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鞆の浦・ささやき橋

ささやき橋

ささやき橋伝説
応神天応の頃、百済よりの使節の使節役・武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)と官妓・江の浦は、役目を忘れ夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。それから密語(ささやき)の橋と語りつがれています。


鞆の浦のイラストを描く為の資料集めという事で、鞆の浦を散策してます。
静観寺の近くに、橋とも言えないような「溝の蓋ではないのか?」と思えるほどのこんもりと盛り上がった小さな橋があります。これが、鞆の浦の「ささやき橋」です。この橋には、悲恋の伝説があるのです。

1500年以上も昔の事。
応神天皇の招きで、百済から王仁博士(わにはかせ)が、大陸の進んだ文化や技術を伝える渡来人の一行と共に来日してきました。さて、その一行が鞆の浦に寄港した時のことです。大和朝廷は、“接待官”として武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)を、“官妓”として江の浦(えのうら)を派遣。この出逢いが、悲劇の始まりでした。

渡来人の接待役として派遣された和多利と江の浦でしたが、二人は役目を忘れるほどの恋に落ちました。当時の鞆の浦は“七島(ななしま)”と呼ばれる、橋で繋がれた中州でした。その橋のたもとで、夜ごと、ふたりは逢瀬を重ねます。
しかし、間もなく上官の知るところとなり、結果、もはや抱き合えぬようにと後ろ手に縛られて、ふたりは海に沈められてしまったのです。

二人が海中に没して、いつしか、一つの噂が実しやかに流れるようになりました。橋のたもとで、毎夜、和多利と江の浦の“ささやき声”が聞こえるというのです。そして、誰ともなしに、この橋を「ささやき橋」と呼ぶようになりました。
時は過ぎ、鞆の“七島”も地続きになりましたが、地元の人たちは、この悲恋を語り継ごうと、橋のあった場所に碑を建てました。それが現在の「ささやき橋」です。


現在では、当たり前に車も渡る橋ですが、こんもりと盛り上がった橋というのが曲者で、多くの車が盛り上がった橋で底をガリッて擦っちゃってるのです。橋の中央部が黒くなってるのはその為です。実は私も過去に、この橋を車で渡り底を擦っちゃいました。




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新川橋

新川橋

…昨日、12/26(日)は、ついに熱が出て1日中ダウンしてました。やらなきゃならない事は沢山有るのに何も出来ないでいました。その為、このBlogは昨日分の記事という事で、どーでもいい記事をUPします。



学生時代とかにバス通学なんぞしていて、別に自分が乗り降りする停留所じゃないけど、何故か耳に残る停留所のアナウンス…。特に田舎のバス停だとメボしい目印など無いけれど、何か停留所の名前をつけなきゃならないのか、結構無理矢理な名前の停留所があったりしますよね。

私の馴染みの場所というわけはありませんし、特にこの場所から乗り降りしてたわけでもなく、でも、何故か記憶に残ってる停留所として『新川橋』というのがあります。バスに乗っててもいつも通過する場所で『新川橋』という橋すら見た事がなかったです。バスの停留所に付けられるなの橋だから、立派な橋なのかと思いきや…、先日初めて、意識してこの橋を見ました。今となっては良く通ってる橋…と言っても、橋と気が付かず通ってた道なのですが、なんとまぁ~~、ショボい橋!しかも、バス停の名になってる橋なのに、バス停から遠くて見えないし…。

まぁ、橋と気が付かないくらいのショボい橋だけど、そんな通常の道路と同じ感覚で当たり前に通ってる橋というのは無いと困る橋でもあるわけで、存在感は無いけど凄く重要な役割をしてる橋なんだよね。だから、こうして私のBlogで特徴づけてあげても良いかなぁ~。



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