックはコンテストやマジシャンの集まりに
演じるにはとても楽しいものだと思いますし、
それらを演じるのは大好きですが、
長い歴史の中で淘汰され、
愛され続けたトリックに勝る事はできません。◆マジックを演じるにあたり、
特に注意していることはなんですか?すべてのマジックの演技は、観客や演技者の感情や気分、
それぞれの文化に関連している必要があると思っています。
マジックを演じるその瞬間は、
観客にとってもそのマジックを観る理由が必要ですし、
演技者はそれを演じる理由も必要だと思います。
観客はマジシャン自身を観るのではなく、
トリックを通じて演技者が伝えたい事を知る事が大切だと思っています。
◆テレビの出演についてはどう考えますか?ありがたいことに、とても多くの機会に
出演させていただいています。
正直なところ、テレビスターになりたいわけではありません。
しかし、
観客や視聴者が不可解な事、楽しい事、等の経験をする事は、
私自身にとっても大変嬉しい事です。◆あなたが創造性において最も影響を受けた人は誰ですか?マイケル・ウエバー、三宅一生、坂本龍一の3人です。
ウエバーはアメリカのマジシャンですが、
彼独自の誰のものでもないトリックのスタイルに、
三宅氏は日本の様々な古い、
そして新しい技法や考えを洋服として再生させた事。坂本氏は、現代的なピアノの作曲家で演奏者ですが、
曲の根底には東洋の血が流れているように感じます。人間以外としては「折り紙」にとても興味を覚えます。
二次元である正方形の紙を折ることによって
三次元の様々な造形をするのはマジック以上に驚かされます。
◆演技者としては誰に影響を受けましたか?マックス・メイビン
(Max Maven 1950-.デビット・カパーフィールドの
テレビシリーズを始め多くのマジシャンの
アドバイザーであり、演技者)の演技に対する考え方、
方法論に多くの影響を受けました。
◆では、トリックのインスピレーションもアメリカ流、
演技の仕方もアメリカ流、すべてがアメリカ流なのですね。そうです。
演技や考え方など多くの影響を受けています。
ただ、東洋人の審美眼を通している事を付け加えておきます。------------------------------------------------------
(引用終わり)
緑文字部分は凄く重要なキーワードだと思う。
日本人はいくら黒人の格好をしてヒップホップを歌っても、
本物の黒人になれないし、只の真似事
(ニセモノ)でしかない。
優れたものには歴史がある事も…。
世界で受け入れられる優れた日本人は、
「日本が世界に誇れる唯一の物は本物の日本。」だと言う事を凄く理解している。
また、
ハイレベルを目指すにはお客もハイレベルになってもらわないと、
自分も育たない事も知っているというインタビュー内容ですよね。
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参ったなぁ~。
数日前に腰を痛め、病院に行きました。病院側は「椎間板ヘルニア」をまず疑い、
レントゲン撮影等をし色々調べてもらいましたが、
「椎間板ヘルニア」ではないという結果だけ知らされ、
一応安心したのですが、
その時の治療は背中に傷み止めの注射を2本打ち、
湿布を貼り晒で腰をグルグルに捲き固定しただけでした。それで、3~4日経ち、ある程度良くなりました。それから毎日、晒を捲き腰を固定してるのですが、
それでも、時々腰が痛くなりまた治ったりの繰り返し症状がでます。
そして、知り合いの整体の先生に診てもらったら
(治療としてでなく私事の場にて)、
どうやら「ギックリ腰」のようだと言われました。私自身、「ギックリ腰」は全く眼中になく、
自分が「ギックリ腰」になるとは思ってもみなかったので
想像すらしてませんでした。
「ギックリ腰」といっても、完全な「ギックリ腰」ではなく、
「ギックリ腰」の症状が出る寸前のところで、
悪くなったり良くなったりを繰り返してる状態とのこと。
まだまだと思っていたが、
「ギックリ腰」になるような運動不足体型になってきてるんだなぁ~。
しかし、その知り合いである整体の先生は
流石にプロだなぁ~。知り合いである整体の先生とは、
まだ半年ほどの付き合いでしかないのに私の筋肉の情況を診て、昔、私が身体が柔らかかった事も言い当てた。今は、本当にガチガチの固さで、
本当に柔らかかったのかは想像も出来ない状態なのに。最初に病院に行ったのは一体何だったのか…。
病院ではそういう細かなところ何も分からなかった。(u_u)
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地元沼隈のサンパルオーケストラ定期演奏会に行ってきました。
会場のサンパルホールは、ほぼ満員で
エルガーからベートーベン、
そして、スターウォーズメドレーまで幅広い演奏でした。サンパルオーケストラは、指導にNHK交響楽団から
多くのトレーニング講師を迎え技術を磨いていて、
素晴らしい仕上がりになってきてる印象が持てました。
まだ先ですが、
来年3月には「N響メンバー主体によるピアノカルテット演奏会」も
このサンパルホールで行われる予定ですが、
サンパルオーケストラの指導にあたってる
トレーニング講師の方も参加するようで、
これまた非常に楽しみなコンサートです。
今回のコンサートで、次の期待も膨らみました。
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以前、広島県西城町に出没し話題になった、
「ヒバゴン」。西城町は、街興しに「ヒバゴン」を全面に打ち出してきた。
その1つが、この
菓子処大國堂(クリク)の「ヒバゴンの卵」というお菓子。
そして、今年「ヒバゴン」をモチーフに
「ヒナゴン」という映画が公開された。
1箱試しに買ってみた。何かね、味はあまりパッとしないね。
パッケージで興味を誘ってるだけで、中味が薄いお菓子ですね。
「ヒナゴン」という映画とか、「ヒバゴン」というキャラクターを取っぱらうと、
きっと売れないお菓子だと思う。
土産物で子供騙しの商品って多いよね。現地でいろんな格好をした
キティちゃんとか多いし…。(^_^;)
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うちのポストに投げ込まれていたチラシ。
某葬祭式場のチラシですが、
デザインが云々と言う話ではなく、
葬祭式場のイメージも変わってきてるのかな?と…。
まあ、葬祭場と言う事で、
葬儀だけでなく式場としての会場でもあるようですが…。
でも、イメージは葬式ですよね。そして、
その会場の見学会を開催するらしく、
イベント盛り沢山。(^_^;)
お祭りモードです。このギャップがなんとも…。
即売会では食パン・洗剤・トイレットペーパーが10円。
お楽しみ抽選会、屋台(ヨーヨー・カキ氷、フランクフルト)などなど。なんだか、
「いつもニコニコ明るい葬式。葬儀のことなら当店へ。」という
20年ほど前の某香港映画の葬儀屋の営業セリフが甦ってきました。(笑)
当時、凄く非常識だった事が、
今では常識化してきてるんですかね~。
こういう冠婚葬祭
(得に葬儀)が
営業になる世の中って言うのも寂しい気がしますね。
遺族の気持ちを考えたら、
「死んでくれるのを待ってました。」とばかりのアピールも…。確かに、人はいずれ死んで行くのですけど…。
単なる営業ネタにされるのも。
心から誠意ある葬儀で送ってあげたい。という気持ちとは別問題なのかな~。と、
何となく考えてしまった。
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私の話し方には、トゲがあるのかな?
よく人から“謙虚さ”を強要されます。
私は、何から何まで
全てに強い発言をしているわけではないのですが…。
強い発言になる時というのは、自分の得意分野、
また自分が経験してきた事によって培われてきた確かな事を
話してる時だと思うのですが、
過去の経験が自分の自信となり
強いアピールになってるにすぎないのですが…。そういう時に“謙虚さ”を強要されます。この事について私は疑問でならない。
何故、“謙虚さ”を強要されなきゃならないんだ?“謙虚さ”を強要してくる、あなたこそ謙虚になりなさい。と言いたい。(笑)
自分の得意分野で強く出るのは当たり前だと思うし、
自分が修行して苦労して力をつけた事に対して
自信を持つ事は当たり前だと思う。
そうじゃないですか?
お店に並ぶ商品を思い浮かべて欲しい。
自社の製品で自信のある物は強くお客にすすめるでしょう?
それと同じじゃないですか?
私は
謙虚に商品をアピールしてる人を見た事無いぞ!
商品の性能に自信があれば、その性能を強くアピールするだろう。
その強くアピールすることに対して、
「もっと謙虚になりなさい。」というのか?
私の場合、クリエイターとして
私自信が商品であり、
私が描くイラストのグレードは
私の実力1つだけです。
自分を語る事に、
「何故謙虚である必用があるのだ?」理解に苦しみます。日本の文化に、意味もない謙遜とか、謙虚とか…。
吉本新喜劇で辻本茂雄さんの扮する“茂蔵じいさん”が、
意味もない謙遜、謙虚に鋭いツッコミを入れてますが…。
人が贈り物をする時に、
「これ、つまらない物ですけど…」と言う言葉。
茂蔵じいさんは、すかさず
「つまらない物には、メェ~~~ン!」と
杖で贈り物を叩き潰しますが、確かにそうです。本当に「つまらない物」と知っていて
品物を人にあげるのか?
そして、あげる本人も、
本心はつまらない物だとは思ってもないだろうに…。
しかし、この事に真面目に話すると、
「“言葉のあや”じゃないか?バカバカしい。」と思う方もいるでしょう。
もしかしたら、そう思う人の方が多いかも知れない。
だけど、「これ、つまらない物ですけど…」と言うよりも、
「これ、お口に合うかと思って選んでみたのだけど…」とか、
「これ、気に入ってくれるかなと思って選んだのだけど…」という
言い回しの方が、
その人の気持ちがストレートですよね。謙遜・謙虚という背景に、
「無意識に人の心の裏を探るような行為をしなければならない事」
が陰湿で、私は嫌いだ。“謙虚さ”が日本人の良き文化、
日本人らしさなんて言われたりしてるのだが、
本当に良い事なのだろうか?自分が頑張ってきて自信をつけてきた事に対して、
“謙虚さ”を強要される。
このことに私は不愉快感さえ覚えます。
それも、
日本人の良き文化、日本人らしさなのか?
そして、“謙虚さ”を強要してくる人に言いたい。
あなたは、人に自信をもって自分をアピールするだけの
何かを持っているのですか?
また、アピールできるだけの努力をしてきたのですか?
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日本人は、大人になる事に対して
凄く後ろ向きな感じがする。これから大人になる子供だけでなく、
現在の大人も後ろ向きだと思う。今朝の某TV番組で、映画館を改装して
デイサービスセンターを営んでる女性社長の特集がありました。
映画館が業績悪化で潰れ、その後、映画館を生かした
デイサービスセンターをというコンセプトでお年寄りに
懐かしい若かりし頃の映画を…と。まあ、お年寄りが過去を懐かしむのは、
医学的にも凄く良い事らしいのですが…。
それはそれで良しとして…。
ただ、私がいつも思うのが、
まだまだこれからと思う大人30代~50代60代が、
何かをするというと
「過去の青春を懐かしむ」という行動に走るのだろう?
例えば、
CDにしても、30~40代世代を狙って、
一昔のアイドル等のCD-BOXや80年代ポップス曲のオムニバス。
確かに、懐かしいのは分かるけど…。「あの頃は良かったなぁ~」と
回想するには、早すぎやしないだろうか?もう、人生の全ての楽しみが終わってしまったような感じだよね。
大人が終わってしまってるよね。当然、若者から見れば、
そんな大人に魅力は感じないだろうし、
社会的にも未熟な若者文化に染まって行くだろうし。
「なんで、30~40代世代が今を楽しまないのだろう?」って
私は純粋に感じてしまうのですが。
そして、今朝の某TV番組では最後にキャスターの方が、
コメンテーターの方に
「もし過去に戻られるとしたらいつの時代に戻りますか?」なんて質問をされてたけど、私からみればバカな質問です。
実際、過去に戻れるわけもなく、また過去に戻れたとしても、
その目標に向かって1日1日を努力してたら、
目標から遠ざかる過去になんか戻りたくない。ましてや、今までしてきた同じ苦しい努力をもう一度したくない。
折角この年になって出来るようになった事を
簡単に捨てたくないよ。確実に1日1日を生きてれば今が最高なんだよね。
今日より明日は、もっと素晴らしいだろうし。
未熟だった過去になんか戻りたくない。某TV番組が何気なく過去を懐かしむような放送をしてる事が
象徴するように大人に全然活力がない。
何の為に生きてるのだろうか?30代40代で、過去を懐かしむくらい、
大人は何もする事のない寂しい世の中なのだろうか?
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宮城で震度6弱の地震が起こった。
しかし、震度6弱の割に被害が少なく、
中には「本当に震度6弱なのか?もっと震度は低いのでは?」という
街の人の声もあるくらいで、
ある町幹部は
震度5弱を記録した2003年5月の
三陸南地震の方が揺れたように感じた。と…。
そのような中、完成間もない、複合健康施設
「スポパーク松森」の屋内プールの天井が落下し26人が怪我をした。一般に震度6弱の被害予想は、
「耐震性の低い住宅では倒壊するものがある」とされる。
ところが、ブロック塀や石垣の一部崩落などが確認された程度で、
家屋倒壊はまったく確認されなかった。このような情況の中で、出来たばかりの最新の施設が何故?建設に携わった関係者の話では、
「想定外」だったと…。ここのところ何かある毎に
「想定外」という言葉を耳にするように思うのですが、
気のせいだろうか?
「想定外」という言葉を使えば逃げられる
(簡単に許してもらえる)、
単なる言い訳の為に、
「想定外」が多様されてるのではないだろうか?という疑問を感じでしまうのですが
真相はどうなんでしょうね?
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福山夏まつり2005のラストを飾る花火大会。
今年は1万3000発の花火が打ち上げられ、
色とりどりの大輪が夜空を染め上げました。
この日の福山市の天気は、
朝から雨が降り雷を伴い時折激しく降っていましたが、
午後3時頃には止んで、太陽が顔を覗かせるようになりました。
天候で開催が危ぶまれましたが、
夜7時30分頃市長の点火式で打ち上げが無事スタートされました。
しかし、残念なのは花火が終了して大勢の観客が去った後です。
打ち上げ会場となった芦田川河川敷には、
おびただしい量のゴミ、ゴミ、ゴミ!非常に情けなくなりました。
福山市民のマナーは、滅茶苦茶低い。
バブル崩壊後の景気と同じように、
その低さが止まるところを知らないという感じです。(最近景気は少し上向いたと言われてますが…)私が福山市民のマナーの低さを感じてるのは、
今回の花火大会のゴミだけで感じてるのではない。
広島県で広島市に次いで2番目の都市なんて言われてるが、
人のレベルは日本で一番最低なのではと思ってしまう。
結局、大人が大人として成長しきれてない、
図体のでかい子供ばかり子供のお手本となる大人が少ない事に非常に残念に思う。某所の書き込みから引用。****************************************今日河川敷に花火を見に行きました。
花火自体はすっごく楽しかったんです。
みんなきれいで、拍手とかもおこってて、いいなーって。
でも、問題はその後のゴミです。
何なんですか、あのポイ捨てされたゴミの量。
あたしは他県から来た人間ですが、
あんなにポイ捨てする街は初めて見ました。
東京の花火でもあんなにゴミはありません。
福山が大好きだったので、すごく悲しくなりました。
福山の方は、ああいうの見ていて平気なんですか?
あたしは、他人に言う勇気はなかったので、
持てるだけは拾ってゴミ箱に運びました。
「最近の若者」だけが捨てるんじゃなく、
いい年した大人まで平気で河原に捨てていくんです。
そしたら若者まで真似して捨てますよね。
あの片付けは、誰がするんでしょうか?
みなさんは、ああいうの見ていて平気なんですか?
ボランティアで掃除をする、とか
そういうことも大事だとは思うんですけど、
それ以前に自分のだしたゴミだけでも捨てる、
っていう感覚はないんでしょうか?
みんながみんなそうではない事はわかっています。
生意気なこと書いてるのもわかっています。
でも、福山が好きになってきたばっかりなので、
余計悲しくなりました。 本気で泣きそうです。****************************************引用終わり…。
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日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落して早20年。
当時、高校生だった私も立派な社会人です。
もう20年経ってしまったんだな。日航の事故と私とは何の繋がりもないのですが、
最初にこのニュースを知ったのは、
ニュース速報の字幕スーパーです。
“123便がレーダーから消え消息不明”というような内容だったと思う。
それから翌朝、520人が亡くなったとんでもないニュースとして、
どこのチャンネルを回しても123便墜落のニュースばかりだった。
それから20年。
20年の追悼として、TV各局で追悼番組が放送された。
事故調査委員会の対応やその他の対応など、
番組を見ていて、この前起こったJR宝塚線の事故とかぶってしまった。
20年経っても、悲しい事に何も変わってない。事故の原因究明のあり方など不味い点など隠してしまう体質は
全く同じだなという印象しかなかった。
20年が経った日航の事故。
原因は圧力隔壁の修理の不手際に寄る破損が
言われてる
(そう結論付けられてる)けど、
納得の出来ない不可解な点も多い。なんだか、“喉元過ぎれば…”じゃないけど、
凄くいい加減な処理がされてるのでは?と思わざるを得ない。JR宝塚線にしても、
ちゃんとした原因の追求は出来てるのだろうか?
原因がハッキリしないのに、普通に運行されている。日航ジャンボ機墜落も言われてるように
原因が圧力隔壁の修理の不手際だとしたら、
“何故圧力隔壁の修理の不手際が起こったのか?”というところまで詰めて考えてるのだろうか?
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ドライブ中、気になる看板を発見…。
「左折50m先、信州名物おやき。」…。気になる。凄く気になる。
気が付けば交差点を左折していた。
そして、50m進むと「おやき屋さん」の営業車が止まってた。
やっぱり、これは買ってみるしかないでしょう。そして、クルマを止めて、お店に…。
メニューを見ても、どんな食べ物なのか想像が出来ない。
お店の方に、「何がお薦めですか?」と訪ねると、
“野沢菜入りおやき”と“カツサンド”が良く出てます。と。
早速、その2つを注文したのだが、
“カツサンド”って聞いて、普通のサンドイッチを想像して、
“おやき”なのに、サンドイッチというのもなぁ~。
やっぱり、“野沢菜入りおやき”だけにしておけば良かったかな?と思ったが、
もう袋に詰めていた。(^_^;)
取り合えず帰って袋を開け“カツサンド”を取り出すと、
こりゃ想像してたものとは全く違い、
“おやき”の生地でカツを挟むというなんともボリュームのある美味しい食べ物でした。
おやきは、夕食の時に食します。
これまた楽しみ。
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新聞折り込み広告の中で滅茶苦茶目立ってた秋。
8/11からのセールのチラシだが、
イメージ的には10月の終わりから11月の始め頃のイメージです。
季節感が滅茶苦茶。秋のコーディネイトということで、商品は秋物なのですが…、
でも行き過ぎじゃないだろうか?
立秋が過ぎ、暦では秋と言う事になってますが、
このチラシから初秋のイメージは全く感じられない。
晩秋のイメージだなぁ~。他のチラシより「目立つ」から良い。
と言ってしまえば良いのかもしれないが、
それだったら
思いきり季節外れの冬とか意味不明なモノ(変なモノ)で
目立っても良いわけで、
それをやってしまうと何でもありの世界になり、プロがプロである必用が無くなって来る。よくデザイナーの中で、
「いくら良いデザインを作っても売れなければ意味がない。
売れれば、マジックを使って手描きで
スーパーのおっちゃんが描くチラシの方が素晴らしい。」なんて間抜けな事を言ってるデザイナーさんもいますが、
それは自分達デザイナーがデザイナーの居場所を無くすような発言だし、
デザイナーが何をすべきなのか分かってない
「なんちゃってデザイナー」にすぎない。「売れなければ意味がない。」…売るのはお店の仕事です。
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とうとう、10年前に買った
ビデオデッキが逝ってしまわれました。
去年ぐらいから調子が悪くなってきてたのですが、
観れない事もなかったのでそのまま使い続けてきました。
しかし、ついにテープを巻き込み息を引き取ってしまいました。そして、ビデオデッキのない生活は考えられないと、
速効で某電器屋「デオデオ
(広島県で有名な電器屋)」に行ってきました。
しかし、DVDの普及のせいなのか、
ビデオデッキのコーナーが凄く狭くなってるんですね。
ほとんどのビデオデッキが、
DVDプレーヤーと一緒になってるタイプのモノばかりで、
ビデオ単体のデッキは4点しか展示されてなかった。そのうちの2台は、Gコード予約録画が出来ないタイプで、
1万円を切るものでした。Gコード予約録画は必要なので、
必然的に2台に絞り込まれたわけです。それで、その2台のうち1台が店頭現品価格で11,900円。
今は、DVDレコーダーの時代だから、
そのうちDVDレコーダーを私も考えているので、
ビデオデッキにお金をかけるのも…。というわけで店頭現品価格で11,900円の
安い方のビデオデッキを買う事にしました。そのビデオデッキが上記の写真で
詳しくは
これ(クリック)です。
お店の人にビデオデッキを買うと伝えると、
なんと現品価格でありながら在庫があるという事で
全くの新品を手に入れる事が出来た。
しかも、表示の価格の通り。ラッキー。早速、持帰りセットしたのですが、最近のビデオって凄いですね~。
早送り&巻き戻しスピードがハンパじゃなく早い。120分テープを全て巻き戻すのに30秒ぐらいじゃないですか。
10年の年月で随分と進化するもんなんだなぁ~。
価格もすぐに買える価格だし。
私が初めてビデオデッキを買ったのは25年程前で
Hi-Fiビデオデッキで当時15万円ぐらいしてたと思う。
それから今回壊れた10年前に買ったHi-Fiビデオデッキで6万円ぐらい。
それが今じゃ1万円少々。そして、これから数年後はDVDに変わり消えていくのかな?
てか、なんで最初15万円ぐらいしてたモノ
(Hi-Fiビデオ出始めは20万円ぐらいしてたモノ)が、
1万円で売る事が出来るの?
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いろいろな問題を抱え、一時はどうなる事かと心配されてた、
スペースシャトル「ディスカバリー」の帰還ですが、
カリフォルニア州のエドワ-ズ空軍基地に無事帰ってきましたねぇ。
いろいろな方々の心配とは裏腹に、
日本人宇宙飛行士の野口聡一さんの
宇宙での様子は凄く楽しそうで、
夢が適うって素晴らしい事なんだと改めて感じさせて頂きました。
しかし、今回の「ディスカバリー」は、
2年半前にコロンビア事故の後という事もあり徹底的な
安全対策を行ったにも関わらず、
打ち上げ時に外部燃料タンクからの断熱材の落下等問題が出た。
という事は、
今までのシャトル打ち上げの際には今回の剥がれ落ちた
耐熱タイルの数以上の多くのタイル等が損傷を受けて、
それを放置したまま地球に戻ってたという事ですよね。
向井さんや毛利さんの時には、
そこまで神経質になってなかったと思うので、
今考えれば非常に怖すぎる。ともかく「ディスカバリー」無事帰還。
よかった。よかった。
そして、野口さんを始めとする宇宙飛行士の皆さん
お疲れ様でした。
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「1億3000万人が選ぶ真夏の音楽の祭典2005」という番組を観た。
1億3000万人が選んだ、好きな夏の曲と言う事なのだが、
選ばれてる基準に気がつくと思わず笑ってしまった。と言うのも、選ばれてる曲は、
タイトル及び歌詞の中に
“夏”あるいは、
“夏をイメージする言葉”が入ってるモノが選ばれてるんですよね。
それ以外では、全く選ばれていないと言う事。要するに、
伴奏などの音楽が何でもない普通の音楽でも、
タイトル及び歌詞の中に
“夏”あるいは、“夏をイメージする言葉”があれば、
ただそれだけで夏の音楽になっていると言う事。逆に言えば、タイトル及び歌詞の中に夏が含まれてないと、
夏の音楽ではないということかな。
なんだか「音楽を音楽として聴けてないのかな?」と思えてしまった。
「歌詞が存在しない音楽で夏の曲は?」と聞かれると
答えられない人ばかりなんじゃないかと思ってしまった。
話は変わりますが、
「サラリーマンに似合う髪型をしてる芸能人は?」というような質問に
「所ジョージ」が選ばれてたり…。どう考えても、
「サラリーマンに似合う髪型じゃないだろう?」絶対に、
髪型云々じゃなく「所ジョージ」という人で選んでないか?本当に所ジョージの髪型を選んだ人は、
ネクタイ絞めて街行くごくごく普通のサラリーマンが、
「所ジョージ」と同じ髪型だとしたら、素敵と思うだろうか?また、今日放送された「笑っていいとも」で、
数人の女性芸能人の写真を出して、「好きな髪型は?」…って
事前にお客さんにアンケートを取り、順位を付けていましたが、
これまた、
「本当に好きな髪型で選んだのか?」って思えるモノでした。だって、用意された女性芸能人の写真には、
「どう考えても髪を分けてる向きが違うだけで同じ髪型だろう?」
って思う写真なのに、順位が大きく開いてたり。
絶対、髪型じゃなく、
その人の好き嫌いで選んでるだろう~?って。なんだか、「選ぶ」と言う事全てに対して、
凄く無頓着というか何も考える事なく
選ぶ基準の意味すらも考えないで選んでるのだなと…。結局、ボキャブラリーが乏しいのが浮き彫りです。テーマに基づいて選ぶのであれば、
単なる自分の好嫌いで選ぶのでなく、
ちゃんとテーマに沿って、ちゃんとしたポリシィや基準を持って
選んで頂きたいと思うのだが…。
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ポストカードが完成し、それを飾る額を買ってきた。
某カメラ屋でなんと額が半額以下。大きな文具屋で見た額と同じ額だが値段が全然違う。即その額を買ったのだけど、
額に付いてるマットは、写真屋なのもで2Lサイズ。
私が、欲しいマットはハガキサイズ。画材屋さんでマットを作ってもらう事にしました。
そして、マットが出来上がったのですが、
マットの価格は額よりも高くなりました。(笑)
上の写真が出来上がったポストカードに、額装したものです。
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KOJI'Sファームで、胡瓜が大量に収穫されました。
まだ、実ってます。前回収穫した胡瓜もまだ冷蔵庫に冷えています。
そして、毎日の食卓に表れるのは、胡瓜。
毎日3食欠かさず胡瓜。贅沢な事を言うようですが、もう食べ飽きました。拷問です。(T_T)
でも、畑ではまだまだ実ってます。
まだ食卓から胡瓜が消える日は遠いです。
キリギリスにでもなったような気持ちです。
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ドリームワークスアニメーションの待望の新作アニメーション
「マダガスカル」(クリック)。
日本での公開に期待してたのですが、
毎度の事ながら日本語吹き替えキャストにスーパーがっかり。
その日本語吹き替えキャストですが、
アレックスに“玉木宏(俳優)”マーティに“柳沢慎吾(俳優)”、
メルマンに“岡田義徳(俳優)”、グロリアに“高島礼子(女優)”、
キツネザルに“おぎやはぎ(お笑いコンビ)”、
ペンギンズに“アンタッチャブル(お笑いコンビ)”と主だった役に、
本物の声優が1人もいない。得に“おぎやはぎ”と“アンタッチャブル”は最悪です。今、単にお笑いがブームだからという理由のみで
選ばれたというのが見え見え。
以前、ピクサーの「モンスターズ・インク」にも、
日本語吹き替えキャストのメインに石塚英彦が選ばれたり、
一時の流行りのみで、「声優としての器がどうなのか?」という
一番重要な事は無視されて選ばれていましたが、
今回の「マダガスカル」もまさに同じ繰り返し。プロの声優として本気で活躍されてる人達の
存在意義は一体何なのでしょう?声優1本でプロとして頑張ってる人達を差し置いて、
一度も声優をやった事のない、しかも一時の人気のみで
本業すらまともに出来てない人達を使う理由とは…?折角の良い映画を駄作に変えてしまう根拠は?まぁ、答えは「売りたい」の一言に尽きるのでしょうが、
売る為にはクオリティを無視し駄作になってでも、
今流行ってる人達を使った方が良いという考えなのでしょう。
なんか、
そのアンポンタンな考え方に凄く腹立たしい。これは映画に限る事ではないけれど、
日本のモノ作りの考え方が非常に狂ってきてるように思えてなりません。
このデザイン業界もそう。
この日本で、
プロが、プロである為の理由って何ですか…?
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ここ2~3年、「英語が喋れるようになりたい。」と思い、いろいろ英語のテキストを買ってみた。
最初は、本だけ買ってたが「発音」が分からない。それで、CD付のテキストブックを買ってみた。しかし、一向に上達する気配なし。英語が理解出来れば凄く視野が広がるんだろうけどなぁ~。
こんな事なら、中学・高校と真面目にしっかり英語の授業を受けてれば良かった。中学の時は、英語塾にも通っていたが、「周りの皆が塾に行ってるから自分も行かないといけないかな?」程度の気持ちで、
本気で勉強する為に塾に通ってたわけじゃない。当然、塾に通っていたが、英語はサッパリでテストも低空飛行で着地寸前。
(着地したこともあった)親に相当無駄金を使わせてしまったんだなぁ~。今は、勉強するのに相当な努力が必要。お金の問題。時間の問題などなど。学生の時は、それらが全てクリアだったのですよね。
「出来る時にやってれば良かった」と後悔しても後の祭り。今は、英語を単なる勉強として捉えるのでなく、コミュニケーションツールの一つの“言葉”として捉えてるので、英語に対する考え方も随分と変わってきた。
英語(言葉)を真剣に考えるようになってから、自分の創るデザインの中から英文が消えていった。今までは、“見た目のカッコよさ”を求め、英語をデザインに取り入れたりしてましたが、それらの英語はハチャメチャだったと言う事が分かった。
「形の美しさ?」にとらわれて、「中味の美しさ」を無視してたのです。英語を話せない私が、その英文が正しいのかどうかも分かってないのに、わざわざデザインに英語を取り入れて、英語を話せない人には分からないデザインを創り、英語を理解できる人には文法やスペルを間違ってるかもしれないという、意味不明なものを創る。結局、見た感じは“カッコ良さげ”に感じるけど、日本語しか分からない人、英語を理解出来る人、共に伝えられない意味不明なデザインを創ってたという事に気がついた。
そもそも、日本語を話せるからと言って、日本語の気の利いたコピーが書けるとは限らない。だから、専門職として「コピーライター」という職があるのだろう。
同じように、当然、英語が話せるからと言って、英語の気の利いたコピーが書けるとも限らない。英語を理解する事とコピーを書く事は別の能力が求められるはず。しかし、今までの私を含め、多くの日本のデザイナーは、英語をまともに理解出来ていないのに平気で英語を使ってデザインしてるのは、ある意味異常な事なのかもしれない。そして、その平気で英語を使ってデザインされたものの多くの英語が間違ってたりする。
日本向けに作られた海外の商品
(中国製のモノが多いかな)で、現地で創られたと思われるデザイン物で、間違った日本語の説明書や広告等を、日本人が見て「カッコ悪い」と思うように、英語を理解出来る人が間違った英文が使われているデザインを見ると同じように
「カッコ悪い」と感じる物なのだろう。
このチラシは、何年か前に私が手掛けた物です。地紋のように、英字新聞の記事のような物をバックにあしらっても、英語が理解できる人には
地紋の役目はしないと思う。逆に地紋のように日本の新聞が使われてたら、私たちは絶対にそこに書かれてる記事が気になるだろうし、無意識に読んでしまいます。それと同じように英語を理解出来る人は、地紋の中の文字も読めてしまうわけです。その英語がおかしな文章だったら、カッコ悪いよね。英語だと意味も分からず地紋に使ったり、コピーに使ったり。それが、いくら見かけのデザインが綺麗であっても、
意味を理解しないと怖い。アメリカンな飲食関係のデザインに、アメリカをイメージさせる為に英字新聞のような地紋を使ってて、デザインしたとしても、その中に書かれてる記事が、食中毒関係のニュースだとしたら、洒落にならん。でも、分からないと言う事は、
その洒落にならん事が、平気で出来てしまうのです。だから、英語をしっかり身に付けたいのですが、情けない事になかなか上達しません。
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ようやく遅れていた、
恒例の夏のポストカードが完成しました。
(印刷はまだですが…)今日、印刷屋さんに入稿致しました。どうあがいても、暑中お見舞いには間に合いません。
まあ、当分の間、暑い日が続くと思うので、
残暑お見舞いとして使います。(^_^;)
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