私は47都道府県のシルエットを見ただけで
県名を言い当てる 事が出来ます。別にこれって特別な事じゃなくて結構大勢の人が言い当てる事が出来ると思います。でも、こういった訓練って学校で習っては無いと思うのです。小学校の社会で川とか山地・山脈・平野などは覚えさせられた記憶がありますが、県の形は覚えさせられた記憶はありません。その為に県のシルエットを見て言い当てられない人もまた多くるのも事実です。
っで、
この違いって何かな? って考えてみた時に、県のシルエットを見て言い当てる事の出来る人の多くは子供の時に
日本地図のパズルを買い与えられてた人 なんじゃないかなって思うのです。私も日本地図のパズルを買い与えられていました。
勉強と言う意識は無く、遊びとして床一面にピースをばらまき、県の形に象られたピースを組み合わし床に大きな日本地図を作ってました。そのお陰で県のシルエットを見ただけで県名が言えるようになったのと同時に県の場所が何処にあるのか即座に答える事が出来るようになったのだろうと思います。
そして、話は変わるのですが、私はここ数ヶ月立て続けに、勤務先の仕事で数人の新人を指導させてもらってます。そこで感じたのが最近の若い世代は
車の運転が下手 なのです。毎日車に乗って配達をする運送の仕事なのに、
「もう一度、教習所に行って来たら?」 って思う程です。前に向いて走らせると普通なのに、バックとか切返しの動作になると急にヘタクソになっちゃうのです。
ハンドルをどのように切ったら車がどのように動くのか? という事が理解出来ていないのです。
これも、もしかしたら子供の頃の遊びが関係してるのかなって感じました。私が子供の頃はプラモデルの自動車やラジコン自動車など、そういった玩具で遊ぶ事が多かったです。そういった玩具のタイヤを操作して動かしてると、
無意識に車の動きというのが理解出来るようになった のかなと感じます。同世代でも女性に車の運転が苦手な人が多いのもそういう経験が少ないからなのかなと思ってみたり。
最近の若い子の遊びと言ったら、専ら手元でピコピコ電子ゲームじゃない?そういう子が多いから車の運転の下手な子も多いのかなと感じました。もちろん一概には言えませんが、
子供の遊びの進化系が大人社会 となってるような気がしてなりません。
子供の頃にどんな遊びをするかで、その子の将来の姿が見えてくるんじゃないかなぁ〜。
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BUZZmag より
「やる気が無いなら辞めなさい」 …言葉面だけで捉えてたら、やる気なんか出ないだろうしモチベーションも上がらないだろうなぁ〜。
この言葉は林先生が言うから意味がある んだよ。きっと。
林先生の説明は凄く分かりやすいし何より面白い。授業って本来こうあるべきって感じがします。テストの点数を取るだけの詰まらない
積め込み型の授業をする一般的な先生だとモチベーションなんて上がらない ですよ。
私は学生の時に、
数学なんて意味ない と思ってました。社会に出て必要なのは足し算引き算の算数だけ。因数分解なんて…って思ってたんだけど、社会に出ると色んな場面で
因数分解的な考え方に出くわす現実 を社会人になって知りました。
物理や国語、社会だって…。実社会に出てから必要になる基礎を
教科っていう形でパッケージング して教えられてたんだな…と社会に出てから気が付きました。
しかし、悲しいかな…
学生時代に「学校の教科が社会に出て役に立つのか?」 という質問を投げかけても、まともに答えてくれる先生はいませんでした。 そりゃそうだ。先生って人は極端な話…
学校の中しか知らない人達 なのですから。学校で学び、大学で教職の試験を受け、社会に出る事なく就職先として学校に舞い戻り勉強を教えるわけだから、
勉強が実社会でどう役に立ってるのか知る由もない のですから。
その点、林先生は予備校で働くまでは様々な社会勉強をされています。教え方が一般的な先生達と違っていて当たり前だと思うし、実社会の事を踏まえて教えてくれるから当然勉強の内容も面白い。
勉強が自分にどう関わってくるのか生徒もイメージしやすいから必然的にやる気にもなる と思います。一般的な先生が「やる気が無いなら辞めなさい」って言うのとは訳が違うと思いました。勉強が出来りゃ教職に就けるだろうが、生徒の心にしっかり届く教え方が出来るかという事とは別だよねぇ。勉学が出来て社会の事も知ってて出来の悪い生徒の心まで知るような先生って、そうそう居ないですよ。そういう理想の先生に近い存在が林先生なのかも知れないね。きっと。…そりゃ、心に響くよぉ。
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1匹、おどくしゃ〜蚊がおって、ぼれぇ〜刺されてかいぃ〜ねぇ! へぇ〜で飛びょ〜るところを発見したんじゃが、身体の色が赤味おびてて重そうじゃったけぇ、余裕で成敗してやったわぁ! じゃけど、思いきり返り血を浴びてしもうたわぁ。きっと、ワシの吸われた血じゃ。 …で、成敗した蚊の死骸を探したんじゃが、なんでか何処にもおらんねぇ〜。 どけぇ〜いったんなぁ〜?
…と、事務所内での出来事です。1匹の蚊に血を吸いまくられ腹立たしさに思わず備後弁バリバリで某所SNSに書いてしまいました。その書き込み文をソックリそのままこちらのBlogにも引用しましたが、意味が分かりますでしょうか?
「おどくしゃ〜」 なんて言葉は、たぶん他の地域の方には意味不明じゃないでしょうか?…そんなわけで標準語に訳してみました。
1匹、腹立たしい蚊がいて、滅茶苦茶刺されて痒いです! それで、飛んでるところを発見したのですが、身体の色が赤味おびてて重そうだったので、余裕で成敗しました! しかし、思いきり返り血を浴びてしまった。きっと、私の吸われた血ですね。 …で、成敗した蚊の死骸を探したのですが、何故だか何処にもいないのです。 何処に行ったのだろう?
でもね、厳密に言うと、
備後弁は標準語に訳せない です。何故なら、その言葉の1つ1つにしっかりとした意味があり、例えば「おどくしゃ〜」という言葉を「腹立たしい」と訳しましたけど、厳密には微妙にニュアンスが違ってるのです。「おどくしゃ〜」は「腹立たしい」「憎たらしい」「生意気な」というような意味合いがごちゃ混ぜになったような、「おどくしゃ〜」という表現でしか表せないのです。方言というのはそういうもんなんだろうね。
方言とはその地方に特化した言葉で、その表現でなければ言い表す事の出来ない言葉 なのだろうなぁ。そして、それが文化というものかな。…なんちゃってね。
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寝返りをうってる間に、
布団の中で毛布がグチャグチャになるのが嫌だった。 最初はそのような理由から
毛布を掛け布団の一番上に掛けるようになりました。 布団の中で毛布がグチャグチャになり、不快な肌寒さを感じて目が覚め、クソ寒い中、布団を剥がして毛布を直し再び布団にくるまる…。そんな作業が嫌だったから、寝返りをうっても毛布がグチャグチャにならないで良いように掛け布団の一番上に毛布をかけました。多少の温もりが犠牲になっても、途中に目覚め寒さと戦いながら毛布を直す事を考えればマシですからねぇ〜。
…っで、一度、布団の上に毛布を掛けてみたら、これが結構暖かい。
これまでの毛布の上に布団よりもウンと暖かい気がしました。 だから、それからずっと布団の上に毛布が私の中では定番でした。でも、端から見ると布団の上に毛布って信じられない光景のようですね。
だけど、先日、
睡眠中の保温効果と快適さを考えた場合、布団の上に毛布を掛けた方が良い って、何かのTV番組で言われてました。化学繊維を使った一般的な毛布は、汗を吸収・発散しないので、体の上に直接掛けるのは好ましくないそうです。
まぁ、布団も羽毛だの羊毛だのと色々と種類がありますが、布団の種類にもよるみたいですが、個人的にはやっぱりどんな布団であっても寝返りをうった時に毛布がグチャグチャにならないよう、一番上に毛布が良いです。それで暖かかったらそれで良いじゃないか。(笑)
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写真はワールド・ラリー・チャンピオンシップ、かつてのグループBマシーンですが、ドアミラー下に注目!ドライバーの名前と血液型が標記されています。万が一、事故が発生し怪我をして輸血が必要になった時、すぐに対応出来るように血液型が記されています。これはサーキットを走るレースと違い、一般公道を駆け抜けるラリーだから、レース関係者でなくても対応出来るようにとの配慮でしょう。…と、前振りはここまでにして、今回は血液型と性格についてお話したいと思います。…ハイ!ラリーの話は全く関係ないです。(^_^;)
人間の血液型は大きく分けて4種類。A型・B型・AB型・O型とあるわけですが、その血液型にはそれぞれに大まかな性格分類がされて来てますよね。一般的に「A型は生真面目」「B型は気分屋」「AB型は二重人格」「O型は大雑把」…と大体このように言われてますが、果たして、本当にそうなのだろうか?
私自身、血液型と性格について疑う事もなく、大まかには信じていました。そして、血液型の相性とかそういう事も疑う事もなく信じてたと思います。 今の今までは…。 だけど、つい最近、
その概念を根底からくつがえす出来事がありました。 それは、私の知人に起こった出来事なのですが今までずっとB型と知らされてたのです。そして、
知人もB型と信じて疑っていませんでした。 その為、その知人が気分屋な一面を見せると『ホンマ、典型的なB型だなぁ~!』って、チクリと言ってやってたし、知人も『B型だからこの性格は治らん!』と、こんな会話はしょっちゅうでした。
しかし、その知人が最近血液検査をしたらしく、その時に衝撃な事実を知らされたというのです。ずっとB型で生きて来た知人は、
実は、なんと、A型だった のです!
気分屋が生真面目人間だった のです…。(笑)
40年以上もの間、自他共にB型と認識し、B型としての性格で誰も疑問を持つ事のなかった人なのに、真実はA型で、周囲も驚いたが、一番驚いたのはきっと本人でしょう。
そして、ここからは私の想像ですが、おそらく血液型による性格の違いって、本当はないのだろうと思います。きっと、
人は成長し知識として一般的に言われる血液型の性格を知った時から、 自分の血液型と照らし合わせて、無意識にそのように振る舞って来てるのではないだろうか? って感じました。
私はO型だから一般的には大雑把なんて言われてますし、他人からも典型的なO型だと言われる事も多いです。だけど、それはO型と言う血液型が性格を作っているのではなく、
『自分はO型だ』という知識が大雑把な振る舞いをさせているのかも知れません。 それって、一種の
プラシーボ効果(当Blog内リンク) と言うやつかも知れないなぁ~。
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さてさて、某所で
缶コーンポタージュのコーンが最後まで食べる事が出来ない。 …という話題がありました。その話題に触発されて仕事帰りにコンビニに立ち寄り、
P◎KKAじっくりコトコトつぶ入りとろ~りコーンポタージュ っていう、どうでも良いくらい長い名前のコーンポタージュを買いました。
某所での話題の中に、
「普通に飲むとコーンが必ず残ってしまう。」 とか、
「吸ってるとかっこ悪い。」 とか、
「残ったコーンを出す為に底をたたく。」 等、粒々コーンを完食する為にかなり苦労されてるようでした。そんな私も少し前まで、ものぉ~凄く苦労してました。
でも、知ってしまったのです。見事なまでにキレイに完食する方法を…。 きっと、このBlogを読んだ後、すぐに試してみたくなりコンビニに駆け込んじゃうかも知れませんね。それでは…、、、。
完食する為の極意(その1) 飲み口部分の少し下を押さえて缶を凹ますべし! 私の握力がMAX70kgでして、凹ます為にフルパワーは必要無かったですから多分4~50kgぐらいの握力があれば簡単に缶は凹んじゃうと思います。凹ます位置が“飲み口のすぐ下”という事で真ん中を凹ますよりは少し力が必用かなぁ。女性の方は「4~50kgも握力なんてねぇ~よ!(怒)」ってなっちゃうかと思いますが、旦那さん or 彼Piにゴロニャァ~ンとお願いして凹ましてもらいましょう。
ちゅか、メーカーが製造する時に缶を凹ましてくれてれば何も問題が無いのだが…。
メーカーがやらないのなら、私がトーキョートッキョキョキャキョキュに行って特許取っちゃうよ! (笑)
完食する為の極意(その2) あとは他の缶飲料を飲むのと同じ要領で飲むべし! 決して飲む時に強く吸わないで下さい。強く吸っちゃうとコーンが機関銃の弾の如く、口の中に飛び込んでくるかも~。てか、飲んでる時に吸ったらポタージュも大量に口の中に入ってきますよね。普通、缶を吸う時はポタージュを飲み干した後ですね。でも、この方法なら飲み干した後に吸う必用なんて全く無しです。飲む時は、あくまでも、ソフトに、ナチュラルに…。
さぁ、全て飲み干しましたよ。缶の底を見てみましょう。
さて、コーンが残ってますかなぁ? 仕事帰りの車の中で撮影したから、暗くて見え難いかなぁ?
てなわけで、自宅事務所に帰ってから改めて底を撮影してみました。空き缶を缶切りで切って
ホレどうだ! ってすれば分かりやすいのだろうけど、それをやっちゃうと、
「缶切りで缶を切った後にコーンを取り出しただろう?」 なぁ~んて思われちゃうかも知れないので、リアルに飲んだそのままの状態で缶の底に光が届くようにして撮影してみました。
あんなにも苦労して取り出そうとしてたコーンが何処にも見当たりません。 さぁ~、皆さん、もうコンビニに行きたくてウズウズしてきたでしょ。そして、明日は人に喋りたくてたまらない!(笑)
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(c) NTV 高校生クイズを久しぶりに観ました。
鹿児島・ラ・サール高校と東大寺学園高校の決勝で私には答える事の出来ない難問が多数出題され、その問題を難なく答える高校生には感心させられると共に只々唖然という状態でした。もちろん決勝に行くまでに敗退していった高校生もかなりハイレベルな戦いを繰り広げ散っていった…。皆、凄く賢いんだなぁ~。
もう、20年以上になりますが、私も高校生時代の3年間連続で高校生クイズに出場した事があります。いづれも予選敗退でした。勝ち進む事よりも参加する事を楽しんでたという感じでしたし、勝ち進むだけの知識、知恵も備わってなかったですから当たり前の結果です。
勝ち上がってくるチームは、やはり勉強の出来る名門校ぞろいです。普段から勉強ばかりしてるよいうような高校生ばかりでしたね。ただ私は思うのですが、折角の高校生活です。知識を詰め込む事ばかりじゃなく、もっと高校時代と言う今を生きる事も大切にして欲しいな。高校生の時じゃないと出来ない事、学べない事だって沢山あると思うから。ただそういう学びというのは偏差値等に関係ない事だから軽視されがちなんだよね。受験には関係ないかもしれないけど人生に置いてはもの凄く大切な事だったりする。
人生のうちのたった数年間の受験の為の勉強のみで、人生の長いスパンでの重要な勉強を蔑ろにしてるのが現在の教育のようにも感じられます
クイズは難しい問題ではあるが、
それらの問題は全て決まった答えが存在する問題 です。答えが決まってる問題を解く能力はケタ外れに凄い。しかし、答えが無いものを解く能力はどうなんだろう?
臨機応変にその時の状況を見て判断し的確な対応をしていく能力も、知識とは別に養っていかなければならないはず。今の世の中、勉強が出来れば良しとする風潮で、勉強とは別の人間形成という事も大事なのでは?と感じました。
高校生じゃなきゃ経験出来ない事だって沢山あるし、その中から得る事もまた人生において大切な事だとも思う。
知識を蓄える事にばかりその時間を使い過ぎ、高校生じゃなきゃ経験出来ない事が置き去りにされているのでは、何だか寂しすぎる気がします。
企業の社員にもいませんか?
凄く偏差値の高い良い大学を出て頭が良いのだけど、仕事の出来ない人。決まった答えのある問題を解く事には凄く長けてるが、人とのコミュニケーションはほとんど出来ないとか、やる前から頭で考えて結論を出してる人とか…。そういう人が凄く増えてる気がします。
参照:
本物のカリスマ(当Blog内リンク) 学力も大事だけど学力一辺倒になってしまうのは栄養の偏りみたいなもので、全体のバランスで考えると非常に悪い。今の政治や経済等が悪いのは、知識だけが先走ってるからじゃないかなぁ~?
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お昼に、とある喫茶店でピラフを注文しました。出てきたのはピラフではなく炒飯でした。メニュー表に炒飯はないので、オーダーを間違えたわけでもなく、この喫茶店の
ローカルルール として、
ピラフという名の炒飯 なのでしょう。
ここで言う、ピラフとは炒飯の事です。 (笑)
私自身も何気に使って「あれれ?」と感じてしまう事も良くあるのですが、
ここで言う○○とは…。 まぁ、私の場合、文章等で分かりにくい表現かな?と自身が感じた時に、予め補足として入れる事が多いです。
〈例1〉 好きな事を見つける方法を教えてください。ここで言う「好きなこと」というのは、 その事に熱中して続ける事ができ、その事を仕事にしたり、生き甲斐にしたりできるという、生き方の指針のようなものです。趣味、副業などの軽いものではありません。できるだけ、具体的な回答をお待ちしています。
しかし、中には人から指摘されて、言い訳や反論として苦し紛れに
ここで言う○○とは…。 と言われてる方がいます。他人から指摘されると言う事は、その言葉が正しく伝わっていない事であり、
その理由として、指摘されてから「ここで言う○○とは…。」と言い訳や反論されても、非常に聞き苦しいです。 (^_^;)
○○に入る物が「意味を持つ言葉」である以上、「ここで言う○○」と言うのは、おかしな話だ。
ここで言おうが、何処で言おうが、○○は共通して○○なのですから…。 共通してるからこそ言葉として成り立っているわけだしコミュニケーションが円滑にはかられるのです。
〈例2〉 【A さんの発言】:○○を購入しようと思っています。良い商品がありましたらお教えいただけるとありがたいです。 【B さんの発言】:○○はリスクが伴うので買う事は避けた方が良いですよ。 【C さんの発言】:興味ない人が野次る のもどうかと思いますが 【B さんの発言】:誰が野次ってますか? ある種、まともな解答だと思うのですが…。 【C さんの発言】:ここで言う野次というのは スレ主さんの質問に対して機種選定の答えになっていない部分の事です。
誤った使い方されてるところに指摘すると、
「ここで言う○○」は、「◇◇」の意味で使われてます。 …とか
、この地方(国)では「◇◇」という事です。 …みたいな言い訳が良く帰ってきます。その度に私は、
だったら最初から「◇◇」と言えよ! …って、言いたくなります。(^_^;)
〈例1〉の使い方と〈例2〉の使い方では、同じ
ここで言う○○とは…。 と言う補足説明ですが、印象は大きく違ってきますし、コミュニケーションの円滑さにも大きく影響をしてきます。
「ここで言う○○」と本来の意味ではなく、個人的なローカルルールを設けてしまうと、混乱して訳が分からなくなります。ましてや、指摘されて言い訳に使うようであれば、ケンカを売ってるのか?と感じてしまう。
紛らわしい表現と思うなら、予め、こういう事だと伝えんかぁ~! 得にブームになっているカタカナ言葉にこのような事が良くあります。流行り言葉だから深く考えず多くの方が使い、そして、誤ったままの言葉として定着してしまう。
メディアやクリエイターの使う言葉の多くにもそのような誤ったものが良くあります。 多くのデザイナーさんは、デザインは「伝える事が大事」とバカの一つ覚えのように言われてるのに、言葉の誤った使い方を指摘すると、「ここで言う○○とは…」「ひとつのデザイン表現です。」「日本では○○が◇◇の意味で使われている」等の言い訳が帰ってくる事が多い。
これって、凄くヤバくない? P.S. …「ヤバい」って何? 昨日、○△♂×□♀でカレー食ったら超ヤバかったっすよ。ここで言う「ヤバイ」とは、“美味しい”の意味である。
も~~、言葉がグチャグチャ!(汗)
大人も若くありたいと思うのか、こういう言葉を真似て必至に使ってる人もいる。特に若い感性や最先端という言葉に弱い、クリエイターやメディア人…。
良い年した大人ならば、言葉を正す立ち場になれないのか…? Official WEB Site
病気になった時、病院で処方された薬を、
最後まで飲みきる人は3割にも満たない との結果がでたそうな…。
私も以前は、途中で飲むのをやめてしまうタイプでした。
しかし、いつしか完全に飲みきるタイプに変わってました。
年を取ったという事なのでしょうかね? 10~20代の若い時はあまり薬に頼らなくても 早く回復出来たような気がしますが、 現在は、薬を飲みきってようやく治るという感じかなぁ。 酷い時には薬が足らなくなり、
再度薬だけの貰いに病院に行ったり…。(^_^;)
それにしても、
薬を最後まで飲みきる人は3割にも満たないと言う事は、
7割強の方が薬を最後まで飲み切らずに
余らせてしまう人という事なのですね。
この薬の飲み残しについて、とても興味深い話を、 東北大、加齢医学研究所抗感染症薬開発研究部門の 渡辺彰教授が言われてました。 えぇ、もちろん私が直接お話を聞いたわけではなく、
ニュースの記事に書かれてあったのですけどね。ヾ(・・;)ォィォィ
その興味深い話は↓こちら。
自己判断による服用中断は、 殺菌し切れなかった病原菌が耐性菌化し、 結果的に治療が困難になる恐れがある為、 この結果は非常に懸念すべき点と言える。 …としている。
そうかぁ。そういう事か。
要するに殺菌し切れなかったウイルスは、
予防接種されたウイルスとなるわけだ。
ウイルスから見ると薬というのは病原菌なわけで、
殺菌が不完全だと薬に対抗出来る抗体を持ったウイルス って事になるわけだ。 耐性インフルエンザとか、耐性結核等というのを、
何度か聞いた事がありますが、
薬に対抗出来るウイルスって、
そのようにして誕生してるのですね。
なるほどぉ~~~! …って、一旦は関心したんだけど、
だけど、数分後に新たな疑問というか、 渡辺彰教授の話に矛盾を感じちゃいました。 ウイルスに感染し病気になった場合、
病院に行き、薬を処方してもらいます。
そして、薬を飲む事になるわけですけど、
この間、ウイルスは、ずっと身体の中に 止まってるものなのでしょうか? 呼吸や咳等で体内のウイルスは
体外に吐き出されたりしてますよね。
だから、空気感染ってあるのでしょう…。 そうなると、薬を途中でやめた事が原因で、 耐性ウイルスが出来るわけじゃないですよね? 薬を服用しながらも殺菌途中のウイルスが
体外に吐き出されたりしてる事になります。
私は医学に関しては素人ですけど、 このくらいの矛盾には気がつきますよ。 もしかして、薬を必用以上に処方する為の情報操作? (謎)
ちなみに、
「考える力」を身につける という事で、
下記のような記述が某メルマガにありました。
世は思考力格差の時代、 9割の人が自分の頭の使い方をわからずにいる。 新聞、ニュース等の情報をそのまま信じる。 …という事自体が、日本人の悪い癖である。 流れる情報をただ鵜呑みにするのではなく、 自分の頭で、この先日本はどうすればいいのか? …という事を考えてみて欲しい。 Official WEB Site
(c) Record China 来週、スポーツテストを行ないます。…と言われ、
テスト前の体力づくりをして
スポーツテストに挑む人はいるのだろうか?
きっと誰もテスト前の体力づくりなんてしないよね。
皆さんは学生の時に、 テスト前の勉強を、どれぐらいやりましたか? 或いは、現在、学生の方は、どれぐらいやってますか? 私はというと、全くしてませんでした。
テストが近付こうが屁とも思ってませんでした。
何せ、勉強というのが兎に角嫌いでしたから…。 赤点取ろうが、親から説教されようが、
点数が悪く担任に呼び出されようが、全くお構い無しでした。
そして、テスト前の勉強をしない事に、
下記の理由を言って、怠けてました。
テストとは、本来学校での授業に対して、 子供達はどれだけ理解出来てるかを調べる為のものだから、 授業外で勉強してテストに挑み、 出した結果では本当の意味のテストにならない! (^_^;)
…なんてね。
こんなクソ生意気な事を言ってました。
当時は、ただ怠けてる自分を
正当化する為の理由でしかありませんでしたけどね。(^_^;)
だけど、今思うと満更でもない理由だなぁ~と。(笑)
学校でのテストから解放されてテストの得点の為じゃなく、
本当に自分の為に学ぶという事を行なってると、
学力テストのあり方に疑問を感じずにはいられません。
そもそもテストとは、実験とか試しみたいな事でしょ? その方法で正しいか、正常に機能してるかを、
調べたりする事がテストの本来の意味で、
授業等で先生の教え方が正しいかどうか、
その教え方で学力がどのくらいつくのか?
それを、調べる事がテストじゃないのかな?
…なんて、改めて感じます。
現在のテストの目的は点数を取る事が目的となり、
生徒がどれだけ本当に理解してるか?
という事は全く考えられてない気がします。
一夜漬けで丸暗記して点を取ってもOK。 テストが終われば暗記した事は綺麗さっぱり忘れても問題無し。 一体、何の為のテストだろう? この教え方で生徒に正しく教える事が出来てるのだろうか?
という先生自身の指導力テストでもあると思うのですが、
その事は全く無視されてますよね。
そもそも、先生の教え方が完璧であると言う前提の テストって、どうなんだろう…と私は感じます。 「生徒がどれだけ理解してるか?」という事は、
すなわち、先生がどれだけ生徒に理解出来るよう 教える事が出来ているか? というテストでもあると思います。
授業外で勉強しテストに挑んでたんじゃ、
本当に意味が無いと思いますね。
先生の能力はテストの結果として表れないわけだから。
学校の授業で学力がついたのか? 塾のおかげで学力がついたのか? 自宅での自主学習で学力がついたのか? 日々の学習の積み重ねで学習した事が身になって
テストを受けるなら兎も角、
テスト前のみの強化学習的な学習方法で、
一時的な暗記の結果が点数に表れても、
それは本来のテストの意味が無いような…。
物事には何事も理由がある。 理由から考えると矛盾した事が世の中には多過ぎますね。 Official WEB Site