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草深の唐樋門

唐樋門

郵便局に行った後、台風12号がやって来てると言うのに、少しばかり寄り道して、広島県史跡となっている草深の唐樋門を見学しにやって来ました。
この場所は、何度か車で通った事のある道だけど、唐樋門の存在には全く気付いてませんでした。移動スピードが早くなるって事は、それだけ、見逃してるものも多くなってるって事なんだろうなぁ~。

唐樋門石碑

石碑まで立てられ、もの凄いアピールされてる史跡なのに本当に気がつきませんでした。先日、枝広邸で開催されていた沼隈町の写真展(当Blog内リンク)を観てから、一度、生で観てみなければと思っていたのでした。

唐樋門の説明

草深の唐樋門は、江戸時代初期の寛文年間(1661~1672年)に磯新涯が干拓造成されたのに伴って造られたものである。
樋の堂と呼ばれる建物とその床下の樋門の部分からできており、当初は木造りであったが、元禄9年(1696年)と安永3年(1774年)の2度に渡る大掛かりな修理によって樋門の門扉以外は石造りに改められた。樋の上の地名をもたらした由緒ある唐樋門は、瀬戸内海沿岸の干拓造成の歴史を研究する上で大変貴重な産業遺産である。

(福山市教育委員会)



唐樋門のロープ巻き取り

門扉を上げ下げする時に使われる巻き取り用のロープは、現代のナイロン製のロープのようですね。維持管理が大変だろうけど、これも、当時と同じ素材だったら良いのにね。





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戦争のおろかさ

原爆ドーム

昨日の8月6日は、広島原爆の日でした。平和記念公園では平和記念式典が開催され原爆と言う脅威と共に、福島第1原発原発事故で新たな核の脅威を問われました。

66年前のあの瞬間、人類が生んだ史上最悪の兵器、原爆は、普通に暮らしていた市民一人ひとりの上でさく裂した。直前まであった家族の団欒、かけがえのない日常を奪われ、見えない放射能の恐怖と闘いながら、生きてきた被爆者たち。東京電力福島第1原発事故で、日本が新たな核の脅威に直面する中迎えた6日、消す事の出来ない悲しみや悔しさを抱える人、語り継ぐ決意を持つ人たちが、県内各地で祈りをささげられました。




被爆体験をされた知人のお父様が4年前、小学生に伝える為に重い口を開き小学校で体験談を話されました。そして、その話が文集にされました。思い出したくない事、言いたくない事…。そして、この体験談は最初で最後の話です。貴重な体験談に心より感謝致します…。

「戦争のおろかさ」

私は、原爆の事はあまり喋りたくないんです。生々しいので…。

昭和16年の12月4日、太平洋戦争が始まった年に受験して広島市立商業中学に入りました。その頃は、義務教育で小学校とその上の高等科に通わないといけなくて、自分から旧制中学に受験して入ったんです。戦争中だったからか、勉強は全く出来なくて、土木工事をずっと手作業でやっていました。入学してから今の西飛行場の北側にある総合グラウンドは私達が造ったんです。そのグラウンド開きは、太平洋戦争が始まった12月8日だったから忘れもしません。

それから、2年生になって呉にある海軍工廠(かいぐんこうしょう:今の大和ミュージアムがある所)に学徒動員がかけられ、阿賀の寮から通っていました。

そのころ、広島では、兵隊の兵器廠(へいきしょう:兵器をつくる所)や被服所(兵隊さんの服をつくる所)や糧秣所(りょうまつしょ:缶詰をつくる所)があったんです。また当時は冷蔵庫は無く、兵隊さんの食べ物はほとんど、缶詰であったようです。缶詰だったら保存も利くし持ち運びにも便利です。

当時、東京や大阪などは、アメリカの飛行機がいっぱい飛んでいました。油脂しょう弾(中に油をふくんだ爆弾)を落として行きました。当時は木造家屋だったから、すぐ油がちって火が燃えていました。呉や福山にも落ちているので、次は広島に来ると思っていました。

今の宇品から兵隊が海外へ行っていました。だから、広島に爆弾が落ちたのです。それに相生橋の形がH型でわかりやすかったし原爆ドームも目印になりやすかったのでしょう。

私は当時学徒動員で呉の寮にいました。呉の工場で休みなしで兵器を造っていたんです。学生は日曜が休みなので広島に帰っていました。私も5日は広島の自宅へ帰っていました。



6時頃の汽車に乗り呉の職場へ


8月6日は、6時頃の汽車に乗り、呉の職場へ行ったんです。8時15分、呉まで爆風がきて、ピカーッと光りました。最初は何が起きたかわかりませんでした。皆実町に大きなガスタンクがあるので、それが爆発したと思ったんです。お昼頃、広島に新型爆弾が落ちたと知ったんです。その当時はニュースが無いので、どんな様子なのか全くわかりませんでした。広島へ爆弾が落ちた事を知り、私たち学生はすぐに広島に帰りました。

広島に入ったら、何もなかったんです。本当に何もなかったんです。市内に入ったのが、確か、2時頃だったと思いますが、市内の中心の方から死人かと思えるような人がいっぱい歩いて来たんです。私はどうにかしてあげたかったんですけど、医者もいないし、薬も無い。助けたいけど何もできなかったんです。あまりに酷い状態だったので話したくないんです。



焼け野原


市内電車が焼けていたのを一緒に行動していた友達3人と見ました。電車の中では人が焼け死んで、見たくありませんでした。そして、川に行ったら死体が浮いていて、涙が出そうなのにそれを見なれてしまって泣けなかったです。

それから、どこか分からない所を歩き回りました。家が焼けていて家族の事を知らせる板が立ててありました。



救助


大手町にある今の中電病院のセメントで出来た大きな水をためるものが有ったんです。その当時、それは各家で義務づけられていて、火事の時に、そこからバケツで水をかけるのです。その中に入っていたおばさんが「助けてくれ。」と叫ばれたので、友達と一緒に出そうとすると、「ズルリ」と皮がむけたんです。私たちはもう駄目だと思い、あきらめました。その事が今だに忘れられないのです。

その晩は道路で寝ました。死体を焼くニオイは、とても臭いのだけど、それさえも感じなくなるほど神経がおかしくなっていました。


戦争はむごい…。戦争は罪のない人も殺されてしまう…。あなたたちは平和な世の中に生きて幸せです。今まで一度も喋った事のない話を今日しました。どうか私の気持ちを汲んで戦争のむごさを後に来る人たちに伝えてほしいです。

(挿絵は小学生が書いたものだそうです)





■ご質問およびお問い合わせ

戦争の惨さを伝えてくれる事に感謝!苦しくもそんな中、生き伸びてくれた両親がいるから私がいる。そして知らないところで知らないうちに、多くの人々に支えられいる事に感謝!
メールでの打ち合わせ及び、見積り等、お気軽にお問い合わせください。
dnarb_k0417@yahoo.co.jp

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広島から発信する世界平和

灯籠流し

8月6日は広島の原爆記念日です。ライトアップされた原爆ドームの前を流れる元安川に、原爆犠牲者の慰霊や世界平和などを願いを込め、毎年灯籠が流されます。私はこの「原爆記念日」という言葉に、毎年違和感を覚えます。原爆って記念なのだろうか?どうも記念という言葉には良いイメージしか湧いて来ないのですが、原爆とは良いイメージなのか?って考え「記念」という言葉をこの年になって調べてみました。

記念
1 思い出となるように残しておく事。また、そのもの。
2 過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。


2の意味だと、良い事悪い事には関係なく、過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。だから、別に問題のある言葉ではないのですね。

そして、私が以前からずっと抱いてる、広島から発信する世界平和に対する違和感です。広島は世界で初めて原爆を落とされた街です。だから当然なのかもしれないけど、原爆に対する思い…被害者意識は強いです。だからアメリカが…、ロシアが…と核を持ってたり、北朝鮮で核実験が行なわれたりすると凄く過剰に反応してるように感じます。…過剰に反応と言っても、兵器としての核廃絶については私も賛成する事ですが、どうも、広島での核廃絶という運動には被害者としての憎しみを感じてるのです。

私は、この「憎しみ」という感情こそ、世界平和に対し相反する感情じゃないだろうか?って思うわけです。被害者意識というのは、当然加害者があっての被害者ですから、「加害者=憎しみ」だと思うのです。憎しみからは絶対に平和は訪れません。この事についてどのくらいの広島の人達は理解してるだろうか?

アメリカ人の意識調査の中で、広島に原爆を落とした事は正しかったのか?という質問に、半数以上が正しかったと答えています。原爆を投下したからこそ戦争が終結した。原爆を落としていなかったら、もっと、もっと戦争は続き、悲惨な状態となっていたという理由からです。

この多くのアメリカ人達の考えに広島の人々は「アメリカの都合の良いように解釈し過ぎだ!」と憤りを感じてたりするのですが、私は第三者的に見て、アメリカ人達の考えも一理あると思ってます。広島の人は被害者意識のみで冷静さを失ってる気がします。だって考えても見て下さい。戦争には加害者も、被害者もない…。アメリカが日本を攻撃して来たのと同じくらい、日本もアメリカを攻撃してます。中国等にも侵略してます。被害者だと思ってる意識に異常さを感じます。日本が何もしてないのに、攻撃され悲惨な目にあって来たのなら被害者になると思いますが、日本も相手国を攻撃してたにも関わらず、原爆を落とされたから被害者だって、それこそ日本のご都合主義だと思うのです。

真珠湾攻撃など日本は原爆を使ってないけど、多くの焼夷弾やミサイルを打ち込んでますよね。原爆だろうと、焼夷弾やミサイルだろうと人の命を奪うという事に、どちらが酷いか?という事はないはずです。核を持ち込む、核を実験などで使うという事には過剰反応するけど、中東での戦争や核以外の兵器には全く無関心。実際には核以外の兵器で命を失ってる人の方が圧倒的に多いでしょ?それでも、核以外の兵器には無関心。

単に核爆弾を落とされたという被害者意識の憎しみ以外の何物でもない。これって本当に平和活動って言えるだろうか?そういう憎しみが平和を乱す根源じゃないだろうか?核兵器というボーダーを取り除き、純粋に世界平和を発信出来る広島の街であって欲しいと願わずにいられません。
 



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